東日本大震災の後、私たちニッポンの社会は何が変わり、何が変わらなかったのか…。そんなことに思いを巡らせる二兎社の舞台『こんばんは、父さん』が、2012年の初演以来、12年ぶりに上演されます。風間杜夫さん、萩原聖人さん、竪山隼太さんを新キャストに迎え、12月6日、東京・六本木の俳優座劇場で開幕します。風刺の笑いで現代を撃ち抜いてきた作・演出の永井愛さんに、「今」の政治情勢をどうみるのか、お話を伺いました。作品をより深く味わうヒントとして、戦後日本経済史の各時代を象徴する登場人物3人の設定や時代背景についても、詳しく解説してもらいました。舞台稽古中の写真もお届けします。
あらすじ
廃墟となった町工場が舞台。機械の台座や工具棚などが残され、廃材が山積みになっている。ある秋の夕刻、世代の異なる3人の男が顔を付き合わせる羽目になる。このうち2人は佐藤富士夫(風間杜夫さん)とその息子の鉄馬(萩原聖人さん)。富士夫を追ってきたのが、借金取り立て役の山田星児(竪山隼太さん)。3人の間では、世代間ギャップや思惑のズレからくる丁々発止のやり取りが続く。夜が深まるにつれ、それぞれが抱える「崖っぷち」の事情が明らかに…。
これまでの立ち位置も揺れ動く中感じたこと
―初演は東日本大震災翌年の2012年でした。
「執筆のきっかけの一つは、やっぱり3・11の大震災が起きたことですね。原発事故で先が見えなくなって、情報が隠されているんじゃないかという疑いが生じた。それまでは、日本は民主主義の国で経済大国、先進国だという意識を多くの人が持っていたと思います。でも、いったん大災害が起きたときに、いろいろなことが立ち後れていることがあらわになりました」
―そういえば福島第1原発事故で起きた炉心溶融(メルトダウン)は発生直後、公表されず、のちに東電社長が「隠蔽」と認めて謝罪した一件がありました。
「情報にしろ物資にしろ、この国は意外とダメなんじゃないか。国民の命が最優先されていないのではないか。そう思うのと同時に、そういう国を作ってきたのは他ならぬ自分たち。自分たちがこの国に対して抱いていたイメージが幻想だったような気がして。じゃあ、私たちのこれまでは一体、何だったの? という不安定な地点に一人一人が立たされたと思います。まるで霧が立ちこめたような状態で、これまで「これが世界だ」と信じていた枠組みが見えなくなるくらい狼狽しました。来年再来年のことさえ考えるのが、あのときは難しかった。あんなことは生まれて初めてでした。これまでの立ち位置がずるずると動く中で感じたことが、『こんばんは、父さん』につながったと思います」
―12年経った今、その感覚はどうなったでしょうか。
「何も解決しないまま、それがすっかり日常になった怖さをすごく感じています。一層、崩壊していますよね、世界的にも。戦争は拡大しているし、人権侵害も公然と行われているし。時代は進んでいたはずなのに」
―震災直後、助け合う人たちの姿を見て、世の中が良い方向へ進むのではないか、そんなかすかな希望も生まれたように思うのですが…。
「…あきらめムードが広がったんじゃないですか。それでいいと思っているわけではないけれど、闘うエネルギーが出なくなった。その理由の一つには、民意が分かっていても、どうやっても動かない国に対する徹底的な絶望感があると思うんです。若い世代にとっては、それがむしろ当たり前になっている」
―先日の衆院選で投票を棄権した若者へのインタビューで同じような意見を聞きました。そうなって考えてみると、本作の舞台の廃工場が、古いままで停滞している日本の現状そのもののように見えてきました。
「本当にそうですね。「動かない」ということは人を堕落させます。問題の所在が見えていても野ざらしにされて、朽ち果てていく姿を見せられていると、こっちも浸食されていくような気がしますから」
たたき上げの父が望んだスーツ姿の息子
―永井さんといえば、生活苦で働きに出た元セレブ主婦の『パートタイマー・秋子』、樋口一葉の『書く女』など、有名無名の女性を主人公にした作品を多く発表してきました。その中で、男性だけの芝居は珍しいそうですね。
「男性3人芝居を書こうと思ったのは、日本経済をけん引してきたのは男性たちだから。徹底した男社会の論理でね。『こんばんは、父さん』に出てくる父さんとその息子、そこへ絡んでくる闇金の借金取り立て役の若者の3人の人格形成は、それぞれが育った時代の日本の経済事情に影響を受けています」
―では、3人の人物設定と、新キャストの皆さんへの思いをお聞かせください。まずは70代の父さん・富士夫からお願いします。
「父さんは、皆が貧しかった終戦直後に育ち、高度経済成長期に集団就職で都会に出てきました。最初は工場の工員となり、その後、独立して町工場を経営、バブル経済の波に乗って第2工場をつくり、設備投資をして―と、経済発展をそのまま自分の人生のサクセスストーリーにしてきたような人。それがバブル崩壊も経験して…ということですね」
―初演で故・平幹二朗さんが演じた役に、今回は風間さんが挑みます。
「風間さんとは今まで全くご一緒したことがなくて…。でも、平さんとはまた違う味わいの面白い「父さん」になると思ってお願いしてみたら、念願かなって出て頂けることになりまして、私は毎日ドキドキです(笑)。風間さんは若い頃から演劇界のあこがれの的だった方ですし、テレビドラマもよく見ていました」
―風間さんに対してどんな印象をお持ちですか。
