シンガーソングライターのベンジャミン・ショイヤーが自身の半生を綴った全曲ギター弾き語りのミュージカル『ライオン』。ニューヨーク・ドラマ・デスク・アワード最優秀ソロパフォーマンス賞、ロンドン・オフ・ウエストエンドの最優秀ニューミュージカル賞を受賞した本作が2024年12月、来日版・日本版の2バージョンで上演されます。来日版の主演は、本作初のリバイバル公演でベン役を演じたマックス・アレクサンダー・テイラーさん、日本版の主演は数々の作品で幅広い役柄を自由自在に演じる成河さん。さらに成河さんは、宮野つくりさんとタッグを組み翻訳・訳詞にも初挑戦。本作にかける思いを伺いました。

俳優人生をかけて挑める作品

−1年間の準備期間で全曲ギター弾き語りの1人ミュージカルという非常にハードルの高い作品ですが、それでもやりたいと成河さんを惹きつけたものは何だったのでしょうか。
「この作品のオーディションのお話を頂いた時点では台本や作品の詳細を伺えていなかったので、まずはギターを1年間もお仕事として習えるのは良いなというよこしまな気持ちですね(笑)。趣味と言えるものはギター以外にないくらい、ギターは大事な趣味で、舞台でも使わせて頂くことはあったのですが、やはり個人で技術向上するには限界があるので、ギターが上手くなるチャンスというのは魅力的でした。

出演が決まった後でどんな作品かが分かってきて、ベンジャミンの半生を本人が描いた私小説的な作品であるということは、惹きつけられました。俳優として、俳優人生をかけて挑める作品だなと徐々に気づいていったという感じです」

−既にマックスの公演の映像を100回以上観たと仰っていましたが、本作のどのようなところを魅力に感じていますか。
「この作品は父親との確執が大きな軸になっているのですが、そこに作為がないんですよね。本当にあったことを誠実に語っているので、それが魅力であり、難しいところでもあります。大きな事件らしいことが立て続けに起こるわけではないし、結末が明確に示されているわけではないので。とてもリアルであり、当事者性という湿度や温度が高くてヒリヒリしてしまうものを、音楽で表現することで適度な距離を置いて普遍化できるということが、素晴らしいのではないでしょうか」

−主人公のベンの心情に共感できることはありましたか。
「僕が一番共感できるのは、ベンのお父さんですね。ベンはお父さんが何を考えていたのだろうと考えていくわけですが、僕は100回以上観ているので、お父さんがなぜ確執を生む言動を取ったのかが分かって泣けてしまいます。

誤解を恐れずに言うと、お父さんの言動というのは、どこにでもあるようなことなんです。僕も経験がある。現代社会において多くの人に理解し、共感してもらえると思います。それはやっぱりこの作品の作為のなさがあるからこそ共感が生まれると思うし、ベンの思考を一緒に旅するということに重きが置かれているので、身近な旅路に感じてもらいたい。それが当事者ではなく、俳優がやる意味に繋がっていくのだろうと思います」

日本語は、本質的に他人に渡せないもの

−本作では翻訳・訳詞にも参加されています。翻訳・訳詞には元々関心があったのでしょうか。
「セリフの翻訳に関しては、これまでも何度か関わらせて頂いているんですよ。最近の作品では、特に喋り言葉に関しては、翻訳家・演出家と一緒に俳優が関わらせて頂いて、提案もさせて頂く現場が徐々に増えてきました。ただ音楽の訳詞というのは、そもそも英語の楽曲を日本語で翻訳するというのは不可能に近いんですよね。“なんでこの歌詞に”と思うことは何度もあるけれど、その都度提案してみては撃沈を繰り返してきていて…趣味程度に作品の訳詞を全部やってみて、これは無理だなと思ったこともあったんです。

でもやっぱり“なんで”と思うなら自分でやってみたい、という思いはずっとありました。ただ、それをやる時に共演者に迷惑がかからないというのは絶対条件です。日本語に正解はないし、その人の歌の質感でまた全く変わってしまうので。だから今回は1人で歌の質感も、全ての責任を背負うことが出来る機会なので、ここでやらずしていつやるんだ、という思いでした」

−実際に挑戦してみていかがですか。
「英語の楽曲を日本語にする時、本質的に他人に渡せないものだなと思いました。日本語には、自分にしか分からない、自分にしか喋れない日本語があるから、演じ手が別の俳優に変わったら本当はその言葉は変えていかなければいけない。それを変えずにやり続けると、どんどん喋り言葉から離れていってしまうし、自分の言葉を手放しているということになるんです。

翻訳家さんの翻訳というのは、出版物として翻訳することはできるけれど、上演となったら俳優の喋る言葉にしていかなきゃいけない。それは翻訳家さんとお話ししていても言われることです。でもまだそれをやれる日本のプロダクションはなかなかないし、俳優にもそういった共通認識がない。書かれた出版物としての日本語をいかにみんなで綺麗に美しく読むかということから、もうちょっと僕たちはアップデートしなきゃいけないなと思っています」

