『オズの魔法使い』といえば、少女ドロシーが故郷カンザスに帰るためにオズの魔法使いに会いにいく冒険譚。子供向けの作品というイメージがありますが、案外そのメッセージは大人が見ても「なるほど」と思うもの!今回は『オズの魔法使い』のメッセージを少しだけ深読みしてみましょう!

少年少女たちに愛されたアメリカ初のおとぎ話

アメリカ、カンザス州に住む少女、ドロシーは、ある日巨大な竜巻に巻き上げられて、愛犬トトと共に家ごと舞い上げられてしまいます。辿り着いたのはマンチキンの国。ドロシーはカンザスに戻るため、北の良い魔女の助言に従って、エメラルドの都にいるオズの魔法使いに会いに行きます。その過程で出会ったのは、一緒に旅をする仲間である、脳みそが欲しいかかし、ハートが欲しいブリキの木こり、勇気が欲しい臆病なライオン。果たしてオズの魔法使いは彼女たちの願いを叶えてくれるのでしょうか?

童話作家のライマン・フランク・ボームが書いた絵本がもととなっている本作品は、もとは子供向けの作品。でも、この作品のメッセージ性は非常に強く、大人になって見るとまた違った見方ができるのです!

なりたい自分とは何なのか

ドロシーたちは作中で、自らの欲しいものを与えてもらうためにオズの魔法使いに会いに行きます。しかし、実はこの魔法使いの正体はただの平凡な老人で、偉大なる魔法使いでも何でもなかったのです!彼は、たとえばブリキの木こりには絹の心と言っておがくずを詰めたハート型の絹の袋を渡すなど、魔力も何もない形ばかりのものをブリキたちに渡します。でもオズを偉大な魔法使いと信じている彼らは大喜び。その後彼らはもらったものを糧にして、勇敢な行動を取れるようになります。

ここで着目したいのが、「思い込み」と「形としてある証」です。

そもそもオズの魔法使いに会いに行く過程で、カカシは考え、ブリキは心遣いをし、ライオンは勇気ある行動をとります。それはどれも、一緒に旅をする仲間のために取った行動でした。彼らが求めていたものは元々彼らの中にあったのです。自分がそれを持っていないというのは彼らの思い込みに過ぎなかったのです。

また目に見えない脳や心や勇気が目に見える形になると、まるでちゃんとそこに「ある」ように思えます。「ある」のであれば、それを発揮することも簡単そうですよね!オズはそんな人の心のトリックを使って、今まで偉大なる魔法使いと言われてきたのかもしれません。ともなれば、私たちの欲しいものも、なりたい自分も、すでに私たちの心の中にあるのかもしれませんね。

Asa

『オズの魔法使い』には様々な解釈があり、19世紀末のアメリカ経済を写した寓話と見られることもあります。案外グロテスクな解釈もあったり…?今一度これを踏まえて観てみたいですね!