女性だけで構成され、独特の世界観によってファンを魅了する宝塚歌劇団。最近では劇団出身者の活躍も相まって、さらに注目を集めるエンターテインメントとなっています。そんな宝塚歌劇団が、昔から海外での公演に挑戦しているということをご存知でしょうか?今回は、宝塚歌劇団における海外公演の歴史について詳しくお話します。
宝塚歌劇団の海外公演の歴史
宝塚歌劇団は宝塚大劇場・東京宝塚劇場を中心に、日本各地で公演を行っています。一方で、世界の国々や都市を巡る公演にも力を注いできました。
初めて宝塚歌劇団の海外公演が実現したのは、第二次世界大戦間近の1938年。それから2018年の台湾公演に至るまで、実に27回もの上演回数を重ねています。以下の年表では、特に節目や転換点といえる公演をピックアップしました。
1938年 | 第1回ヨーロッパ公演 「日独伊親善芸術使節団」としてドイツ・イタリアなど26都市を巡回 |
1939年 | アメリカ公演 「訪米芸術使節団」として、ホノルルとアメリカ国内9カ所を巡回 |
1965年 | 第2回ヨーロッパ公演(パリ公演) この時初めて、洋物のショーを上演 |
1973年 | 第1回東南アジア公演にて、和洋のテーマを織り交ぜたショーを上演 1982年には、第2回東南アジア公演を実施 |
1994年 | ロンドン公演 コロシアム劇場にて、初めて芝居劇を披露 |
1998年 | 香港公演の選抜メンバーから「宙組」誕生 |
2000年 | ベルリン公演は5組体制からの選抜メンバーで実施 |
2002年 | 第2回中国ツアー公演(星組) 1999年の第1回(月組)に続き、日中国交正常化30周年を記念して開催 |
2005年 | 韓国公演(星組) 日韓国交正常化40周年記念で「ベルサイユのばら」など上演 |
2013年 | 第1回台湾公演(星組) 2015年には第2回公演(花組)、2018年には第3回公演(星組)が実現 |
第1回ヨーロッパ公演や翌年のアメリカ公演は、タカラジェンヌ達にとって貴重な文化交流の機会だったのではないでしょうか。また戦時中には、慰問活動の一環として満州への巡業を行っていました。
戦争を乗り越えた後、宝塚歌劇団はハワイや東南アジア、中南米での公演を実現させています。さらに2000年代に入ると、中国・韓国との間で国交正常化記念の公演が開かれたり、台湾で3回の公演に成功したりと、近隣諸国との結びつきも深まっているようです。
海外公演にみる宝塚歌劇団の発展とは
海外公演で培われた経験は、宝塚歌劇団の成長に繋がっています。例えば、1965年のパリ公演では初めて洋物ショーが上演されました。これを機に、国内公演でも外国のミュージカル作品が扱われるようになります。「ウエストサイド物語」「スカーレット・ピンパーネル」などブロードウェイの傑作が演目に加わることで、ジャンルの幅も広がったといえるでしょう。
また、1994年のロンドン公演では初の芝居劇に挑戦。舞台脇に電光掲示板を設置し、字幕を表示するという形式で、言葉の壁をクリアしました。さらに、海外公演が宝塚歌劇団の体制を変化させた例もあります。1998年の香港公演で選ばれた各組と専科のメンバーは、そのまま「宙組」として活動することに。宙組の誕生背景には、新しい宝塚歌劇団への期待が感じられますね。
日本でも海外でも輝き続ける宝塚歌劇団
宝塚歌劇団における海外公演の歴史は古く、時代に翻弄されながらもその歩みを止めることはありませんでした。宝塚歌劇団の挑戦を恐れない姿勢や、演劇に対するこだわりは、海外公演を経てさらに磨かれているといえるでしょう。これからも宝塚歌劇団ならではの舞台を披露すべく、海を越えるタカラジェンヌたちを応援しませんか?
今回の記事を書くにあたって、宝塚歌劇団の海外公演の歴史が古いことに驚かされました。世界情勢の問題もあるかと思いますが、ぜひまたアジアやヨーロッパでの公演を実現させてほしいです。