お笑いの芝居を書いたつもりだったのに、「悲劇」のカテゴリーに入れられてしまった…。ロシアの劇作家アントン・チェーホフがそうぼやいたとされるのが『桜の園』。生涯の最後に書いた戯曲です。その『桜の園』の幕が、2024年12月8日から、東京・三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで上がります。シス・カンパニーの主催、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの上演台本・演出でチェーホフ四大戯曲を上演するシリーズ「KERA meets CHEKHOV」のラストを飾ります。静かで古典の名作とのイメージが強いチェーホフ作品ですが、意外な面白さを中心にご紹介。観劇のお供にお楽しみください。
本編に入る前に、「KERA meets CHEKHOV」の公式サイトを参照しながら、あらすじを確認しておきましょう。
あらすじ
19世紀末のロシアが舞台。桜の木々に囲まれた、広大な領地を持つ貴族の屋敷「桜の園」の女主人ラネーフスカヤ夫人(天海祐希)が主人公。彼女は、酒浸りだった夫を亡くし、その翌年に当時7歳の息子を溺死して失うという痛ましい過去を持っていました。傷心を癒やすかのように故郷を離れ、パリで新しい恋人と数年間暮らしていましたが、帰郷することに。そこから、この芝居が始まります。
桜の花が咲く5月、ラネーフスカヤ夫人は、迎えに行った娘のアーニャ(大原櫻子)と家庭教師シャルロッタ(緒川たまき)と一緒に戻ってきます。兄のガーエフ(山崎一)や留守を預かって屋敷を切り盛りしていた夫人の養女ワーリャ(峯村リエ)や老僕フィールス(浅野和之)は久しぶりの再会を喜びます。
実は、「桜の園」は夫人らの長年の散財がたたって、借金まみれでした。その返済のため領地は抵当に入れられ、8月22日に競売にかけられることになっていました。この家の元農奴の息子で、今は商人として頭角を現しているロパーヒン(荒川良々)は、かつての主人の家を救おうと救済策を提案しますが、ラネーフスカヤ夫人やガーエフは現実に向き合えず、浪費を繰り返します。
一方、小間使いのドゥニャーシャ(池谷のぶえ)は、屋敷の事務員エピホードフ(山中崇)から求婚をされていますが、外国帰りの夫人の従僕ヤーシャ(鈴木浩介)に夢中。そして、夫人の亡き息子の家庭教師だった大学生トロフィーモフ(井上芳雄)は、次代の理想像を、アーニャに熱く語っています。隣の地主ピーシチク(藤田秀世)は「桜の園」の状況を知ってか知らずか、借金を申し込みます。
屋敷をめぐる人間ドラマが展開する中、競売にかけられる日がやってきます。果たして、「桜の園」と呼ばれる屋敷の運命は…
ロシア革命前夜を生きたチェーホフ
チェーホフは1860年、黒海北部のアゾフ海に面した港町タガンローグに生まれました。森鷗外(1862年生まれ)と同世代で、偶然にも2人とも文学者と医者の「二刀流」でした。
チェーホフが生まれた翌年61年、ロシア皇帝アレクサンドル二世によって、「農奴解放令」が発令されました。ロシアの農奴は、領主の領地を耕し、作物を提供するだけではなく、移動・結婚の自由もありませんでした。領主は農奴を裁判にかけたり、懲罰をしたり、人身売買したりする権利まで持っていました。
チェーホフの父方の祖父は農奴出身でした。やり手だった祖父は解放令が出る前に、領主にお金を払って自由の身となり、タガンローグで食料雑貨店を開いて成功しました。『桜の園』に出てくるロパーヒンとよく似ています。
チェーホフが中学生の時、実家が破産。一家は夜逃げしますが、チェーホフだけは中学を卒業するために故郷に残り、家庭教師などをしながら自活します。その後、モスクワ大学医学部に入学。生活の足しにと、ユーモアの短編小説を寄稿するようになります。
チェーホフの青年期、アレクサンドル二世は上からの近代化革命を推し進めますが、貴族や領主たちの反発に合って立ち往生。変革を求める都市部の知識人たちは不満を募らせ、帝政を打倒し、農村共同体を核とした新しい社会をつくろうという運動が生まれます。中には過激化してテロに走る人も出てきて、アレクサンドル二世は1881年、暗殺されました。この時、チェーホフは21歳。社会運動は厳しい弾圧にあいますが、埋み火のようにくすぶり続け、ロシア革命へと続く導火線となります。
一方、チェーホフは30代半ばから、のちに四大戯曲と呼ばれる『かもめ』『三人姉妹』『ワーニャ伯父さん』を次々と発表しました。タッグを組んだのは、演技指導法の考案者で知られる演出家スタニスラフスキーらのモスクワ芸術座でした。
1901年ごろ、チェーホフは『桜の園』の執筆に取りかかり始め、1903年秋に書き上げました。そのころには既に持病の結核が悪化していました。04年1月、『桜の園』がモスクワ芸術座で初演されますが、半年後に44歳で世を去りました。日露戦争中の05年1月、政府軍が市民に発砲、多数の死傷者が出た「血の日曜日」事件をきっかけに、第1次ロシア革命が起きます。
ロシア革命前夜の不穏な時代を生きたチェーホフ。『桜の園』にも、危機を目前にしながら立ち尽くす没落貴族ラネーフスカヤ夫人、ガーエフと、のし上がっていく元農奴の商人ロパーヒンという当時の社会情勢が映し出されています。
