2018年に読売文学賞を受賞、世界中で翻訳された平野啓一郎さんの傑作小説で、映画化もされた『ある男』が、世界初演ミュージカルに。音楽をジェイソン・ハウランドさん、脚本・演出を瀬戸山美咲さんが手がけ、城戸章良役を浦井健治さん、ある男・X役を小池徹平さんが務めます。浦井さん、小池さんに初演の作品作りの様子や本作への想いを伺いました。
音楽に溢れた「色彩豊かな作品に」

−ジェイソン・ハウランドさんの手がける音楽が固まってきたということですが、作品を通しての印象はいかがでしょうか。
浦井「楽曲が最終的に決まるまでにも色々な試行錯誤があったのですが、ジェイソンさんならではの力強さのある楽曲もあれば、役に寄り添った楽曲もあって、色彩豊かな作品に仕上がっていると思います。原作や映画がある中で、どんな風にミュージカルになるんだろうと個人的にも思っていたので、良い意味でミュージカルになっているなと感じていただけたらいいですね」
小池「ワークショップの当初に思っていたよりも楽曲の数が多くなった印象です。ディスカッションを重ねていく中で、“ここも歌にしましょう”というやりとりが行われて、ちょっとした一言もリプライズになるなど、ミュージカル的な要素が強い作品になっていると思います。ミュージカルでは楽曲のパワーが強いので、だからこそ演劇的なお芝居の部分でもちゃんと支えていかないと、という思いが強まっています」
−それぞれが演じる役柄や、演じる上で大切にしたいポイントを教えてください。
浦井「城戸は依頼をきっかけに、ある男・Xを調べていくことで自分を見つめ直し、人生観が変わっていく役柄です。恵まれた環境に見えていたけれど、色々なものが剥ぎ落とされていった時に、何が一番の幸せで、美しい景色とは何なのか。愛とは何なのか。そういったことをXから学んでいきますし、壮絶な生き様はフィクションではあるけれども、あったかもしれない物語に想いを馳せることが大切なのかなと思っています」
小池「Xは城戸が物語を通してずっと追い求めていく人物なので、こういう人だったんだという人となりをいかに印象的に表現して、皆さんに納得していただけるかというのを大事にしたいですし、丁寧に描きたいなという思いが強いです。彼にどんな壮絶な過去があったのか、どんな想いを抱えていたのか、短いシーンでも表現できるように…そこは今稽古でもの凄く模索しているところです」
−製作発表では、城戸とXが時空を超えてデュエットを歌う楽曲「暗闇の中へ」が披露されました。お2人のシーンを楽しみにされている方も多いのではないかと思います。
小池「この作品はとても幻想的な描き方をしていて、例えばXの過去を演じている時に、過去の映像を見ているかのように同じ舞台上で城戸が見ているシーンもあります。時間軸では交わることのない2人ですが、そうやって同じ舞台上に存在するシーンは多いですし、Xは城戸に“新たな人生をせっかく手に入れたのに、もう来ないでくれ”と訴えかけたり、城戸はXに対して“どういう人物なんだろう”と問いかけたりします。2人で歌う楽曲も1曲だけではないので、楽しみにしていて頂けたらなと思います」
「分からない」アイデンティティと向き合い続ける

−初演ということで色々と大変な面もあると思いますが、稽古場の様子はいかがですか?
浦井「別作品の本番で、稽古に参加できない期間があったのですが、キャストの皆さんもスタッフさんも、“おかえり”と言ってくれて、その間に進んでいたことも教えてくれたり、家族のようなカンパニーだなと感じます」
小池「頼もしい健ちゃんが戻ってきてくれると稽古場がグッと締まったなと感じますし、お父さんがようやく戻ってきてくれたなという感じですね。初演なので日々変更点も凄く多くある中で、役者みんなでどういう方向性に芝居を持っていったら良いだろうかと話し合う機会も多くなってきている印象です。複雑なテーマの作品ですし、歌で流れていってしまわないように、しっかりとシーンの意図をお伝えして、本質的なものが薄れないようにするためにはどうしたら良いかというのを重点的に話し合っています」
浦井「もちろん演出ありきではありますが、最終的に物語を届けるのは自分たち役者でもあって、どういう立ち位置で作品作りをするのがベストなのか、初演の難しさを改めて感じます。ただ僕自身は城戸というXを探っていく役柄なので、ある意味俯瞰している部分もあって、そんなところも大切にできると良いのかなと考えています」
−本作では戸籍、人種など自分は何者であるのか、アイデンティティについて深く考えさせられる作品で、そこに対する根深い差別なども描かれます。お2人は作品を通してアイデンティティについてどのように向き合われていますか。
浦井「今は、アイデンティティについて言葉にすると、思いもよらない方向に向かってしまうこともある時代だなと思います。ナイーブなことだけれど、ついては歴史でもあり、現代の社会問題でもあり。アイデンティティって何だろうと考えたときに、考えるきっかけになるかもしれないけれど、そこから辛い出来事に繋がってしまう悲しさも含んでいる。でも何でもそうだと思いますが、考えることが大事で、だからこそ、この作品が舞台化されることは、凄く演劇的で意味のあることだなと感じます」

