1983年の初演、1988年の再演から2012年11月までの24年間にわたり、ウエストエンドで1万回以上も上演されてきたミュージカル『ブラッド・ブラザーズ』。イギリス初演時にローレンス・オリヴィエ賞の最優秀新作ミュージカル賞を受賞したこの作品は、生き別れた双子の兄弟・エドワード(エディ)とマイケル(ミッキー)の数奇な運命を描いた名作です。本作で描かれるのは、イギリスの社会的格差によって容赦なく裁かれるふたりの未来です。この記事では『ブラッド・ブラザーズ』の作品理解を深めるため、1960年代から1980年代のイギリスの階級社会とその歴史について解説します。

階級社会とは?双子の運命を決定づけた制度

イギリスには国民間で階級が存在していることから、階級社会と呼ばれています。

主に3つ(あるいは4つ)の階級に分かれていますが、現代では7種類まで細分化されたと言われています。本記事では、『ブラッド・ブラザーズ』の時代背景に則り、1960年代から1980年代までに主流とされていた階級をご紹介します。

まずは、王族や世襲貴族が属する「上流階級」です。イギリスの階級社会の中では最も上位で、英国王室の人々を王族、昔から爵位を継承してきた人々を貴族と呼びます。

そして「中流階級」と呼ばれるのは、専門家・実業家などを中心とした、安定した収入を持つ人々のことです。教育の水準は高く、ほとんどの人が大学に進学することができます。『ブラッド・ブラザーズ』の双子の片割れ・エディは、裕福な中流階級の家に引き取られることになります。

肉体労働者を中心とした経済的に苦しんでいる層は「労働者階級」と呼ばれています。不安定な収入による貧困や、高水準の教育にアクセスしにくいなど、様々な問題を抱えています。ミッキーの方は、生まれ育った家が労働者階級だったために、自身も貧しい家庭で育っていくことになるのです。

どの階級に属するかによって、選ぶことのできる仕事や、進学する学校などが変わってきます。階級社会は、人々の人生に大きな影響を与えていました。

階級社会はどう生まれたのか?中世から19世紀まで

イギリスの歴史における階級制度の始まりは、中世からだと言われています。その後、18世紀の産業革命によって、農業や製鉄業などの幅広い分野において技術革新が起きました。

当時のロンドンには職を求めた多くの労働者が集まり、やがて多数の労働者を管理するために資産家たちが台頭しました。次第に、低賃金で働かされる労働者階級と、労働者を雇用する階級、そして政治を行う上流階級といった階級社会が定着していったのでした。

19世紀に入ると、ヴィクトリア女王の統治下で、階級による大きな貧富の差が生まれました。当時のイギリスでは階級間の変動はほぼ存在せず、多くの人が生まれてから死ぬまで同じ階級で生きることになりました。

1960年代:ゆらぐ階級社会

世界的な福祉国家のほころび

イギリスでは、第二次世界大戦直後の1946年、国民が原則無料で医療を受けることができる国民健康保険サービス法と、国民が老齢年金と失業保険を受け取ることができる国民保険法が制定されました。

「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれるこれらの社会保障制度は、イギリスを世界に誇る福祉国家にしました。しかし、その福祉の背後では、国の負担増加、国民の勤労意欲の低下など、さまざまな問題が生まれていたのです。

1960年代のイギリスは経済不振にも見舞われ、労働者と雇用者の対立も深刻化するなど、他国から「イギリス病」と呼ばれるほどの状況でした。

当時のイギリスでは多くの移民たちが暮らしており、その多くが労働者階級でした。移民たちは差別に苦しんでいましたが、若い移民たちによる公民権運動は、中流階級の聖職者・知識人・一部の議員などから支援を受けていました。

また、教育を受ける機会に恵まれた中流階級以上の人々は、女性の権利獲得や反戦運動に奔走していました。

ブリティッシュ・ロックの台頭

そんな1960年代に、世界的なブリティッシュ・ロックスターが生まれました。

それは「ザ・ビートルズ」。彼らは1962年にレコードデビューして以来、イギリス国内のみならず世界中を熱狂させました。興味深いのは、ザ・ビートルズの4人のメンバーは労働者階級出身だったということです。

