二兎社4年ぶりの新作は、『桜の園』や『かもめ』で知られるロシアの劇作家チェーホフの長編小説を基に、主宰の永井愛さんが脚色・演出する『狩場の悲劇』。11月7日に東京・新宿の紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAで開幕します。革命前夜の帝政ロシアを舞台に、人々の愛と憎しみと欲望が織りなす恋愛ミステリーです。驚きのトリックや謎解きと共に、一筋縄ではいかない登場人物たちの心の綾をどう描いていくのか。物語の語り手をつとめる主人公役の溝端淳平さんと、運命のヒロインを演じる門脇麦さんにインタビュー。「舞台とは、とんでもないエネルギー量を持つ人間と人間がぶつかり合う場所。生で見て共有してほしい」という演劇に寄せる熱い思いもお伺いしました。

永井愛さんの「愛のある千本ノック」

―溝端さんが二兎社の作品に出演するのは、2012年の『こんばんは、父さん』以来ですね。
溝端 「平幹二朗さん(1933~2016)、佐々木蔵之介さんとの3人芝居でした。とんでもなくハードルの高いものに挑戦させていただきました。23歳だった当時よりも、あの経験が人生の糧になっていると思う日々だったので、30代半ばになって、再び声を掛けてもらって、非常にうれしかったです」

―『こんばんは、父さん』にはどんな思い出がありますか?
溝端 「地方公演で回っていたときも、全公演で細かく修正点やアドバイスのチェックを受けました。愛のある1000本ノックというか(笑)。そこまでやってくれる演出家さんはそういないので、どれだけ恵まれていたか。その現場にまた身を置けるのはとてもうれしいです。一から鍛え直していただけると思って臨みたいですね。初心に返るような気持ちです」

―門脇さんは二兎社公演に初出演です。永井さんの作品について、どういう印象をお持ちですか。
門脇 「過去作を拝見して、(永井さんは)芝居と人間に興味があって、たとえ暗いお話であっても、そこに対する興味の矢印が「陽」の方なのだろうなという気がしました。見ていて気持ちが良かったです。演じている役者の方が、その気持ち良さを感じているだろうなと思いました」

溝端  「確かに」

―オファーが来たとき、どんなお気持ちでしたか?
門脇 「永井さんから直接どういう作品にするか、お話を聞いて、すぐに「楽しそう。やります!」とその場で言いました」

『狩場の悲劇』とは

原作小説は、チェーホフがモスクワ大学医学部の学生時代に書いたもので、24歳だった1884年にモスクワの新聞に掲載されました。唯一の長編小説だとされています。しかし、本人は気に入らなかったのか、生前の全集から外してしまったそうです。作中のトリックは、「ミステリーの女王」アガサ・クリスティが考案するよりも40年早くに書かれたものです。

【『狩場の悲劇』のあらすじ】
カムイシェフ(溝端さん)という男が、ロシア・モスクワのある新聞社の編集長(亀田佳明さん)のもとを訪ねてきます。3ヵ月前に持ち込んだ自作の小説を新聞に掲載してくれるのか、聞きに来たのです。「まだ読んでいない」という編集長の返事を聞いたカムイシェフは、かつて捜査を担当する予審判事だった自分の実体験を基に書いたこの犯罪小説を語り始めるのでした―。

その小説は、カムイシェフの悪友である伯爵(玉置玲央さん)が、2年ぶりに戻ってくるところから始まります。カムイシェフは酒浸りでぐうたらな伯爵を心底、軽蔑しながらも、誘いを断ることができません。散歩へ出かけたカムイシェフたち一行は、道中、赤いワンピースを着た、森番の娘(門脇さん)を見かけます。その美しい姿に魅了されるカムイシェフと伯爵。しかし、伯爵邸の管理人ウルベーニン(佐藤誓さん)はなぜか、そんな2人から彼女を遠ざけようとします。森番の娘を巡って、カムイシェフ、伯爵、ウルベーニンが四者入り乱れての愛憎劇から思わぬ悲劇が…。

チェーホフのダメ人間の考察が面白い

―この作品について、どんな印象をお持ちですか?
溝端  「原作だと、ロシア富裕層のどんちゃん騒ぎが7割ほどを占めていて、登場人物はほぼ全員クズです(笑)。ミステリーなんですけど、チェーホフの鋭い人間描写がすごく面白いです。僕が演じるカムイシェフが書いた、実体験を基にした小説がメイン。彼はなかなか癖のある人間。そういう人間が書いている手記なので、僕の中ではずーっと気持ち悪い(笑)。でも、何だかハラハラドキドキして、思わず(ページをめくる)手が止まらなくなるのが、この作品の魅力です」

―永井さんの脚色には、どんな期待をしていますか。
溝端  「原作には人間的なぬくもりがそこまで感じられない。でも、永井さんの作品は、ダイレクトに刺さるような、心温まる話が多い。その永井さんが『狩場の悲劇』を脚色すると、どういう化学反応が生まれるのか、楽しみです」

門脇 「ミステリーと言いつつ、からくりはシンプル。その枠組みを使って、その中に人間の欲望や業などの人間考察を描いていく。この「ミステリー×チェーホフ」というどっしりとした枠は、その中にいくら詰め込んでも壊れないと思うので、自分もいっぱい詰め込めたら、という気持ちです」

