『エリザベート』や『モーツァルト!』など、日本でも大人気のミュージカルを生み出したミヒャエル・クンツェ氏とシルヴェスター・リーヴァイ氏のコンビ。彼らが2014年に生み出したミュージカル『レイディ・ベス』は、イングランドを統治した偉大な女王エリザベス1世(1533-1603)の若き日を、大胆な解釈で描いた作品です。

45年もの間女王として君臨し、シェイクスピアなどを代表する文化の黄金期を築き上げたエリザベス1世は、一体どんな人物だったのでしょうか。その生涯と、彼女の生きた16世紀のイングランドについて解説します。

“プリンセス”から”レイディ”へ。不遇の少女時代

偉大な女王として知られるエリザベス1世ですが、その少女時代は不遇なものでした。

エリザベスの母アン・ブーリンは、国王ヘンリー8世の2番目の王妃です。後継ぎとなる男の子の出産を強く望まれていたアンでしたが、実際に生まれたのは女の子でした。ヘンリー8世はこのことに失望し、愛人であるジェーン・シーモアと結婚したいと願いました。そこで、アンに不貞の罪を着せ、彼女を処刑しました。

アンの処刑前、ヘンリー8世とアンの夫婦関係は無効となったため、エリザベスは王女の位をはく奪されて庶子として生きることになったのです。

ジェーンと結婚した後も、ヘンリー8世は次々と王妃を変えました。ある者は死別、ある者は離縁や処刑と、いずれの結婚生活も長く続きませんでした。ヘンリーの6人の妻を主人公にしたミュージカル『SIX』を通して、ご存知の方も多いかもしれません。

そんな中、ヘンリー8世の6人目の王妃キャサリン・パーとの出会いが、エリザベスの運命に大きな変化をもたらします。

キャサリン・パーは、最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンの娘メアリーとエリザベスを宮廷に呼び戻して王位継承権を復活することを王に嘆願。エリザベスにはジェーン・シーモアの息子エドワードと共に高い教育を受けさせました。エリザベスは継母の元で一生懸命に学び、ギリシャ語、ラテン語、フランス語、スペイン語、イタリア語など多くの言語を習得したのでした。

ロンドン塔から王座へ。25歳の女王エリザベス1世

当時イングランドを治めていたのは、エリザベスの異母姉であるメアリー1世。スペインの王太子(のちのスペイン国王フェリペ2世)と結婚し、イングランド初の女王となりましたが、その政策は上手くいかず、国内では反乱が勃発します。

メアリー1世は、その反乱にエリザベスが加担していると考え、彼女をロンドン塔へ閉じ込めてしまいました。しかし、確たる証拠を集めることができず、エリザベスを処刑することはできませんでした。

そして1558年11月、卵巣がんを患っていたメアリー1世が亡くなり、25歳のエリザベスが女王に即位することになりました。エリザベス1世の誕生です。

“血まみれメアリー”時代の混乱を収束

当時のイングランド国内は、宗教的混乱を極めていました。ヘンリー8世がキャサリン・オブ・アラゴンとの離婚を進めるため、教皇の反対を押し切って“イギリス国教会”を設立したためです。これにより、ヘンリー8世はカトリック教会の最高指導者であるローマ教皇と決別することになりました。

一方で、娘のメアリー1世は熱心なカトリック教徒でした。女王となったメアリー1世は、カトリック以外のキリスト教徒であるプロテスタントの弾圧を命じ、国内の宗教統一化をはかりました。父による宗教的分裂を修復しようと奮起します。その弾圧は非常に厳しいもので、教会や聖職者、そして一般市民の信者も含めた多くのプロテスタントが処刑されてしまいました。この過激な行いから、メアリー1世は“血まみれメアリー”とも呼ばれました。

異母姉が新たに引き起こした混乱を鎮めるため、エリザベス1世はイングランド国教会の礼拝や祈祷を整備し、国の安定を進めることにしました。そしてこの宗教的政策が、新たな火種を呼ぶことになるのです。

イングランドを勝利へ。アルマダ海戦とティルベリーの演説

宗教的混乱を収めたエリザベス1世に対し、強い反感を抱いたのがローマ教皇庁です。ローマ教皇庁はエリザベス1世を破門し、教徒たちは彼女の暗殺を企てました。何度も命の危機を脱したエリザベス1世でしたが、ローマ教皇庁側は手を緩めることはありませんでした。

さらに、ローマ教皇庁はスペインのフェリペ2世にイングランド侵略を促し、1588年にはスペインの無敵艦隊がイングランド侵攻を開始しました。

この際、エリザベス1世は自ら馬にまたがり、戦闘の最前線であるティルベリーの基地で次のような演説を行いました。

“私は常に神の加護のもと、自らの最大の力と安全は臣民の忠誠心と善意によってもたらされるものと考えて行動してきた。ゆえに今、見ての通り、私は皆のなかに立っている。
遊びや気晴らしでここにいるのではない。激しい戦いのただなかで、皆と生死をともにする覚悟があればこそだ。
我が神、我が王国、我が民、そして我が名誉と血のためなら、たとえこの身が塵と化そうともかまわない”

イングランドの兵士たちは、女王の姿とスピーチに感激し、スペイン軍に決死の攻撃を仕掛けました。
そして、スペイン軍を見事に打ち破ったのです。

処女王(ヴァージン・クイーン)として、イングランドを豊かな国へ

エリザベス1世の元には、多くの結婚話が舞い込んでいました。国を治める立場になったからには、一刻も早く結婚し、後継ぎを産むことを望まれていたからです。しかし、彼女はそれらの縁談を受けることなく、生涯独身を貫きました。

「私はこの国と結婚しました。イングランドがわが夫、あなたがたすべてがわたしの子です」と発言したエリザベス1世は、その言葉の通り、さまざまな方法で国作りを進めていきました。

文化的側面では、ローマ時代以来と呼ばれるほどに演劇が盛んになりました。国内には数多くの劇場が作られ、ウィリアム・シェイクスピアをはじめとした多くの優れた劇作家たちが活躍しました。

また、1600年には東インド会社を設立し、東洋との貿易に本格的に乗り出しました。世界各地との貿易によってもたらされた食材や嗜好品により、国内の生活は豊かになりました。さらに、一部の特権階級に与えられていた「輸出入税独占権」を廃止するなど、エリザベス1世は常に国の良き伴侶であり続けたのです。

その偉業から、エリザベス1世は“処女王(ヴァージン・クイーン)”とも呼ばれています。そして1603年、エリザベス1世は69歳でこの世を去りました。

後継者には、エリザベス1世が生前から密かに帝王教育を施していた、スコットランドのジェームズ6世が選ばれました。

参考書籍:
『ビジュアル選書 イギリス王室1000年史 辺境の王国から大英帝国への飛翔』著:石井美樹子(新人物往来社)
『学習まんが 世界の歴史8 ヨーロッパの主権国家 絶対王政と啓蒙専制君主』(集英社)
『だから私はここにいる 世界を変えた女性たちのスピーチ』著:アンナ・ラッセル、訳:堀越英美(フィルムアート社)

糸崎 舞

エリザベス1世の偉業を改めて調べてみて、その凄さに驚きました。でも何より印象的だったのは、偉大な女王の基礎が不遇な少女時代に培われていたということです。この時代背景を知ると、ミュージカル『レイディ・ベス』で描かれる若きエリザベスの姿がより深く心に響くのではないでしょうか。