『桜の園』は喜劇か、悲劇か
実は、『桜の園』のサブタイトルは「喜劇4幕」です。冒頭でご紹介した通り、『桜の園』はお笑いの芝居であると、チェーホフは事あるごとに手紙などで主張しています。その一部を引用してみますと―(『チェーホフ、チェーホフ!』)
「この戯曲をコメディと名づけます」
「出来上がったのは、ドラマでなくて、コメディ、ところどころファース(笑劇)です」
「戯曲全体が陽気で軽みのあるものです」
しかし、チェーホフの思惑をよそに、戯曲を読んだスタニスラフスキーたちは思わず涙をこぼしたといいます。公演のポスターや広告では「ドラマ『桜の園』」と表記されてしまい、チェーホフはご立腹だったそうです。(「チェーホフの『桜の園』について」)
「誤解に始まって、誤解に終わる―それが僕の戯曲の運命なんだね」(『チェーホフ、チェーホフ!』)とまで書いています。
『桜の園』は喜劇だと広く受け止められない代わりに、日本などでは「静劇」と呼ばれることも。その理由は、次の二つが考えられます。
一つ目は、登場人物たちが動かないこと。競売の日が刻一刻と近づいているのに、ラネーフスカヤ夫人たちは打開策を図ろうとしません。劇的な出来事やアクションは起こらず、いたずらに時が過ぎていくだけ。競売の攻防も舞台上では描かれません。
二つ目は、ト書きにおける「間」の多さです。一体、何回「間」が書かれているのでしょうか。岩波新書『チェーホフ』によると、34回もあるそうです。
「間」は話の流れを一時停止します。これだけ多いと、テンポよく展開するのはかなり難しいのではないでしょうか。初演はかなりゆっくりとしたテンポだったといい、このことに対してもチェーホフは不満を抱いていたようです。
故・宇野重吉さんは、この「間」について次のように読み解いています。
「チェーホフにとって、(間)とは必ずしも時間を意味しない。頭のなか、心のなか、胸のなか、腹のなかなど、内意の微妙な揺れ動きを、ここは書いておいたほうがいいと思われる箇所へたいがい(間)として書き入れている」(『チェーホフの『桜の園』について』)
まるで、漫画『タッチ』に出てくる「…」のようです。
チェーホフがお笑いの芝居にこだわる理由
『桜の園』は果たして喜劇なのか、悲劇なのか。この問題は、多くの演劇関係者の間で議論を呼んできました。喜劇を書いたつもりなのに悲劇だとされたエピソードを織り交ぜて、チェーホフの評伝劇『ロマンス』(2007年初演)を書いたのが、故・井上ひさしさんです。
なぜ、チェーホフは面白い話の筋や音楽、お笑いの芝居「ヴォードヴィル」にこだわったのか。井上さんは、少年時代の原点にあると『ロマンス』で描きました。
チェーホフは故郷タガンローグでの少年時代、地元の劇場に足繁く通い、「ヴォードヴィル」に熱中しました。見た芝居を友人たちと演じたこともありました。「いつか面白いヴォードヴィルを書きたい、人々を幸せにする話を書きたい」と願っていました。
『ロマンス』には、チェーホフが診察した重度の患者が、「笑い」によって回復したエピソードも盛り込まれています。チェーホフにとってヴォードヴィルを書き、大衆に喜んでもらうことは、医師の治療行為と同じだったと思います。
それに加えて、井上さんは、「笑劇の手を使って何気ない日常のなかに潜んでいる異常を見つけること、同時に異常のなかに普遍性を発見すること、これがチェーホフのいうヴォードヴィル」と受け止めていました。(『この人から受け継ぐもの』)
『桜の園』に触れてみて、チェーホフのいうヴォードヴィルをどう感じるかは人それぞれだと思います。私の場合は、次のようなイメージでした。あまりにもつらく、悲しい状況になると、「もう、笑うしかない」。ハハハ…と笑うと少し肩の力が抜けて、「笑えるなら、まだ自分は大丈夫だ」と思えたことが、今まで何度もありました。その時の感覚と似ているような気がします。
『桜の園』には、さまざまな社会的階層や異なる性格の登場人物が登場します。ビリヤードのことばかり考えているガーエフ、断られても何度も借金を申し込むピーシチクのように懲りない面々の中に、当時のロシアの世相や日常生活が浮かび上がってきます。
チェーホフは4大戯曲に取り組む前、口癖のようにこう語っていたそうです。
「すばらしいヴォードヴィルが一遍でも書けたら、そのときはね、もう死んでもいいんですよ」(『チェーホフ論攷 回想と評論』)
生涯の最後にヴォードヴィルの夢を託した『桜の園』。今回の公演は、どのような舞台になるのでしょうか。
【参考文献】
『この人から受け継ぐもの』井上ひさし・著 岩波現代文庫 2019年
『チェーホフ』 浦雅春・著 岩波新書 2004年
『チェーホフの『桜の園』について』 宇野重吉・著 麦秋社 1978年
『チェーホフ、チェーホフ!』 桜井郁子・著 影書房 2011年
『チェーホフ劇の世界 その構造と思想』佐藤清郎 筑摩書房 1980年
『チェーホフの生涯』イレーヌ・ネミロフスキー著 芝盛行・訳・解説 未知谷2020年
『桜の園』 アントン・チェーホフ・著 小田島雄志・訳 白水Uブックス 1998年
『チェーホフ論攷 回想と評論』 中村融・編訳 三學書房1943年
コメディエンヌとして抜群の存在感を示す天海祐希さん。ラネーフスカヤ夫人をどう演じるのか、とても楽しみです。