―溝端さんは、カムイシェフについて、どんな人物だと捉えていますか?
溝端  「強烈なある種のカリスマ性がある人物。とても秀でている部分と、人間的なモラルが欠落している部分がはっきりと分かれていて、いろいろな女性にモテる、そこがスリリングで魅力的ですね。ただ、彼の手記にある解釈や言動を含め、性格に欠陥のある人間。それだけに面白いし、演じがいがあります」

―役作りについてはどのように臨みたいとお考えですか。
溝端  「自分の欲望に忠実にストレートに生きている。分かりやすいし、一本筋が通っている。僕自身も思ったことをはっきり言うタイプなので、そういうところはちょっと共感できるところではあります。僕の中ではそこがこの人の唯一の救いです。ブレずにクズ(笑)。情とか一切ない。ストーリーテラーなのに一番のヒール役。そこを貫いている役なので、そのあたりをヒントにして役作りをしていきたいと思っています」

―では、門脇さんが演じる「赤いワンピースの娘」については、どう思いますか? 原作では純真な娘として鮮やかに登場しますが、運命に翻弄されて変わっていきます。
溝端  「この役もなかなかの人ですよね。顕示欲や上昇志向の塊で…」

門脇  「劇的な状況や相手によって、渦のように人生が流れていく女性像は、シェークスピアやチェーホフの作品では珍しくないと思います。記号的になりがちな役ですね。彼女は状況や環境によって、こうなってしまったんだろうとか、こういう風になる人はきっとこういうものを持っているとか。そういうものがストーリーを超えて匂ってくればいいかなと思っています。劇的なものを劇的にやるのではなく、彼女のような人は、どこにいてもきっとそうなる。そういうものまで匂わすことができれば、より一歩豊かなものになるかなと思っています」

―「若さと美しさはあっても結婚以外に自己実現の手段を持たない娘たち」と、公演企画書にありました。原作では影の薄い女性が、永井さんの脚色でより掘り下げられ、今日性のある重要な人物として登場するとのこと。門脇さんがその女性像にどんな息吹を吹き込むのか、注目ですね。さて、お2人は今回が初共演です。お互いの印象について教えてください。
溝端  「カムイシェフが唯一、愛したのは赤いワンピースの娘だけ。門脇さんとお会いした印象では、思ったことは包み隠さずに伝える方だと思います。こういう方が相手役だと、非常に助かります」

門脇  「私も溝端さんとお会いして安心できました。共演できるとは思っていなかったので、うれしいです」

―他の共演の皆さんについてはいかがですか。
溝端  「演劇の一ファンとしては、佐藤さん演じるウルベーニンが楽しみです。狡猾なところもあれば、まじめさから抜けきれない愛くるしさとか。稽古場で見られるのも楽しみですね。他の共演者の方々も演劇の猛者ばかり。その中に自分が飛び込むのは、怖いところでもあり、楽しみでもあり、ですね」

門脇 「私は本当にほぼ皆さんとは「初めまして」。この仕事を始めて10年ちょっとですけど、こういう機会はなかなかないので、新鮮な気持ちで臨みたいと思います」

劇場で生まれる化学反応を目撃してほしい

―お2人とも幅広くご活躍する中で、舞台にも力を入れています。演劇の魅力をお話しください。
溝端 「表現者としての力を、生で一番発揮できるのが演劇だと僕は思っています」

門脇 「間違いないですね」

溝端 「今は配信で舞台を見ることができるので、逆に生で芝居を体感する経験は、とても貴重だと思います。なぜ時間をとって、お金を払って、劇場に足を運ぶのか? どんなものか、「試しに見に行くか」ぐらいの気持ちで見に来てほしいです」

門脇  「舞台とは、とんでもないエネルギー量を持つ人間と人間がぶつかり合う場所。それを生で見て、観客同士が共有する。スポーツ観戦に近いと思います。生の舞台を観劇する楽しさをみなさんに経験してほしいです」

―チェーホフの作品は難解というイメージを持っている人もいるかもしれませんが…。
溝端 「永井さんは分からないことを分からないままにして帰す方ではないと思うので、絶対にいいものをギフトしてくれるはずです!」

―原作に作家独自の視点を盛り込んで再構築するということですね。
門脇 「チェーホフの作品は読むよりも見る方が面白いです。私たち役者が咀嚼して、永井さんがさらに落とし込んで解釈して持ち込んでいるわけですから、読むよりも絶対に面白いと思います!」

―この作品は東京公演の後、全国ツアーで山形や福岡、愛知など13県16ヵ所を巡ります。
溝端 「まちや劇場との一期一会によって、演劇もまた変わってくると思います。この場所だから起きる化学反応を、楽しみにしていただきたいです。若い人にもたくさん来てほしいです」

―劇場によっては、若者向けのお得なチケットもありますね。
門脇 「私たちが行ったことのないところが、これだけあるというのは、(地方では)演劇を見る機会が少ないということ。この作品をきっかけに気軽に見ていただけたらと思います」

撮影:晴知花

二兎社『狩場の悲劇』は2025年11月7日から19日まで、東京・新宿の紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAで上演されます。ツアー公演は、来年1月中旬まで13県16ヵ所を巡演します。スケジュールの詳細は公式HPをご確認ください。

鳩羽風子

この日の取材会が「初めまして」だったお2人。演劇を語り出したら止まらないところがとても似ていて、息もぴったりでした。