11月6日からまつもと市民芸術館 小ホールと、11月12日からKAAT神奈川芸術劇場〈大スタジオ〉で上演されるまつもと市民芸術館プロデュース『チェーホフを待ちながら』。アントン・チェーホフが初期に執筆した一幕喜劇、ヴォードビル作品群の中から『熊』『煙草の害について』『結婚申込』『余儀なく悲劇役者』の4作品を、劇団「MONO」主宰の土田英生さんが大胆に潤色した作品です。2003年・2009年に上演された作品が、まつもと市民芸術館プロデュースとして上演されます。本作に出演する山内圭哉さんと作・演出の土田英生さんにお話を伺いました。
「人は自分から見た世界しか見えない」喜劇を俯瞰すると悲劇に

−チェーホフというと日本では『桜の園』などの上演が多いですが、なぜ初期のヴォードビル作品を選ばれたのでしょうか。
土田「チェーホフが『かもめ』『桜の園』を“喜劇”と主張したことはよく知られていますが、その“喜劇”の本質が何なのかはあまり広まっていないんじゃないか、と思ったんです。ヴォードビル作品でも長編でも実は構造は一緒で、単純に言うと人は自分から見た世界しか見えない。例えば『結婚申込』では庭に生えている柿の木が自分の家のものかどうかを言い合うのですが、やり取りを間近で見ていると笑えるけれども、引いていくと割と悲劇になります。ヴォードビル作品を読んだ時、チェーホフが悲劇的な結末に見える長編作品を喜劇と言うのは、対象に対しての面白がるポイントが一緒だったんだろうなと感じました。今はそんなおこがましいことは思いませんが、この作品を書いた時は若かったので、“皆さんは本当にチェーホフのことを分かっていますか?”という気持ちも込めて。今回再演をリクエストいただいて嬉しかったです」
−山内さんは戯曲を読んでどのように感じられましたか?
山内「新鮮でした。土田さんが書くと、チェーホフがこんなにポップになるんやなと。結構前に書かれた作品と聞いてまた驚きましたが、コントオムニバスっぽい感じが懐かしさもあります。チェーホフはリーディング劇で触れたことがあるのですが、戯曲を分析していくとそこはかとない面白さを感じました。人間の青さが描かれていて、“だからKERAさんはやるんか”とか色々と合点がいくことがあって。土田さんの作品に出演したいという思いもあったので、この形でやれるのが嬉しいです」
−登場人物たちが「チェーホフを待っている」という構図はどのように生まれたのでしょうか。
土田「どうやって4本の短編を繋ごうかと考えた時、どうせチェーホフを使うなら、もう1人の巨匠、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』を使おうかなと。結構単純な理由です」
山内「演劇に興味ある人たちにすると、割ととっつきにくい、でも名作と言われる2人の劇作家をポップに楽しめるのは凄く面白い組み合わせやなと思いましたよ。“そっか、遊んじゃっていいんだ”と新鮮な面白味がありました」
土田「僕は『ゴドーを待ちながら』を読んだ時も、あまり難しいことは分かっていないんです。でも例えばLINEが来た時、絶対にあり得ないんだけれど、素敵な女性からのLINEが来ているのかも?と一瞬考えたりするじゃないですか。人は常に何か良いことが起こるんじゃないかと期待して過ごしている。そういう感じの話だろうなと思ったんです。僕は抽象的なものが昔苦手で、それがコンプレックスでもあったので、いかに日常に引き寄せるかというのは意識していました。不条理劇も理解できないと面白くない気がしたので」
山内「それが凄く面白かったです。チェーホフを身近に感じましたし、実際に上演された時はもっとライトなものだったと思うんですよね。シェイクスピアも元は大衆演劇だったじゃないですか。僕らが古典を“芸術”と思いすぎているのかもと思いました」
−本作は松本で制作・稽古が行われるそうですね。
山内「僕は公共劇場のプロデュース作品が何年か続いていて、今演劇界で攻めているのは公共劇場なんじゃないだろうかと思います。作品のラインアップもそうですし、チケット代が優しい金額感なのは僕らにとっても嬉しいことです。さらに松本での稽古という、あまり経験できないことを経験させてもらえるので、攻めているなと思います。だってお金もかかることですし」
土田「全く同じ感想です。普通に商業演劇で企画しようと思ったら実現しない企画だと思います。こういうのが1つの当たり前になっていくといいなという思いが凄くありますね。僕も近年はこれだけ長期間、どこかに滞在して作品を制作する経験はないので、どうなるのか。少人数の座組なのでとりあえず仲良く過ごしたいと思います(笑)」
「思いきってラブコールを」「台詞を台詞通りに読みたい」

