『バナナの花は食べられる』で第66回岸田國士戯曲賞を受賞した演劇集団「範宙遊泳」。常に普遍的な問いにアクセスしてきた当劇団にとって1つの節目となる作品が、2024年7月にバージョンアップして帰ってきます。作・演出の山本卓卓(やまもとすぐる)さんと、音楽を手掛けるミュージシャンの曽我部恵一さんが初の共作をすることでも注目の本作。あらすじやキャストについてたっぷりご紹介しますので、ぜひ最後までお楽しみください。

SFのようでもあり現代的な物語でもある……どこか本質的な世界観。

舞台は、隣接する2つの一軒家。
そこに暮らす2組の夫婦ともう1人、合計5人が登場人物です。

あらすじを読むと、「ゴミ捨てをめぐるご近所トラブルから見え隠れする、それぞれの秘密や亀裂。夫婦という最小単位のコミュニティから日本社会を浮かび上がらせ、罵倒や暴力の先にある人間の優しさと愛を描く。」とあります。

炎上して社会的制裁を受けたコメンテーターの夫を演じるのは、KAAT 神奈川芸術劇場プロデュース『ジャズ大名』(演出・福原充則)、ロロ『BGM』『オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト(カタログ版)』(演出・三浦直之)など、劇団外でも様々な世界観の中で新境地を開拓し続けている福原冠さん。

隣人のゴミ捨てに異様な執着をみせるその妻に、演劇ユニット・モメラスのメンバーであり『バナナの花は食べられる』(2021、2023)や本作初演(2021)に続く範宙遊泳出演となる井神沙恵さん。

また、隣人トラブルや夫婦間のささいなすれ違いに悩みながら新築の隣家で暮らす若夫婦に、多彩な小劇場演劇に参加し自身でも演劇とダンスの間の表現を探究し創作を行っている石原朋香さんと、「三転倒立」所属し、演劇ユニットせのび、ザジ・ズーなど今もっとも勢いのある最若手劇団に出演歴を持つ狩野瑞樹さん。

さらに、夫婦を執拗に追いかけるパパラッチを、作・演出の山本卓卓さんが自ら演じます。今回の『心の声など聞こえるか』は、本作をもって劇団公演では作家に専念すると宣言した山本さんが最後に演出を手掛ける作品。初演の2021年に書き下ろした“愛”の戯曲は、この数年でどう変化したのでしょうか。

なるたけやわらかく、やさしく、でもスパイシーで重厚的なものに。

山本さんは、出演者コメントで以下のように語っています。

「ひとつの言葉に複数の意味や魂を込めるのが私の仕事のひとつであると私は考えています。これは言葉の絶対性を放棄したいということではありません。例えば愛という言葉は絶対的であることを私は疑いません。
けれどもその愛も、私とは違う人間ひとりひとりの実感が生まれることによって相対的なものになっていきます。その実感の確認をするために人は人と関係をします。あるいは関係を断絶します。
そうしていくうちに絶対的な愛が、相対的な物語となっていくわけです。それを私は表現したい。してきた。というか今作でもします。なるたけやわらかく、やさしく、でもスパイシーで重層的なものに。」

最後の一文を読んで、私は感銘を受けました。それって範宙遊泳そのものだなあ、と思ったからです。

範宙遊泳のプロフィールには、こんな記述があります。

「現実と物語の境界をみつめ、その行き来によりそれらの所在位置を問い直す。
生と死、感覚と言葉、集団社会、家族、など物語のクリエイションはその都度興味を持った対象からスタートし、より遠くを目指し普遍的な「問い」へアクセスしてゆく。
近年は舞台上に投写した文字・写真・色・光・影などの要素と俳優を組み合わせた独自の演出と、観客の倫理観を揺さぶる強度ある脚本で、日本国内のみならずアジア諸国からも注目を集め、マレーシア、タイ、インド、中国、シンガポール、ニューヨークで公演や共同制作も行う。」

物語のクリエイションが私たちの生活に身近なところからスタートしている。それはやわらかいし、やさしい。それなのに、より普遍的な問いを、独自の演出を、強度ある脚本を追い求める中で、あらゆるものが混ざり合い、唯一無二で重層的な味の料理が出来上がる。

そんなとびっきりのお料理は、お店で直接、心ゆくまで楽しみたいもの。ご興味が湧いた方はぜひ、劇場に足を運んでみてくださいね。

範宙遊泳『心の声など聞こえるか』は、2024年7月6日(土)〜14日(日)まで、東京芸術劇場シアターイーストで上演予定です。詳しい情報は公式HPをご覧ください。

さよ

最初はあらすじを聞いても内容がピンと来なかったのですが、「山本さんがたった2人という家族の最小単位に日本社会の闇を凝縮しようとしている」と理解した時、演劇の世界が醸し出す特有の魅力が脳に刺さるのを感じました。人間の愛と優しさがどんな形で戯曲となるのか、とても楽しみです。