『ハリー・ポッター』シリーズの舞台版として話題を集めた『ハリー・ポッターと呪いの子』。現在も、東京・TBS赤坂ACTシアターにてロングラン公演が続いています。大人になったハリーと息子アルバスの親子関係、深い友情と愛を描いたこの作品には、数多くの名セリフが登場するのをご存じでしょうか。父と子の絆、真の友情の意味、そして完璧でない自分を受け入れることの大切さを教えてくれる、珠玉のセリフたちをご紹介します。

心に響く名言を生んだキャラクターたち

まずは、本記事で紹介する名セリフを言ったキャラクターたちを簡単に紹介します。

ハリー・ポッター

現在はジニー・ウィーズリーと結婚し、ジェームス、アルバス、リリーという3人の子供たちの父親です。魔法省に勤務する「闇祓い」として、優秀なキャリアを誇りますが、思春期を迎えた息子・アルバスとの関係には苦労しているようです。

アルバス・ポッター

ハリーとジニーの次男で、『ハリー・ポッターと呪いの子』の主人公です。「アルバス・セブルス」という名前は、アルバス・ダンブルドアと、セブルス・スネイプというふたりの魔法使いからつけられました。ホグワーツ魔法学校へ向かう列車内で、スコーピウス・マルフォイと出会い、友情を育むようになります。

ドラコ・マルフォイ

スコーピウスの父で、ホグワーツ魔法学校ではハリーたちと同級生でした。学生時代には、ハリーたちと常に対立していたドラコ。本作では息子のスコーピウスに深い愛情を持つ父親として描かれています。過去にはヴォルデモート卿の配下である「死喰い人」だったこともあり、自身の経歴への偏見に苦しむ様子も描かれています。

アルバス・ダンブルドア

かつてホグワーツ魔法学校の校長を務めていた、偉大な魔法使いです。『ハリー・ポッター』シリーズの後半で亡くなってしまいますが、その後もハリーに大きな影響を与え続けました。

「ただ、——父さんは父さんで——僕は僕なんだから——」(アルバス・ポッターのセリフ)

第1部 第1幕 第4場より

ホグワーツ魔法学校の2年生になったアルバスが、父親であるハリー・ポッターと一緒にいるところを周囲の人々に見られることに対し、複雑な感情を持つ場面です。

その前年、アルバスは「組み分け帽子」によってスリザリン寮に組み分けされてしまいました。父親と同じグリフィンドールに選ばれなかったことに対し、アルバスは強い劣等感を抱きます。

このセリフからは、周囲からの「ハリーの息子」という先入観に苦しみ、自分自身の価値を見出そうともがくアルバスの気持ちが伝わってくるようです。

「人には選択しなければならないときがあると思う——ある時点で——どういう男になりたいかを選ぶのだ。いいか、そういう時に、両親か友人が必要なのだ」(ドラコ・マルフォイのセリフ)

第2幕 第15場より

ドラコ・マルフォイが、息子であるスコーピウスのことを思って語るセリフです。

この言葉は、ドラコの実体験から生まれたものでした。

ドラコは学生時代に孤独を感じており、ハリーとロン、ハーマイオニーが深い絆で結ばれていたことを羨ましく感じていたことを、ハリーとジニーに打ち明けるのです。

本セリフは、父親としての深い愛情を表す一方で、学生時代のドラコの本当の気持ちが明らかにされた重要な意味を持っています。

「ヴォルデモートなんかに、やさしい息子はできない——そしてスコーピウス、君はやさしい。おなかの底の底まで、爪の先の先まで」(アルバス・ポッターのセリフ)

第2幕 第16場より

アルバスが、親友であるスコーピウスにかけたセリフです。

スコーピウスは母を亡くしたことや、自分が「ヴォルデモート卿」の息子ではないかという心無い噂に苦しんでいました。

アルバスのこのセリフは、そんなスコーピウスの傷ついた心に深く響きます。これを聞いて、スコーピウスはアルバスに「僕も、君がいないと、自分の人生が好きじゃなくなった」と応えました。

ふたりの友情が唯一無二のものになった、決定的なセリフだと言えるでしょう。

「このごたごたした感情的な世界には、完全な答えなどありはせぬ。完璧さというのは、人間には届かぬところにあり、魔法でも届かぬところにある」(アルバス・ダンブルドアのセリフ)

第4幕 第4場より

魔法省内のハリーのオフィスで、肖像画の中にいるダンブルドアとハリーが会話するシーンでの名セリフです。

ハリーは、息子のアルバスに危機が迫っていることに苦しんでおり、父親としての無力感や、自分が孤独な少年時代を送ってきたことへの悲しみをダンブルドアにぶつけます。

肖像画の中のダンブルドア、そしてハリーは互いに激しい感情をぶつけ合い、やがてダンブルドアはこのセリフを語るのです。

生前は偉大な魔法使いとして知られていたダンブルドアでしたが、その彼ですら「完全な答え」には届かないという、哲学的なセリフです。

「二人は偉大な人だったし、欠点も大きかった。そして、いいかな——欠点がこの二人を偉大な人にしたとさえいえる」(ハリー・ポッターのセリフ)

第4幕 第15場より

物語の最後、ハリーがアルバスに、アルバス・ダンブルドアとセブルス・スネイプの話をするセリフです。ハリーは赤ん坊の頃に、両親をヴォルデモート卿に殺害されてしまったため、父親という存在がどんなものか知らないまま、家庭を持つことになりました。

ハリーはこの場面で、自身も父親としてまだまだ未熟であり、学習中であるとアルバスに告げます。そして、完璧でないということは決して悪いことではないと息子に伝えるのです。

物語全体のメッセージが集約された、格言的なセリフです。

本記事で紹介した名セリフたちはほんの一部ですが、これらのセリフからもわかるように、『ハリー・ポッターと呪いの子』には、人生に迷った時に力をもらえるような素晴らしい言葉たちが多く登場します。観劇後、きっと勇気をもらえるのではないでしょうか。

『ハリー・ポッターと呪いの子』は、東京・TBS赤坂ACTシアターにてロングラン公演中。公式HPはこちら

引用文献
『ハリー・ポッターと呪いの子 第一部・第二部 舞台脚本 愛蔵版』(静山社)
著:J.K.ローリング/ジョン・ティファニー、舞台脚本:ジャック・ソーン、翻訳:松岡祐子

糸崎 舞

特にハリーの「欠点がこの二人(ダンブルドアとスネイプ)を偉大な魔法使いにしたとさえいえる」というセリフにハッとしました。本作品の登場人物は自分の「欠点」に悩んでいますが、実はその欠点こそが素晴らしいのだ、と考えさせられます。