演劇に限らず、ドラマやアニメでも使われている「モノローグ」。近年の作品でのモノローグの多用については賛否両論も。作品にどのような効果をもたらしているのか、見ていきましょう。

心の声を語るモノローグ

「モノローグ」とは、“mono”は「ひとつ・単」“logue”は「話」で、独り言という意味。日本語だと、独白(どくはく)とも言われます。対義語は「ダイアローグ」(対話・会話)。

モノローグは、登場人物が相手との会話なしに心情や考えを述べる台詞を指します。独り言や、スピーチなど演説のようなもの、観客に語りかけるものなど様々です。ナレーションも1人で話しますが、モノローグは登場人物の心の声・主観であるのに対し、ナレーションは場面の状況説明など客観的な視点で語られる違いがあります。モノローグの効果は、心情がダイレクトに伝わって、観客が感情移入しやすくなることが挙げられます。

一番有名なモノローグは『ハムレット』の 「To be,or not to be,this is the question.(生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ)」ではないでしょうか。

『ハムレット』だけでなく、シェイクスピア作品にはモノローグが多く登場します。『ロミオとジュリエット』でジュリエットが言う「O Romeo, Romeo! wherefore art thou Romeo?Deny thy father and refuse thy name;Or, if thou wilt not, be but sworn my love,and I’ll no longer be a Capulet.(ああロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?お父さまとは縁を切り、その名を捨てて。そうすれば私もキャピュレットでなくなるつもりよ)」という台詞もそう。この後もしばらくジュリエットはモノローグを続けます。

シェイクスピア以前のモノローグは、役の紹介・シーンの説明・情報を伝えるなどナレーション的な役割が主だったそう。しかし、シェイクスピアはモノローグで、演劇がどのように役者の心情、そして葛藤を探るかを表し、新しい意味を与えました。

モノローグは演劇だけでなく、ドラマや映画でも使われる手法です。大人気テレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(2016)でもモノローグが用いられていました。

平匡さんも、みくりさんも、モノローグで心情を語っていましたよね。モノローグはキャラクターの内面が現れるので、人柄が分かり、視聴者はキャラクターに共感しやすくなります。また、みくりさんはモノローグの中で、“ひとり情熱大陸”をしたり、サザエさんになったりと自身の妄想を膨らませていくので、それも視聴者を惹きつける1つのポイントになっていました。

最近の作品は“説明しすぎている”

しかし、モノローグが使われることには賛否両論あります。特に昨今の作品でモノローグが多用されていることについて、「なんでも説明しすぎている」という指摘があります。『君の名は』や『鬼滅の刃』は、モノローグが特に多く説明的だと言われています。

例えば『鬼滅の刃』の1話目冒頭で主人公の炭治郎が、街に炭を売りに行き、帰ってくる場面での「遅くなっちまったなぁ、でも全部売れてよかった」というモノローグ。日が暮れているので遅い時間ということは分かりますし、墨の入っていたカゴを背負っている炭治郎のカゴの中が見える絵にしたら、このモノローグはなくても成立するわけです。モノローグを多用すると直接的な表現になり、観客には想像する余地が残りません。

では、なぜ近年の作品は、モノローグを多用する傾向にあるのでしょうか?『鬼滅の刃』然り、近年アニメ・映画・ドラマ・演劇どれも人気漫画の実写化が増えています。漫画では吹き出しの他に、コマに人物たちの心情が描写だけでなく文章としても書かれていることがよくあります。漫画では成立しますが、他の媒体でその描写を全てセリフにしてしまっては、せっかく表情・動作・声・景色など多くの手段があるのにもかかわらず、説明過多になってしまいます。
分かりやすく全てセリフにしてしまうことで、想像することや、解釈の幅が現代ではなくなってきているように感じます。

ミワ

モノローグは「心の声」、ナレーションは「天の声」で違いを覚えてみてください!人の心の内が分かると、確かに共感しやすくなります。改めてシェイクスピアの偉大さを実感しました。