2人の俳優がシンプルな舞台セットで繰り広げる、英国発ホラー演劇『ウーマン・イン・ブラック~黒い服の女~』。ある男の恐怖の体験が、照明や効果音を駆使した劇空間で演じられ、世界中の観客の想像力をかき立て、震え上がらせてきました。この傑作が、2024年6月9日から30日まで東京・渋谷のPARCO劇場で9年ぶりに上演されます。向井理さんとの初顔合わせで、難役に再び取り組む勝村政信さんは、「こんなに怖ろしくて楽しい芝居があるということを劇場で目撃してほしい」と呼びかけています。作品の見どころや稽古の様子などを語っていただきました。
作品紹介
中年の弁護士キップス(オールド・キップス、勝村さん)は、青年時代、「黒い服の女」の亡霊に取り憑かれ、苦しんだ過去を持っていました。この体験を、劇場で家族たちに語り尽くすことで、長年の悪夢を追い払おうと決意。その手助けのために、若い俳優(向井さん)を雇ったのでした。
キップスと俳優の2人は、劇場でリハーサルを行うことにします。俳優が若きキップス(ヤング・キップス)を、中年のキップス自身が若き日に出会った人々をそれぞれ演じる劇中劇のスタイルで、過去の出来事が再現されていきます。劇中劇の場面が変わるたびに、現在の中年キップスと俳優に戻る「二重構造」で物語は展開していきます。
若きキップスは勤務先の弁護士事務所の顧客である老婦人の遺産整理のため、霧深き湿地帯が広がるイングランド北部へ赴きます。その老婦人は潮が引いた時にしか行き来できない土地に立つ館で、周囲の人々との交流を断ち、ひとりで暮らしていました。老婦人の名前が出るたびに、表情をこわばらせる地元の人々。若きキップスは不審を覚えます・・・。
演劇の魔法を詰め込んだ傑作
-『ウーマン・イン・ブラック』はスーザン・ヒルさんの同名小説を基に、1987年に英国で初演され、1989年からはロンドンの劇場街ウエストエンドで34年間、ロングランを続け、2023年3月に惜しまれながら終演を迎えました。世界40余国でも上演され、日本でも1992年に初演。今回が8度目の上演となります。この作品が愛される理由はどこにあると思いますか。
「ホラーに言葉は必要ありません。それに「怖い」という感情は、国も言葉も関係ない、絶対的なものだと思います。パニックとは、自分の情報量を超えた時に起きる。この台本(ホン)もすべての情報量を超えているので、どの時代でもどの場所でも怖がられて愛されるのは当然だと思いますね。海外の2人芝居は何作もやらせていただきましたが、演出も台本も含めてどれも完成度が高い。その中でも、この作品のようにストレートプレイ(せりふ劇)でこれだけ長く上演されるケースは、なかなかないと思います」
-原作小説の10数人の登場人物を、2人芝居に凝縮した脚色(スティーブン・マラトレットさん)が効果的です。現在と過去のキップスを2人が演じ分ける上、一人称の視点で過去を語ることで、彼の思いがより鮮やかに浮かび上がってきます。この仕組みは、日本の能楽や落語にも通じるものがあると感じました。
「何十年も前に「きっと日本に合う」と思って紹介された作品です。多くの人たちがつないできたバトンを、ぼくも受け継いでいきたいです」
-勝村さんは、日本初演から「オールド・キップス」を演じてきた斎藤晴彦さん(1940~2014)の後を継いで、2015年に初めて出演されました。先輩の弁護士や列車の同乗者など次々と演じ分ける役を演じた当時の思い出を教えてください。
「何役も演じる難しさよりも、段取りを覚える方が大変でしたね。(舞台袖から)1回戻ってどこで何をセッティングするのか、とか。スタッフを含めて迷子になっていました(笑)」
-これまで日本公演では、オリジナル版も手掛けたロビン・ハーフォードさんが演出を担当してきました。今回はハーフォードさんと、『ウーマン・イン・ブラック』に俳優として出演経験を持つアントニー・イーデンさんの共同演出です。
「今回はロビンさんが来日できなかったので、アントニーさんから演出を受けています。彼は『ウーマン・イン・ブラック』のすべてを熟知しています。もう、取り憑かれていると言っていいくらい(笑)。ロビンさんが作り上げた元々の演出の「型」にまず入って、そこから深く掘って、広い場所に連れて行ってくれるようなやり方。ピンポイントで演出意図を提示するなど、とても精緻です。久しぶりにがっつり演劇の演出を受けている気がします。前回のロビンさんは、広い海を自由に泳がせてくれて、気がついたら狭い池に連れていかれた感じだったので、2人の演出スタイルは真逆のアプローチですね。目指す場所は同じですけど」
守備型の人・向井さん×攻撃型の人・勝村さん
-さて、向井さんとの舞台初共演も話題です。その向井さんとは、共通の趣味であるサッカーを一緒に楽しんだこともあるそうですね。
「向井くんとは昔、一緒に試合をしたことがあります。先日も一緒に蹴りました。ポジションがセンターバックだと聞いて驚きましたね。ゴリゴリの点取り屋みたいなイメージじゃないですか(笑)。でも、今回一緒に稽古をしてみてよーく分かりました。根っからの守備の人なんだなと」
--と、いいますと?