−お互いの印象はいかがでしたか。
土田「同じ関西の小劇場出身なので、もちろんお互いに面識はありましたし、飲み屋で一緒になることもありました。でも僕は勝手に、山内さんから“ノリが合わない”と思われているだろうなと思っていたんです。だから遠くから、舞台や映像で活躍して、どんどん良い俳優になっていくのを眺めていました。そんな中、Twitterでなんでもない僕のつぶやきに “だったら稽古場に来たらよろしいですやん”と返信をくれたんですよ。あれ、嫌われていないんだ、という嬉しさを1人で噛み締めていました。だとしたらいつかご一緒したいと思っていて、今回、良い俳優さんじゃないと成立しない作品だねという話し合いの中から、思いきってラブコールをさせていただきました」
山内「僕は大阪時代から尊敬していたんですよ。土田さんの世代は面白い人がたくさんいて、中でも土田さんは静かな演劇も、攻めたコントも両方やっていて、かっこよかったです。東京に来てからもブレずにやってはるなという嬉しさもありました。それで多分リプライしたんだと思うんですけれど。ずっと土田さんの作品に出たいという思いはあったので、二つ返事でお受けしました」
−今回出演者は複数役を演じることになります。
山内「KERAさんの作品だったら6,7役くらいあるので、そこまで珍しいことではないですね。大変ですけれど、その分楽しさもあります。僕は複数役あるからこの役はこう演じ分けよう、と思うタイプではないですね。台本で別の人として書かれているのだから、そのまま読んだら別の人になるやろと思ってそのまま読みます」
土田「それは素晴らしいですね」
山内「実は昔、風間杜夫さんに“台詞を台詞通りに読むということはとても難しいんだ”と言われたことがあったんです。だったら難しいことをやろうと思って、台詞を台詞通りに読みたいと思っています」
土田「『チェーホフを待ちながら』はチェーホフを待っている人たちが短編を演じていくという構造になっているので、身構えずにシームレスに演出したいと思っています。そういう意味でも山内さんのアプローチが嬉しいです」
−作品に登場するキャラクターに名前がなく、劇中で自分たちで名前を考えて付けるというシーンも興味深かったです。
山内「別役実さんが役名を数字で表しているのを思い出しました」
土田「そういうシンパシーはあるかもしれないですね。僕はあまり不条理劇みたいなものを書いたことがないんですけれど、書くときには案外具象で書いている時と変わらないんです。何か特別な意味があったわけではないのですが、自分が名前を分かっていないというのが面白いと思ったんでしょうね」
チェーホフやベケットのおちゃめさが感じられる作品に

−本作の初演は2003年ということで、今上演することでどんな違いが生まれそうでしょうか。
土田「地味な作品だったのであまり記憶に残っていなくて、今回見直した時はあまり自分の作品を直している感じはしなかったです。凄く新鮮に読みました。だから当時と比較してどうかというところは分からないですが、今の時代とリンクする部分がどこなのか、稽古しながら探っていくのだと思います。今観て面白いものには絶対にしないといけないわけですから」
山内「普遍的な人間関係や人のこだわり、価値観みたいなところは絶対に今でも通じることだと思います。観てくださった方々が何を感じるのか、逆に聞きたいですね」
土田「お客さんって本当に不思議ですからね。そんなつもりで書いたんじゃないのに、“分かります、私も昨日こういうことがありました”って全然関係ないことを言われたり(笑)。何かに触れたんだろうなと思うと、それも演劇の面白さだなと思います」
−KAAT神奈川芸術劇場での上演についてはいかがですか。
山内「KAATでやれるのは嬉しいです。通うのはちょっと遠いですけれど(笑)、行くと楽しい劇場ですよね」
土田「(長塚)圭史くんが頑張ってやっていて、劇場のイメージというのも付いてきている中で、KAATという劇場と合う演目だなと思います。ちょっと地味な作品ですけれど、質の高いものにしたいなと思っています」
−色々なエンタメが増えている今だからこそ、より演劇らしさを味わえる作品になるんじゃないかとも感じました。
土田「そうなったら嬉しいですね」
山内「演劇っぽい作品だけれど、身構える演劇ではないし、本当に良い作品やなと思うんです。初めて演劇を観る人も楽しいやろうなと思います」
−最後にメッセージをお願いします。
山内「チェーホフもベケットも、割とかわいらしい人なんですよ。他で上演されるチェーホフやゴドーでは味わえない、本来のこの人たちのおちゃめさが感じられると思います」
土田「チェーホフやベケットの中から、誰しもが理解できる部分を抜き出して作りました。意識の高いものではないので、普通に来て、ちょっと笑って帰ってもらうぐらいのつもりでいいのかなと思っています」

『チェーホフを待ちながら』は2025年11月6日(木)から11月9日(日)までまつもと市民芸術館 小ホール、11月12日(水)から11月16日(日)までKAAT神奈川芸術劇場〈大スタジオ〉にて上演されます。公式HPはこちら。KAAT公演の詳細はこちら

チェーホフの難解なイメージが取り払われながら、チェーホフが意識し続けていたであろう「人間の可笑しさ」を描き出す本作。名前のない登場人物たちが後から名前をつけるという構造は、今の時代ではSNSなどにも重なるなと感じました。今回のカンパニーが演じた時、どのような景色が見えてくるのか楽しみです。