12年以上にわたりブロードウェイでロングランを記録し続けているミュージカル『RENT』。2005年(日本では2006年上映)の映画版エンドクレジットでは「Thank you Jonathan Lason.」という言葉が記されています。

ジョナサン・ラーソンさんは『RENT』の生みの親で、脚本・作詞・音楽を担当しています。自身の成功を夢見ながら、約7年の月日を経て完成したこの作品は、トニー賞で、ミュージカル作品賞など10部門を制覇しました。しかし、この大成功を彼自身は見届けることができませんでした。『RENT』のプレビュー公演の前日に亡くなってしまったのです。今回は作品と共に伝説となったミュージカル作家、ジョナサン・ラーソンさんを深掘りします。

ミュージカル作家としての成功を夢見た天才

ジョナサン・ラーソンさんは1960年2月4日、アメリカ・ニューヨーク州に生まれます。幼い頃より音楽や演劇に積極的で、高校時代も演劇部に所属、大学でも様々な演劇やミュージカルを学んでいきました。その頃より作曲も始め、学生演劇にも楽曲提供を行い、卒業後は俳優労働組合に所属。自身の成功を夢見て、マンハッタン島の最南端にある地域、ロウアー・マンハッタンにある暖房のない屋根裏部屋へ転居し、同じく夢見るルームメイトたちと貧しい生活を送ることになります。

30歳目前の焦りを超え、生まれた遺作『RENT』

平日はミュージカルの作曲や脚本の執筆、週末はダイナーのウェイターと、貧しいながらも忙しい日々を過ごすラーソンさん。『RENT』の大成功以前にも、ウエスト・サイド・ストーリーの作詞を担当したスティーヴン・ソンドハイムさんをはじめとする業界人からの支持や、手がけた作品が賞を受賞するなど一定の評価は受けていましたが、自身が納得する結果は出ないまま焦燥感に駆られていました。

そんなラーソンさんの日々を切り取った自伝的作品『tick, tick… BOOM!』では、「偉人たちはすでに20代で結果を出しているのに、自分は何も出来ていない」という、ラーソンさんが30歳になる手前に感じていた煮え切らない日々を垣間見ることができます。

ラーソンさんは、ミュージカルに変化を起こしたいと考え、全く新しい要素を劇中に持ち込もうと試行錯誤を繰り返していました。その中で「ミュージカルは喜劇に分類される」という当時あった暗黙のルールに切り込み、長年テーマとして排除されてきた人種差別や同性愛、ドラッグなどの社会問題を盛り込んだ、且つ、ロックやポップを持ち込んだ作品こそ『RENT』でした。

自身の体験を盛り込み、脚本・音楽・作詞をほぼ全てを一人で完成させた『RENT』はリハーサルを終え、後は初日を迎えるだけでした。しかし初日の前日、1996年1月25日の未明にラーソンさんは循環器系の疾患により、35歳の若さで亡くなってしまいます。その後作品が辿った栄光はご存じの通りですが、ラーソンさんの遺志は作品と共に引き継がれています。

おむ

ジョナサン・ラーソンが辿った人生を知ると、『RENT』で最後に歌われる「NO DAY BUT TODAY(今日という日と精一杯生きよう)」は胸により深く響きました。『tick, tick… BOOM!』は映画化され、Netflixで観ることができますので、『RENT』の日本公演前に観て、作者に想いを馳せるのも良いかもしれません。