小池「この作品をやるにあたって、取材でアイデンティティに関する質問というのはたくさん頂いて、色々と考えているのですが、凄く答えが難しいなと思います。自分ってどういう人間なのかと問われると、よく分からないなと思うんです。状況によってしっかりしなきゃいけないと思う自分もいれば、だらけている自分もいるし、役者をやらせてもらっている身からすると、ある種Xのように、色々なフリをして他人の人生を生きるわけです。フリではあるのですが、やはり役によっては引きずられて落ち込んだりするし…。
でも何者かになろうとすることで、自分に良い影響を与える時もあると思います。誰かの生き方に勇気をもらって、自分も頑張ろうと思えるのは素晴らしいなと思いますし。ただXは嘘をついて、他人になったからこそ愛を手に入れていて、嘘をつかなければ幸せに生きられる部分もあったわけで。色々と考えると、今はこの“答えは出ない”というのが僕の答えなんじゃないかなと思います。
皆さんも本作を通して、自分自身と向き合ったり、勇気をもらったり、もしくは考えさせられて答えが見つからなかったりすると思うのですが、そのどれもがそれで良いのだと思います」
「浦井健治はバケモノ」「徹平には分かられてしまう」

−改めてお互いの役者としての印象はいかがですか。
小池「改めて、この人はバケモノだなとカンパニー一同驚いています。圧倒的に出番も台詞量も歌の量もあるのに、本当に他の作品の本番をやっていたのか?と疑問に思うほど、すぐにやってのけてしまう。口に出して大変だとも言わないですが、見えないところで、本番の合間や休演日、疲れて帰ったホテルでめちゃくちゃ勉強していない限り絶対に出来ないと思います。僕らでさえ、日々新曲が出来上がって覚えるのに必死なのに、稽古場に合流して2日3日でもう2幕のほぼ最後まで行っていますから。浦井健治はバケモノだなと。浦井健治、やばいです!」
浦井「いやいや、そう言って頂けてありがたいです。自分は皆さんに追いつけるようにやらなきゃという思いでいっぱいなんだけど、そういう時に異変をすぐに察して稽古場で“チョコ食べる?”とか話しかけてくれるのが徹平なんです。徹平はもの凄く周囲を見ているし、だから分かられてしまう。徹平の明るさや、人間味溢れる部分に救われます。もちろん他の皆さんも、第一線で活躍している方たちばかりなので、今必要な言葉はこれだろうな、じゃあこの人が話しかけようか、という会話を阿吽の呼吸で、空気で飛ばせる人たちなんです。まだ本番前ですが、違う作品も一緒にやりたいなと思う素敵なカンパニーです」
−お2人は20代の頃は爽やかな役柄を中心に魅了されてこられた中で、近年は役柄をどんどんと広げられ、怪演と話題になることもあるお2人でもあると思います。そういった変化はご自身で感じられていますか?
浦井「自分自身のことは自分が一番分からないと個人的には思いますし、だからこそ役や戯曲から数多くのことを学ばせてもらっていると思います。そういう中で、徹平が巷で怪演と言われるような役柄に果敢に飛び込んでいく姿は魅力的ですし、自分も頑張らなければと触発もされます。国民的スターでありながら、根っからの役者なんだなと、それが徹平の凄さだなと改めて感じます」
小池「役者をやっていて色々な役を頂けるというのは本当にありがたいことです。昔は爽やかな役ばかりしか来なくて、このままじゃ役者として駄目だと、殻を破りたくて色々な作品や芝居を吸収して、自分の可能性や人生経験を増やしてきました。その結果、役が広がっていって、今は良い意味で裏切れる存在になれたんだなと楽しんでいますし、ずっと悩んできたことが武器に変わっていっているというのは、頑張ってきて良かったなと思います。
健ちゃんもそうやって挑戦し続けた結果が今の役の幅広さに繋がっているんだと思うし、体力的にも大変になってくる中で舞台に立ち続ける凄さを本当に感じます。『デスノート THE MUSICAL』では死神リュークを演じると聞いて、次は死神か、面白そうだな、楽しみだなと思わせるのは、健ちゃんの表現者の豊かさがあるからだと思います」

ミュージカル『ある男』は2025年8月4日(月)から8月17日(日)まで東京建物 Brillia HALL(豊島区立芸術文化劇場)にて上演。その後、広島・愛知・福岡・大阪公演が行われます。公式HPはこちら

楽曲「暗闇の中へ」は公式HP・ホリプロステージのYouTubeチャンネルで観ることができます!ミステリー要素もある本作が、どのようにミュージカルになるのか楽しみですね。