−稽古を経て、役作りをしていくうちに変わることもありそうですね。
「だから本当なら日本語は全て仮の状態で初日を迎えなきゃいけないですよね。でもお仕事としてそれは許されないから、難しい。ただできる限り、違うと思った日本語をそのまま喋るということは避けなければ、作品に不誠実だと思います。日本では英語で書かれた戯曲を翻訳してやる機会が多いですが、決められた翻訳を喋ることがいかにアクティングを損なっているか、僕たちはもっと敏感になった方が良くて、この作品ではそれをどう取り戻せるのか、僕なりの実験的な提案になっています」

“本番できないかもしれない”。久しぶりの感覚で、燃えました

−本作では稽古がロンドンで行われるそうですね。
「ベンジャミン・ショイヤーに会えるのが本当に楽しみですね。マックスもリバイバル公演に至るまで、コロナ禍だったこともあってベンジャミンと2年間一緒にいてギターを習ったそうですし、理屈を超えた匂いみたいなものから得られるものは膨大にあるから。なるべく同じ空気を吸って、共に過ごしたいです」

−先日はイベントでギターの弾き語りを3曲披露されました。観客の前で初めて弾きながら歌ってみて、いかがでしたか。
「恐ろしかったですね。ギターを弾きながらと言っても、単調な弾き語りではなく、ギターソロがたくさん挟まれている演奏なので、“これは本番できないかもしれない”と思いました。でもそう思うのは久しぶりの感覚で、燃えました。こういうことにチャレンジさせてもらえるのはありがたいことだなと改めて感じましたね」

−共演者がいない、一人芝居の難しさというのはありますか?
「僕は全然大変だとは思わないですね。自分の“思考”が共演者みたいになっていて、自分の中で会話しながら創っていくのですが、他人と思考をすり合わせるよりも時間がかからないですし…あとは劇場にいる観客が共演者になるので。ただ本作はお芝居として演奏を聴いてもらうシーンが多いので、誰として弾いているんだろうというのは今すごく興味があることです。僕はミュージシャンではないので、僕が僕自身として弾くとむず痒くてしょうがないし、間違えるんです。でもベンとして弾くと間違えない。それは俳優であり、ミュージュシャンではないという僕の歴史によるものだと思います。ベンジャミンはきっと逆でしょうね」

−今回はマックス・アレクサンダー・テイラーさんによる来日版との日英Wキャストとなります。マックスさんは既に『ライオン』を演じられていますが、彼の公演を見ていかがですか。
「マックスの質は保証しますよ。ちょっとギターが弾けるという次元ではないですから。俳優としても、もの凄くシンプルに本質をやる方です。そして高い技術によって、一言一言がはっきり聞こえてくる。彼の英語は皆さん聞き取れると思いますよ。ポップスやカントリーの曲調の楽曲も多いですが、音楽の雰囲気だけを伝えるのは演劇としては最悪で、マックスはそれをせず、一言一句聞こえてきます。僕はそういうのが好きで、一言でも聞こえないのは嫌なので、シンパシーも感じるし、尊敬もできます。音楽も、アクティングも、とんでもなく高い技術を持っているので、一見の価値ありだと思います。僕は彼の大ファンです」

撮影:山本春花、ヘアメイク:矢崎麻衣、協力: Artist Lounge

−成河さんは様々な作品であらゆる役柄になり、“何者にでもなれる”俳優さんという印象があります。役と向き合う時に大切にしていることは何でしょうか。
「ありがとうございます。演劇というよりも、人間として、何者にでもなれると信じてきましたし、今でも信じています。人間は、明日からでも全てを変えてしまうことができる。ただ本当は、何者にもならなくて良い“自分”というのがあって、それが掴めないから俳優をやっているのかもしれません。ショーのためというよりも、生命的に、何者にでもならないと、という危機を持っているというか。それってあまり幸せなことではないかもしれなくて、そこを超えた先に、俳優の芸術としての深みがあるのかもしれないですね。ただ今は、何者にでもなれると信じている段階です。

何者にでもなるために具体的に取り組んでいることを言うと、なるべく色々な畑を行き来するということは心がけています。劇団やカンパニーによって、そこで求められる演技や、役に対しての価値観、距離感の考え方が絶対あって、それは畑によってバラバラなんですね。日本は畑の数がたくさんあるので、自分が居心地の良さを感じる場所だけではなくて、様々な場所に、最初は居心地が悪いと感じても、行くようにしています。

『ライオン』でもベンジャミンやマックスと触れ合うことでまた考えが耕される気がしていて、こういう思考にドンピシャな企画ですよね。私小説って、当事者って何だろう。ベンジャミンとマックスともこういう話をしてみたいです」

ミュージカル『ライオン』は2024年12月19日(木)から12月23日(月)まで、東京・品川プリンスホテル クラブeXにて上演されます。公式HPはこちら

Yurika

成河さんはなぜ、“何者にでもなれる”のか。作品を拝見するたびに感じていたことをお話しできて、とても光栄でした。