「向井くんは理解するまでにすごく時間をかける。知識の幅も広いし深い。だから何かあった時にすぐに答えられる。それが守備なんだなと思いました。今回も1人でいろいろと考えて、自分の中で「GO」を出してから、自由になっていく感じですね。初出演なので、この戯曲をよく理解した上でキャラクターを作っていく作業をしているんだと思います」
-では、勝村さんはどのポジションですか?
「攻撃的ミッドフィールダーかな。2列目で自由に動き回っている感じ。まず感情から入って、言葉は後からついてくるだろうと思ってますから。その場で起きることに対して、テンションを上げていくタイプじゃないかな」
-守備型と攻撃型のおふたりの息の合ったコンビプレーが楽しみです。パス回しのように、弁護士のオールド・キップスと俳優役の関係性が目まぐるしく変わるところも見どころの1つです。
「大人の恐い絵本みたいですよね。ヤング・キップスは非常に強いキャラクター。でも、怖ろしい経験をしたオールド・キップスは、まるで別人です。後半、ぼくの演じるオールド・キップスは語り部となって、俳優役の向井くんが演じているヤング・キップスがずっと動いて、恐怖と2人歩きしていく。つまり、お客さんはまずぼくの言葉で想像しながら、向井くんの実際の動きを見て、より怖さを増幅させていく仕掛け。単に「怖い」だけではなくて、元々の2人の関係性や心理描写、何役ものキャラクターの面白さもありますから。楽しく笑えるエンターテインメントとしても非常に水準が高い。笑って油断した次の瞬間に、鳥肌が立ったり悲鳴を上げたり。だから余計に怖く感じるはずです。といって、ぼく自身は、ホラーが思いっきり苦手ですけど(笑)」
-「感情のジェットコースター」に乗っている感じでしょうか。沼や海霧、墓地の設定や音響の相乗効果もあります。
「この作品には被害者しか出てこない。みんながかわいそうなんですよ。歌舞伎『東海道四谷怪談』に出てくる(夫に浮気された挙げ句に毒殺される)お岩さんもそうですけれど、悪霊に対して感情移入ができるキャラクターはなかなかいない。そういう意味でも日本人の理解の深度に合っていると思います」
-最後に観客や読者の皆さんへのメッセージをお願いします。
「向井くんと一緒に作り上げる今作は、今までとは全く違うものでありながら、しかもこれまでの『ウーマン・イン・ブラック』のままです。人が変わることによって、いろいろな場所が広くなっていく――そんな作品の懐の深さを楽しんでいただければと思っています」
舞台『ウーマン・イン・ブラック~黒い服の女~』は6月9日から30日まで、東京・渋谷のPARCO劇場にて上演。そのほか、大阪、北九州、愛知でも上演されます。スケジュールの詳細は公式HPをご確認ください。
演劇の醍醐味に触れるのにもってこいの作品だとして、ロンドンでは修学旅行生たちがよく鑑賞していたそうです。演劇ビギナーにもおすすめの作品です。 【参考文献】 『黒衣の女 ある亡霊の物語』 スーザン・ヒル著 河野一郎・訳 ハヤカワ文庫 2012年