当時、世界的にテレビが普及していったこともあいまって、彼らの音楽や独特の髪型・ファッションが若者たちの間で大流行しました。

ちなみに、メンバーの出身地であるリヴァプールは、作中でエディとミッキーが生まれた場所でもあります。

その後、ビートルズに影響を受け、中流階級出身のミック・ジャガーを中心とした「ローリング・ストーンズ」など、多くのスターが生まれました。

1970年代:不安定な社会で輝く労働者文化

イギリス中を震撼させた「血の日曜日事件」

1970年代には、労働組合のストライキや移民問題を原因とする都市での暴動など、国内に不穏な空気が流れていました。なかでもイギリス中を震撼させたのが、1972年1月30日に起きた「血の日曜日事件」です。

これは北アイルランドで1960年代後半から続いていた、カトリック系住民とプロテスタント系住民との激しい対立が引き起こしたものでした。北アイルランド第二の都市であるデリーで、デモを行う人々にイギリス軍が発砲し、多数の死者を出す大惨事となったのです。

この後も報復としてイギリス大使館が焼き討ちにあったり、バス停に爆弾が仕掛けられたりとテロが続きました。

一方、イギリス全体でも、1960年代に続く経済不振によって失業率が上がるなど非常に不安定な情勢でした。

パンクファッションが大流行

1970年代、若者たちの間ではパンクファッションが大人気となりました。

デザイナーのマルコム・マクラーレンが後援したのは、パンクバンド「セックス・ピストルズ」。
彼らが身にまとうのは、労働者階級出身のデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドがデザインしたボンデージ・タータン、穴あきセーターなど、強烈なデザインでした。
この独自のファッションが、当時の若者たちのあいだで大流行したのです。

このように、1960年代から1970年代にかけて、労働者階級出身の才能ある人々が、イギリスの音楽界やファッションに大きな影響を与えました。

1980年代:サッチャー政権によって生まれた分断と格差

マーガレット・サッチャーによる経済・外交政策

1980年代のイギリスを解説するうえで欠かせないのが、イギリス史上初の女性首相であるマーガレット・サッチャーです。
彼女は1979年から1990年まで、実に11年もの間在任しました。サッチャーの在任期間は、20世紀のイギリスの首相の中で最長記録を持っています。

1980年代は「サッチャー時代」とも呼ばれ、イギリス国内を大きく変貌させました。

サッチャーは第二次世界大戦後から続く経済的な停滞の対策のため、多くの福祉制度の縮小を行いました。

「強い国家」「強い個人像」を目指したサッチャーは、ヴィクトリア時代の価値観である自助努力や伝統的な家族像などを訴えました。

そしてアメリカとの強固な関係を結ぶなど、経済的な繁栄と外交面の成功をもたらしました。

広がる格差と切り捨てられた人々

しかし、サッチャー政権は同時に多くの課題を残しました。

サッチャーが掲げた“伝統的な家族像”とは、男性が稼ぎ手を担い、女性が家庭内で主婦を務めるというものでした。
これは19世紀のヴィクトリア朝の価値観が元になっており、その価値観にあてはまらない人々は厳しい立場へと追い込まれました。

1980年代のイギリスではひとり親家庭が急増しつつありましたが、「福祉に依存する怠惰な人々」だと批判されました。

その他にも性的指向におけるマイノリティの人々への差別など、多様性を認めない考えが横行していたのも事実でした。

経済的・外交的な豊かさは手に入れたものの、福祉の力を必要とする人々や、マイノリティの人々の声は追いやられていたのです。結果的にはイギリス国内に格差を広げることとなり、サッチャー政権時代の評価については現在のイギリスでも大きく分かれています。

参考書籍:
『イギリスの歴史を知るための50章』編著:川成 洋(明石書店)
『イギリスの歴史』著:君塚直隆(河出書房新社)

糸崎 舞

『ブラッド・ブラザーズ』は、階級社会という巨大なシステムに翻弄される人間の物語です。階級社会が、個人ではどうにもできない大きな問題なのだと痛感しました。 本記事が作品をより深く味わうための一助となれば嬉しいです。