英国ナショナルシアターが厳選した傑作を映画館で観ることができるナショナル・シアター・ライブ(NTLive)。14日から公開されるのは、セーラムの魔女裁判を題材にしたアーサー・ミラーの代表作『るつぼ』です。雨が降り、天井の圧迫感も印象的な演出で、閉鎖的な村で起こる悲劇を描きます。
雨と共に、閉塞的な村セーラムへ
アメリカ・マサチューセッツ州のセイラムで1692年から93年にかけて起こった「セーラムの魔女裁判」では、2人の少女の告発をきっかけに100名以上が投獄され、19名もの人間が死刑に処されました。実話を元に描かれた『るつぼ』では、人々が日常の奥底に隠していた恨みや妬み、恐怖がやがて大きな悲劇に繋がっていく様を生々しく描いています。
告発を始めた1人の少女アビゲイルは、農夫プロクターと一夜の関係を持ったことで、プロクターへの想いが募り、彼の妻を「魔女」として告発してしまいます。抑圧されていた子供達が悲劇の引き金となっただけでなく、魔女や悪魔といった存在への恐怖、大人たちの領地争いなどが絡み合ってしまったこと。さらに裁判で悪魔と取引したことを自白するか、別の誰かを告発すれば罪を逃れられたことで、坂道を転げ落ちるように悲劇が増大していってしまいます。
リンゼイ・ターナーさんが演出、エス・デブリンさんが舞台セットを担当した本作では、上演前から舞台上に雨が降り注いでおり、村に漂う不穏な空気が客席、さらにスクリーンを挟んだ私たちにまで流れ込んでくるよう。一気に惹きつけられ、気づいた時には閉鎖的な村に閉じ込められた感覚です。
“悪魔に取り憑かれた”かのように振る舞う少女たちも、大人たちが鵜呑みにしたことで、本当に取り憑かれているような気がしてくる。告発した相手が投獄され、ましてや処刑されてしまったら、もう元には戻れないでしょう。取り憑かれたと自分に言い聞かせるしかありません。
プロクターはアビゲイルと一夜の関係を持ってしまったこと、その復讐が巻き起こした悲劇だと訴えますが、もはやその時には誰も引き返せない場所に来てしまっています。誰も少女たちの行動を“悪魔に取り憑かれた”以外に説明できないし、処刑された人々がいる以上、裁判所も簡単にはプロクターの言葉を信じるわけにはいかないのです。自分たちが大きな悲劇へと転がって向かっていて、もう誰も引き戻すことができない。そんな絶望がひしひしと染み込んでくる作品です。
閉鎖的コミュニティで人間が生み出す、“告発”の悲劇
アーサー・ミラーが『るつぼ』を発表した1953年当時、アメリカでは共産主義者を告発・追放する「赤狩り」が行われており、社会情勢を意識して魔女狩りを題材に挙げた本作は大きな話題となりました。人間は“集団で告発し糾弾する”という同じ過ちを繰り返すのです。
これは過去の物語ではありません。誰かを告発し、糾弾するという文化はSNSを中心に、現代の人間にも受け継がれ続けています。もちろん、誰もが声を挙げられること、今まで声を挙げることができなかった人が被害を告白できることは、重要かつ必要なことです。しかしその告白の真偽を確かめずに、気軽にそれを祭り上げた結果、更なる悲劇が生まれるとしたら。私たちはそろそろ、もっと言葉の1つ1つの背景にまで目と耳を澄ませ、慎重に行動すべきではないでしょうか。
また閉鎖的な村であったということも、悲劇を生んだ要因の1つであるように思います。SNSでも攻撃的な一言がまるで全人類から非難されているように感じることがあります。でも一度携帯を閉じて、目の前の家族や友人に向き合ってみたり、何かに没頭する時間を作ってみたりすると、誰かも分からない人間がどんな心持ちで言ったかも分からない言葉から、離れることができるはずです。その1つがまさに別世界へと連れていってくれる演劇であり、そんな演劇が人間の悲劇を描くというのもまた、本作が上演され続ける理由なのかもしれません。
『るつぼ』は4月14日(金)からTOHOシネマズ 日本橋ほかにて公開。上映劇場やスケジュールは公式HPをご確認ください。
セットの美しさがより悲劇さと村の閉塞感を演出。役者たちの鬼気迫る言葉の応酬に圧倒され、あっという間の約3時間(186分)でした。