7月27日(土)にオープニング公演の開幕を控える『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』は、ストライキで闘うイギリスの炭鉱町を舞台に、少年ビリーがバレエの才能を開花させてプロのダンサーを目指すミュージカル。物語そのものはフィクションですが、時代背景は80年代のイギリスで実際に起きた炭鉱ストライキを題材にしています。開幕前に物語の展開を大きく左右する炭鉱ストライキについて知っておくと、舞台の感動をより深く味わえますよ。

炭鉱の町、ダラムが舞台

物語が始まるのは、1984年のイギリス北部の炭鉱町ダラム。この町で暮らす炭鉱夫は、産業革命から国の発展に貢献してきた炭鉱業に家族代々従事することに誇りを持っていました。

1幕冒頭で紹介されるニュース映像は、ダラムで毎年7月の第二土曜日に開催されるダラム炭鉱祭の様子です。映像の中では、炭鉱業の国有化のためにダラム炭鉱労働組合へ結束を呼びかける労働党の政治家ハーバート・モリソンの演説が聞こえます。

1947年に実施された炭鉱業の国有化によって産業の保護と労働環境の改善が将来的に約束されるだろうと、炭鉱夫たちは団結力を高めていったのです。当時は、ダラム炭鉱労働組合にとって最も輝かしい時代でした。

サッチャー政権による炭鉱閉鎖計画

ところが1984年になると、保守党の党首・首相であるマーガレット・サッチャーが、収益が好ましくない炭鉱を閉鎖するという政策を打ち出します。その背景には、炭鉱業をはじめとする重要産業が国有化されたことで停滞した経済成長を促す、労働党による社会保証制度の推進によって逼迫した国家財政を立て直すというサッチャーの狙いがありました。

労働党による社会保障が肥大化した「大きな政府」から自由主義の「小さな政府」を実現させたサッチャー政権は、強靭的な姿勢で経済成長を促す半面、多くの失業者を生み出します。

なぜ炭鉱ストライキが起きたのか

サッチャーが産業の合理化を阻む「内なる敵」と敵視していたのが、労働組合です。彼女はイギリス最強の組合と呼ばれた全国炭鉱労働組合(National Union of Mineworkers 略称NUM)を目の敵にし、アメリカから「労働組合つぶし」の異名を持つイアン・マクレガーを石炭庁の総裁に任命。赤字の20炭鉱を閉鎖すると宣戦布告しました。

全国炭鉱労働組合の委員長、アーサー・スカーギルはこれに猛反発し、炭鉱の閉鎖を阻止するためにストライキ突入を宣言します。

各地域の組合員がスカーギルを支持して炭鉱業を休んだことで、1984年から翌85年まで及ぶ戦後最大のストライキが起こりました。

父ジャッキーが断腸の思いで決行したスト破り

これまでの流れを整理すると、炭鉱ストライキはサッチャー政権と全国炭鉱労働組合の戦いという図式になります。しかし炭鉱夫が敵対していたのはサッチャー政権とそれに従う警官隊だけではなく、職場に復帰する仲間、いわゆるスト破りも目の敵にしていたのです。

炭鉱事業者全員が仕事をしないからこそ、政府に大打撃を与えるストライキ。そのためストライキ中に働く「スト破り」は重大な裏切り行為であり、スカーギルも炭鉱夫の就労行動を阻止するピケット(ピケ隊)を張るよう各炭鉱に指示していました。

『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』で仲間を裏切ることを承知でスト破りを決行したのが、ビリーの父親のジャッキーです。今までスト破りを蔑視していたジャッキーは、ビリーを王立バレエ学校に通わせるためには稼ぐしかないと炭鉱に向かいます。

長男のトニーや仲間の炭鉱夫から非難されても、ビリーに未来を与えたいというジャッキーの並々ならぬ決意は揺らぎません。

ジャッキーの姿に感化された仲間たちは、失業中で家計が苦しいなか、小銭を寄付したりスト破りで得た報酬を渡したりして、ビリーを入学オーディションが開催されるロンドンへと送り出すのでした。

復職者は次第に増えていき、1985年3月3日に全国炭鉱労働組合はストライキの中止を発表。舞台はバレエ王立学校に無事入学し故郷に別れを告げるビリーと、負けたものの最後まで戦ったという誇りを胸に、鉱山の地下へ戻る炭鉱夫たちの姿で幕を閉じます。

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さきこ

ミュージカルの開幕は夏休みシーズン真っただ中、そして子役が活躍する作品ということもあり、『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』を親子で観劇するという方も少なくないのではないでしょうか? 劇中ではサッチャー政権下の炭鉱ストライキの様子が印象的かつリアルに描かれているため、子どもに「炭鉱ストライキって何?」などと質問されることもあるかもしれません。 こちらの記事が、観劇やお子さまからの回答の手助けになれば幸いです・・・!