8月31日(日)から紀伊國屋ホールで開幕する舞台『サヨナラソング−帰ってきた鶴−』。「生きのびること」をテーマに、日本の民話「鶴女房」のその後の世界と、ある家族を中心とした現実の世界が交錯しながら展開されていく物語です。作・演出の鴻上尚史さんと、「鶴女房」のその後の世界では夫の与吉、現代では物語を残して亡くなった小説家の宮瀬を演じる小関裕太さんにお話を伺いました。
悲劇は同時に喜劇でもあるのが人生のリアル

−本作はきたやまおさむさんにインスパイアされて生まれたそうですね。
鴻上「きたやまおさむさんが、亡くなられた盟友のことを想って、「去っていく鶴は美しいけれども、残された男は悲しい」というお話をされたことがあったんです。鶴女房を題材に語ってくれたので、その瞬間に鶴がもし戻ってきたらどんな風になるんだろうとイメージが広がりました」
−小関さんは脚本を読んでどんな印象を抱きましたか。
小関「自分自身、身近な方を亡くした経験があるため、残された側のことを凄く考えながら読みました。残された側は、どうしたらこれから自分は生きるということを選択していけるんだろう、生きるって何だろうと想いを巡らせました。ただ僕が演じる作家の宮瀬は去っていく側なので、徐々に亡くなる側の目線での悔しさや、やり残したことというのを真ん中に置いて読むようになりました」
−本作は「生きのびること」という重いテーマがありながらも、会話劇ではコミカルなシーンも多いのが印象的でした。
鴻上「稽古の最初にみんなにも説明したのですが、僕は純粋な悲劇も、純粋な喜劇もないと思っているんです。人生って、ある面から見たら悲劇なんだけれど、ある面から見たら喜劇だと思うんですよ。だから、ある行為をしているときも、それは悲劇なんだけど同時に喜劇だっていう方が人生のリアルに近いと思って、悲しい時に笑いも起きるシーンがある脚本になっています」
−鶴女房のその後の世界では与吉、現代では宮瀬を演じる小関さんにはどのような期待がありましたか。
鴻上「最近はたくさんテレビドラマに出ていて、役に対して真剣に取り組んでいる、向き合っている印象がありました。稽古場でご一緒してみると、台詞にたどり着くまでの距離がすごく明確に見える役者だなと思います。この台詞はたどり着いたな、この台詞はまだちょっと距離があるな、というのが分かる。技術で誤魔化そうとしないので、凄く良いことだと思います」
−小関さんは鴻上さんの演出を受けられてみていかがですか。
小関「鴻上さんが演出された『朝日のような夕日をつれて2024』やミュージカル『スクールオブロック』を拝見して、共通して熱量とテンポの速さというのを感じました。実際に出演者として参加したらどんな景色が見えるんだろうと、ワクワクしながら稽古に参加してみると、熱量とテンポの速さの裏には鴻上さんがこう考えていたんだな、と納得することがあって。お客様が受け取りやすいところに持っていこうという鴻上さんの想いを感じて、自分の中でも新しい景色が見えてきている感覚があります」
与吉と宮瀬は1つの人格の表と裏

