反逆者たちの首を斬り続ける王子トルと、生きることに希望を見出せずに死のうとするヴィリ。自分の存在価値とは、生きる意味とは?改めて考えさせられる大人のダーク・ファンタジーを井上芳雄さんと伊藤沙莉さん始め実力派キャストが演じます。『首切り王子と愚かな女』観劇リポートをお届けします。(2021年6月・PARCO劇場)
稽古場のようなステージ上で、繰り広げられるファンタジー
まず劇場に入って驚いたのは、幕や豪華なセットの代わりに、透明の板で仕切られた机と椅子がぐるりとステージを取り囲み、中央には木の板が組まれて置かれていたこと。まるで稽古場に入り込んでしまった雰囲気で、劇が始まる前から徐々に役者たちが席に着き始めます。伊藤沙莉さんが席を立ち木の板の側に立つと、手をスッとあげ音楽が始まる。
客席はまだ明るいままですが、徐々に役者たちの言葉により板の上が崖になり、城になり、島になる。そして客席が暗くなっていくにつれて“稽古場のような場所”はファンタジーの世界へと移り変わっていきます。人間が古来から楽しんできた「言葉で想像する」演劇。その真髄を魅せられるのは、言葉だけで物語を想像させられる役者たちの技量あってこそです。
ファンタジーと観客を繋ぐ伊藤沙莉の自然さ
傍若無人で怒りっぽく、誰からも恐れられている王子トル。普段の上品さを消し去り井上芳雄さんが演じるトルは、自分勝手でありながら何故か憎めない存在です。そして死のうとしていた時にトルと出会い、トルの召使いになることとなったヴィリは死もトルも恐れず、ごく自然体。自分を持ち上げも恐れもしないヴィリに出会ったことでトルは心を許し、はしゃぎ笑うようになります。反逆者たちを処刑し続ける「首切り王子」も、ただ城の中で与えられた「役目」なだけ。彼自身は純粋で孤独な人間なのです。
王子であるトルに向かって「いや子供かよ」と自然に突っ込むヴィリには思わず笑わされ、伊藤沙莉さんの演技力の高さに惹き込まれます。そのあまりに自然すぎる存在がファンタジーの世界と観客の繋ぎ役になってくれているのだと感じました。
城の中でうごめくそれぞれの思惑、そして徐々に荒れていく国。人間は豊かな暮らしをするために政治や秩序を作り出したのに、それに振り回され自由を失い、生きる意味すら時にわからなくなる。何かの役に立っていないと、誰からか必要とされていないと、自分の価値もわからない。それはいつの時代も同じ。人間の愚かさを感じながらも、「面倒だけど」それでも生きて、感じて、自分だけの物語を始めなければならない。今はどんなに希望がなくとも、まだ見ぬ景色を見るために走り続けなければならない。生きていく背中をそっと押してくれた作品でした。
『首切り王子と愚かな女』は7月4日まで東京・PARCO劇場にて、その後大阪・広島・福岡公演が予定されています。チケットぴあでのチケット購入はこちら