横浜の中華街に付近に位置するKAAT神奈川芸術劇場。大型ミュージカルからエッジの効いた演劇作品まで、幅広い作品を上演しています。現在の芸術監督・長塚圭史さんは、海外ではおなじみのシーズン制を劇場運営に導入しており、2022年9月からのメインシーズンは「忘」(ぼう)というシーズンタイトルのもと、7つの演劇作品を上演してきました。

今シーズンを締めくくる作品として選ばれたのは、岡田利規さん作『掃除機』。ドイツで上演され、高評価を得た話題作が待望の日本語上演を迎えます。

日本の「中高年の引きこもり」問題をドイツ語で上演し話題に。

演劇カンパニー・チェルフィッチュを主宰する演劇作家・小説家の岡田利規さん。その作品は2007年に海外進出を果たして以降、世界90都市以上で上演されてきました。

今回、KAATで上演される『掃除機』は、ドイツの公立劇場ミュンヘン・カンマーシュピーレでの上演のために岡田さんが書き下ろした作品です。『The Vacuum Cleaner』(ドイツ語上演)として岡田さん自らが演出を担当し、2019年12月に同劇場で上演されました。日本でも社会問題となっている「引きこもり」や「8050 問題」に触れ、家族の話を鋭い筆致とユーモアで描いた本作。ベルリンの演劇祭テアタートレッフェンでは400を超える作品の中から「最も注目すべき10作品」に選出されるなど、ドイツで注目を集めました。

「8050問題」とは、長年引きこもりを続けて社会との接点を持てずにいる中高年層の子どもと、それを支える高齢者の親、という家族構造を表す言葉です。『掃除機』では、引きこもりの40代の娘・ホマレ、無職の30代の息子・リチギ、80代の父親・チョウホウの3人が暮らす家の日常生活を、掃除機のデメの目線で描いています。

停滞し続ける、とある家族の風景。社会のどこかに存在しているのに置き去りにされ忘れられていく彼らの年月を、一家の掃除機だけが見ている。そんな奇抜な設定で、私たちが生きる今の社会を鋭く洞察した作品です。

演出には、言葉の立体化に長けた劇作家・小説家・演出家の本谷有希子

もともと脚本自体は日本語で書かれていたため、岡田さん自身も日本語での上演を望んでいたという本作。その脚本には、話しことばのように即興的な含みのあるユニークな台詞やモノローグなど、岡田さんが紡ぐ戯曲の特徴が詰まっています。

戯曲に描かれた多様なイメージを立体化するべく、演出を委托されたのは、現在は小説家としても著名な本谷有希子さんです。近年は小説執筆に重心を移していた本谷さんですが、2019年に自身の小説を舞台化したことをきっかけに、演劇活動を再開。新たな視点で演劇作品に取り組んでおり、追求された実験的な演出で脚本を舞台に立ち上げる手腕が評価されています。

ユニークな岡田戯曲にユニークな本谷演出を重ねて。『掃除機』日本語上演へのアプローチとは。

『掃除機』の日本語上演を演出するにあたって、事前に数回のワークショップを行い、戯曲の魅力を引き出す方法を模索してきたそうです。そのユニークな演出が光っているであろう様子は、公式ホームページでの紹介文やキャスティングからも伺うことができます。

『掃除機』上演に向けて、検討を重ねられた演出のひとつが、彼女が他の作品でも挑戦した、1つの役を複数の俳優で演じ分ける手法です。一家の父親・チョウホウ役を、モロ師岡さん、俵木藤汰さん、猪股俊明さんというベテラン俳優たちが3人1組で演じるのです。チョウホウの台詞が3者の口から語られるということは、家庭という閉ざされた環境でチョウホウが見せる多面性や心の揺らぎを、観客が感覚的に捉えることができる仕掛けと言えるのではないでしょうか。

そのほかのキャストとして、一家の長女で引きこもりの娘・ホマレ役に、松尾スズキさんやノゾエ征爾さん作・演出作品などで独特の存在感を放ってきた家納ジュンコさん、無職の息子・リチギ役に、朝ドラや舞台などで幅広い人物を演じ、居るだけで安定感のある山中崇さん、掃除機・デメ役に、俳優として成長を続ける栗原類さんが出演します。

ふたつめのユニークな演出アプローチは、ラッパーの環ROYさんによる音楽の使用です。さまざまな分野とのコラボレーションでジャンルを越えて活躍する環さんが、今回、本谷さんと初めてのタッグを組み、 岡田さんの言葉の世界に色彩を添えます。

ミュンヘンでも高く評価された岡田利規さんのユニークな作品を、本谷有希子さんのユニークな演出で日本語版として上演。その化学反応に期待が高まる、今注目すべき演劇作品です。『掃除機』はKAAT神奈川芸術劇場・中スタジオにて、2023年3月4日(土)から3月22日(水)まで上演されます。詳細は公式ホームページをご覧ください。

Sasha

『掃除機』というタイトルからはすぐに結びつかないような「引きこもり」を題材にしたこの作品。掃除機が見つめる一家は、どのような結末を迎えるのか。この作品が今の日本社会をどのように切り取っているのかが気になっています。