ドイツ軍の侵攻が迫る第一次世界大戦下のパリで、エキゾチックなダンスと神秘的な魅力で人々の心を掴んだダンサーがいました。彼女の名はマタ・ハリ(1876-1917)。一世を風靡したマタ・ハリでしたが、ドイツ軍のスパイとしてフランス軍に逮捕され、銃殺されてしまいました。その美貌と衝撃の最期から、女性スパイの代表的存在として、後世にも広く知られています。

そのドラマチックで謎に満ちた人生をモデルに、映画やバレエなど多くの芸術作品が生み出されました。特にフランク・ワイルドホーンの優れた楽曲で展開されるミュージカル『マタ・ハリ』は、マタ・ハリとその恋人アルマンの悲恋を描き、多くの人々に愛される作品です。

実在したマタ・ハリとは、一体どんな人物だったのでしょうか?その生い立ちから銃殺されるまでの人生を解説します。

マタ・ハリの生い立ちとは?運命を変えたパリへの道

マタ・ハリは本名をマルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレといい、1876年にオランダ北部で生まれました。

帽子屋を営む父・アダムは地元の名士で、オランダ国王の公式訪問の際には旗手に選ばれるほどでした。しかし、1890年に父の事業が失敗して両親が離婚し、翌年には母が病死したことで、マタ・ハリは孤児となってしまいます。叔父に引き取られた彼女は、上流階級の寄宿学校へ入学することになりました。

その後、オランダ海軍士官のルドルフ・マクラウドと結婚してふたりの子供に恵まれたものの、夫婦仲は冷え切っていました。満たされない結婚生活の中、マタ・ハリは当時生活していたインドネシアの文化を学ぶことに没頭しました。言語はもちろん、衣裳や神話、さまざまな宗教を学んでいきます。

やがて息子が急死してしまったことをきっかけに、ルドルフと離婚したマタ・ハリ。傷心の彼女は、新天地であるパリへと向かいました。

パリでの大ブレイク。ベル・エポックでのダンサー時代

当時のパリでは、ベル・エポック(良き時代)と呼ばれた芸術文化の進展が絶頂期を迎えており、人々はさまざまな芸術に対し、華やかさや革新を求めていました。

そこでマタ・ハリは、あるサロンでオリエンタル(東洋的)なダンスを披露しました。これが大喝采を浴びて、彼女はたちまち「ヒンズーのダンサー」としてスターの座を手に入れたのです。

やがて、興行師のガブリエル・アストリュクの庇護を受けることになったマタ・ハリは、高額の出演料を手にしてステージに立ち続けました。その暮らしぶりは豪勢で、毛皮やドレス、宝石などに惜しげもなくお金を使っていたといいます。

しかし、当時のパリには多くの新進気鋭の才能を持つ女性たちがいました。

モダン・ダンスの先駆者となったイザドラ・ダンカン(1878-1927)や、フランスの三大女優のひとりとして知られるサラ・ベルナール(1844-1923)など、強力なライバルたちの出現は、彼女の人気に少しずつ影を落としていったといいます。

二重スパイ容疑での逮捕。銃弾に倒れたマタ・ハリ

実は、マタ・ハリがどのような経緯でスパイとして活動することになったのか、正確な情報はわかっていません。

しかし、当時社交界の華であったマタ・ハリは、政治家や軍の高官、貴族など、戦争における多くの重要人物たちと愛人関係にありました。彼女の人脈に着目したドイツ軍から、スパイになるように命じられた、との説が有力です。

また、彼女の人気が衰退し、次第に金銭面で苦労するようになったことから、多額の報酬のためにスパイの任務を請け負ったのでは、とも考えられています。

そんな中、マタ・ハリに疑惑の目を向けたのが、フランス諜報局の大佐であるジョルジュ・ラドューでした。彼もまた、マタ・ハリにフランス軍のスパイとして働くよう提案していた人物でした。やはり金銭的に苦しい状況にあったマタ・ハリは、ドイツ軍の機密情報を手に入れると約束してしまいます。

しかし、その作戦は失敗し、二重スパイの容疑で逮捕されてしまったマタ・ハリ。その後、充分な裁判を受けることもできず、銃殺刑を宣告されてしまいました。

そして1917年10月5日、マタ・ハリは12発の銃弾を受け、41年の人生に幕を下ろしました。通常、処刑の際には縄で縛られ目隠しをされる決まりでしたが、彼女はそのどちらも拒否したと言われています。

近年生まれた冤罪説も。マタ・ハリは無罪だったのか?

近年、マタ・ハリの容疑は冤罪だったという説が囁かれ、彼女の無実を訴える動きが広まっています。

2001年には、マタ・ハリの生地であるオランダのレーワルデン市が冤罪を主張し、フランス法当局に再審の請求をしています。しかし、その際には無実であるという有力な証拠がなかったために、有罪判決は覆りませんでした。

しかし、マタ・ハリの処刑から100年目にあたる2017年には、ニューヨーク・タイムズ紙が、オランダで彼女の人生が再評価され、その死が偲ばれていることを取り上げています。これらの世界的な動きからも、マタ・ハリへの見方が徐々に変化していることがわかります。

ミュージカル『マタ・ハリ』では、ラドゥー大佐に弱みを握られたマタ・ハリが、不本意ながらスパイの仕事を引き受けるという展開が描かれています。

マタ・ハリが本当に「悪女」だったのか、その真実は未だに謎に包まれたままです。真実がわからないからこそ、彼女の生涯は多くの人を惹きつけるのかもしれません。

参考文献:
『マタ・ハリ伝 100年目の真実』著:サム・ワーへナー、訳:井上篤夫(えにし書房)
『スケープゴートが変えた世界史(下)マリー・アントワネット、マタ・ハリからラスプーチンまで』著:ヴァンサン・モテ、訳:太田佐絵子(原書房)

糸崎 舞

マタ・ハリについて調べるうちに、彼女の本当の顔がますますわからなくなりました。ですが、ひとつ言えるのは、真相はどうであれ、マタ・ハリは戦争の犠牲になった人物のひとりであるということです。戦争がどんな悲劇を生み出すのか、改めて考えずにはいられません。