「現実的な肌触りや皮膚感のあるせりふ、身体と密着した物言いで、リアリティーを出すのがとてもうまい方だと思います。それが本当に面白いですね。これまでありとあらゆる役を演じてきたので、いろいろな引き出しがある。何でもできる方なので、風間さんの気持ちが通りやすくなる動線を探っていくのが私の役割かな。この先のジャンプする部分は、風間さんにしか分からないと思います」
―時代設定は初演時と同じ2012年ですね。
「この作品を書いた12年前、父さんの世代は私の父親世代の少し下ぐらいでした。私は風間さんの二つ下で、ほぼ同世代。高度経済成長期はちょうど子供で、がむしゃらに働く大人たちをよく見ていた。そのがむしゃらな価値観に対して、もの申した全共闘世代です。今回は、その世代の風間さんが、もの申した対象である父さんを演じるということになります」
―父さん世代とは距離があり、よく観察していた分、リアリティーがより出せるということでしょうか。次に、息子・鉄馬を演じる萩原さんはいかがでしょうか。
「萩原さんも二兎社の公演に初めての出演です。後で知ったのですけど、萩原さんは風間さんと以前から親しかったそうです。というのも萩原さんのお母さんと風間さんがマージャン仲間でいらして。子供だった萩原さんは入れてもらえず独学でマージャンを学んで…」
―今やプロ雀士としてもご活躍中ですね。
「洞察力と研究心のたまものでしょうね。萩原さんと風間さんは、本当の親子のようななじみ方なんです」
―一方、劇中の富士夫と鉄馬の親子関係は、なかなか複雑そうですが…。
「鉄馬は、工場の二階の狭い住居からシャンデリアのある家に引っ越し、私立の中学校からエスカレーター式で大学まで進学しました。これは父さんが鉄と油にまみれた生活を息子にはさせたくない、スーツを着て生きていってほしいと敷いたレール。鉄馬も父さんの期待に応えて、父さんの工場の取引先の一流大手メーカーに一生懸命頑張って入社して、出世頭になる。すべてうまくいっていたはずが…という設定です」
―萩原さんによる鉄馬はどんな感じになるのでしょうか。40代という設定です。
「鉄馬は当然、十分に大人。だけど、父さんと一緒にいるとやはり息子になる。そういう感受性のある、繊細なところを出してもらえると期待しています」
―親が「良かれ」と思って子供に生き方を強いることは、今もよくあることです。限度を超えた場合だと、最近では、「教育虐待」と呼ばれるようになりました。
「昔は子供の人権という考え方はなかったじゃないですか。しつけという名目の下に強制して子供が不幸な目に合っているケースもたくさんあった。根底には親の抱く成功への価値観があって、それが家族関係を圧迫していた。そういう視点から親子関係は今、見直されてきていると思います」
―この親子に絡んでくる「第三の男」が、闇金の借金取り立て役で20代という設定の山田星児です。この役を演じる竪山隼太さんとの出会いを教えてください。
「竪山さんは二兎社のワークショップに出てくれたことがあるんです。劇団四季や故・蜷川幸雄さん率いる「さいたまネクスト・シアター」、数々のプロデュース公演で鍛えられて、演技プランを様々に考えてはチャレンジする人。この芝居では、星児という若者が重要な役割を果たします。素性が全く描かれない役だからこそ、本当にそこにそういう人がいるんだという実在感が出せればと期待しています」
―星児の境遇も今どきの若者世代を象徴していますね。
「彼個人のことをいうと、ブラック企業の社員で、未来も見通せないし、非常に不安定な状態に置かれています」
―劇中では派遣切りや非正規の問題なども、話に出てきます。お伺いしていると、「虫の目」で小さな家族の物語を見つめつつ、「鳥の目」で戦後日本経済史を俯瞰する舞台だと感じました。見どころを教えてください。
「なんといっても風間さんと萩原さんの刻々と変化するやりとりのおかしさ、そこに絡む竪山さんの、あの手この手の働きかけを楽しんでほしいですね。悲惨な状況を選んではいますが、否定しきれない人間の美しさ、愚かさの中に光源のようなものが見えてくるといいなと思っています。この芝居はタイトルに「こんばんは」とある通り、夕方から始まる一夜の話です。経済的な成功に幸せを求めた父と息子は、すべてを失ったあとどうなるのか…。この親子のドラマに、廃屋となった町工場で実際に立ち合っているかのような、臨場感のある芝居にしたいと思っています」
―会場は2025年4月末での閉館が決まっている俳優座劇場です。
「私は昔、俳優座に入りたかったんです。閉館する今の劇場でなくて、立て替え前の小さな劇場に通い詰めていました。演劇を志した象徴的な存在である俳優座の劇場の空気を、最後に体験できるというのは感慨深いものがあります。あそこにはきっと千田是也さん(1904~94)をはじめ、先人の演劇人たちの魂が宿っていると思います。この芝居を上演できるのはとてもうれしいですね」
『こんばんは、父さん』は、歴史を重ねてきた老舗劇場の空気の中で、どんなドラマを紡ぎだすのでしょうか。ぜひ目撃してください。舞台『こんばんは、父さん』は2024年12月6日、東京・六本木の俳優座劇場にて開幕。全国巡演を含むスケジュールの詳細は公式HPをご確認ください。
風間さんと言えば、『セールスマンの死』(KAAT 神奈川芸術劇場)で演じた過去の栄光にすがり、現実を直視できない男ウィリー・ローマンが思い出されます。軽みと重みの絶妙な綱渡りで見せたリアリティー。今回の富士夫はどんな人物として私たちの前に現れるのでしょうか。