6月24日に帝国劇場で幕を開けた『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』。本作の舞台である1899年ごろのフランスは“ベル・エポック”と呼ばれる、パリが最も繁栄していた華やかな時代でした。『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』作品について詳しくはこちら

パリが最も繁栄し、華やかだった時代

『ムーラン・ルージュ! ザ・ミュージカル』の舞台として描かれている世界的に有名なキャバレー「ムーラン・ルージュ」は、1889年にオープンしました。オープンから130年以上経った現在でも、多くの観客を惹きつけて止まない観光名所の1つになっています。

当時のフランスは“ベル・エポック”の真っ只中。ベル・エポックとは、主に19世紀末〜20世紀初頭のヨーロッパ、主にパリが最も繁栄したと言われる華やかで美しい時代のことです。産業革命が進み、地下鉄や自動車など交通網が発達。百貨店による消費文化が確立し、経済的にもとても豊かな時代でした。

1889年・1900年にはパリ万国博覧会が2年連続で開催されました。1889年のパリ万国博覧会では、最大のモニュメントとしてエッフェル塔が建設されます。また1900年には、動く歩道や、スクリーンで多くの人が映像を観ることのできるシネマトグラフなどで人気を集め、5,000万人近い入場者数を記録しました。また、20世紀に入ると、コルセットのない女性服が作られ、女性の社会進出・解放運動へとつながっていきました。

芸術では、マティスなどに代表される激しい色彩表現が特徴的な「フォーヴィズム」と、ピカソとブラックを中心として、1つの物体を別々の角度から見たイメージを幾何学的な形態に分解し、1つの絵の中に再構築する「キュビズム」が登場しました。

そして、ベル・エポックの象徴とも言えるのが「アール・ヌーヴォー」と呼ばれる装飾様式。「新芸術」を意味する言葉で、花や植物などのモチーフに、自由曲線を組み合わせた優美な装飾性が特徴です。また、新素材であった鉄とガラスを組み合わせた建築様式も”アール・ヌーヴォー”の代表的なもの。画家のミュシャや、サグラダ・ファミリアを設計した建築家のガウディなどが有名です。日本でも、東京駅の駅舎や三菱一号館美術館でアール・ヌーヴォーの様式を見ることができます。

多くの芸術家を惹き付けた「ムーラン・ルージュ」

Dinadesign – stock.adobe.com

ムーラン・ルージュのようなキャバレーは、様々な芸術家が集まる場所でもありました。『人間嫌い』や『ドン・ジュアン』で知られる劇作家のモリエールや、悲劇『フェードル』の著者ジャン・ラシーヌのような著名な作家達は、キャバレーを頻繁に訪れていたそうです。

ムーラン・ルージュが他のキャバレーと一線を画していたのが、曲に合わせて踊り子がスカートをたくし上げて激しく踊る「フレンチ・カンカン」というダンスを特徴としたショー。『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』でも大きな見どころとなっています。

このショーは多くの画家を惹きつけ、新しい素材とひらめきを与えました。フランスの画家トゥールーズ・ロートレックもその一人。ムーラン・ルージュに通いつめ、踊り子たちの姿を描いた絵を多く残しました。

ロートレックの代表作『ムーラン・ルージュのラ・グリュ』(1891)は、当時のトップダンサーだったルイーズ・ウェヴェール(通称ラ・グリュ)が有名なオペレッタ『天国と地獄』のメロディに合わせて踊る姿を描いた作品です。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック『ムーラン・ルージュのラ・グリュ』

「ムーラン・ルージュ」はフランス語で「赤い風車」を意味し、建物の屋根の上には赤い風車、建物の内装も赤色で華やかなのが特徴です。

『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』が上演されている帝国劇場も、劇場内に赤い風車が現れ、豪華絢爛な世界観に染まった内装が話題になっています!

数々のトップダンサーたちが活躍したというムーラン・ルージュ。その世界観をそのままに感じることができる『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』は8月31日まで帝国劇場で上演されます。詳細は公式HPをご確認ください。(関連記事「『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』舞台写真到着!6月29日初日開幕」はこちら

チケットぴあ
ミワ

130年以上経った今も、当時と同じく「フレンチ・カンカン」で人々を魅了しているムーラン・ルージュの踊り子たち。人々の娯楽は圧倒的に現代の方が進化していますが、昔の人々が「美しい」と思っていたものが色褪せずに残って、人々を楽しませ続けていることに嬉しくなります。