−小関さんが演じる与吉と宮瀬の印象を教えてください。
小関「鶴女房を幼少期に読んでいた時は引いた目線で見ていて、与吉のことを欲深いなぁと思っていたんです。僕も気をつけよう、と教科書的な感じで読んでいましたが、今回改めて鶴女房と向き合うと、こういうことって自分の今までの人生にもあったよなと自分に重ね合わせて見えるようになり、幼少期の時から印象がだいぶ変わりました。与吉は好奇心やうっかりさが溢れていて、愛らしいキャラクターですね。
宮瀬はプライドが高く、純文学を書いていて、読者がどう受け取るかよりも、俺はこういうことが書きたいんだという主張が強い人間です。彼のファンである小都と出会い、結ばれて結婚し、子どもが生まれたというこの環境がまた彼を深刻にさせたんだろうなと思います。彼の才能に惚れてくれた人がいて、このままで良いんだという居場所を見つけてしまったが故に、プライドの高さが捨てきれなかった。でも亡くなった後の葛藤や後悔が見えるのが面白味のあるキャラクターです」
−ご自身はどちらに近いと思われますか。
小関「どうでしょうか、与吉かなぁ。バカなんだけど、根底には愛があって、そうありたいなと思わされます。宮瀬のように、プライドがあり、自分の考えや思いを貫くのではなく、色々な景色を見て自分で最終的に選択するので、そこは宮瀬との違いかなと思います」
−2つの世界を行き来する構成となっていますが、舞台上ではどのように2つの世界を描こうと思われていますか。
鴻上「現代の衣装と、東北の江戸時代を思わせる衣装が全然違うので、ビジュアルで違いが伝わると思います。衣装替えの時間は1分半〜2分くらいしかないので大変ですけれど、観る側は分かりやすいんじゃないでしょうか」
小関「言葉遣いや喋り方も全然違うので、演じ分ける難しさもあまりないです。もちろんもっともっとつかみたいなと思っているのですが」
鴻上「でも与吉と宮瀬は1つの人格の表と裏、A面B面のような存在だと思っています。こだわってしまったら宮瀬になるし、そのこだわりを捨てて愛に生きようと思ったら与吉になる。だからそんなに離れている感じはしないですね」
小関「相対している部分もあるし、リンクしている部分もあるし、ただ図らずとも同じ人が演じていることで、お客様に感じていただける部分があるんじゃないかなと思います」
分断と不寛容が強まる今だからこそ届けたい物語

−今、「生きのびること」をテーマにされたこと、そこに対する想いについてお聞かせください。
鴻上「世の中は分断と不寛容というものがどんどん強くなっていて、みんなが生きづらさを感じていると思います。極端なことを言ってしまうと、自ら死を選ぶのが、無様に生きのびるよりもかっこいいと思いがちだと思うんです。でも無様でも、死ぬよりは生きていきませんか。非常に生きづらい時代なんだけれど、生きていきませんかということを伝えたいです」
−小関さんはこのテーマをどう受け止めていらっしゃいますか。
小関「残される側の想いも、去っていく側の想いも描かれた作品だと思います。宮瀬を演じうる上で最初にぶつかった壁は、子どもがいるということです。僕自身が体験したことのないことだったので、息子に対する愛情や感覚をどう作っていくべきか悩みました。
ただ鴻上さんとお話ししていて、宮瀬は父である前に小説家であった人間で、この作品を通して初めて息子とちゃんと向き合い、成長していくので、そういう点では僕に子育ての経験がないこともリンクするんじゃないかと思いました。彼がどんな思いで息子と向き合い、生きのびることを伝えるのか。それを今よく考えています。本番を迎えてからも思考が変化していくのかもしれないですが、まだ分からないことも多いですね」
鴻上「それで良いと思います。俳優が直接テーマを語り出したら、芝居はつまらなくなる。テーマを意識しすぎず、演じてもらえれば自ずと伝わるはずです」
−最後にお客様へのメッセージをお願いします。
鴻上「こんな生きづらい時代ではありますが、観に来る前よりも、劇場去る時には間違いなく元気になれる作品になると思いますので、もしよろしければ劇場でお会いしましょう」
小関「この作品を見て、「面白かった」とか、「これってこういうことなのかな」という感想ももちろんなんですが、プラスアルファで、最終的に小都が完成させた小説がもし出版されたらどうなるかということも想像していただけると良いなと思います。宮瀬が書いた遺作を妻の小都が完成させた、というのは話題になると思いますが、それまでに実際にはどんな物語があったかを、小説の読者たちは知らないと思います。この作品が描く物語があって、最終的には小都がたどり着いた小説はどうなったのか。そういうところまで考えてみていただけたら嬉しいです」

KOKAMI@network vol.21『サヨナラソング−帰ってきた鶴−』は8月31日(日)から9月21日(日)まで東京・紀伊國屋ホール、9月27日(土)から9月28日(日)まで大阪・サンケイホールブリーゼにて上演が行われます。公式HPはこちら

今、生きづらいと感じる人にこそ、劇場で演劇を観てもらいたいなと思います。台本を拝読して、Audienceの「生きてて、よかった。そう思える瞬間が、演劇にはある」というテーマにも通じる作品だと感じました。