3月11日(土)に開幕するミュージカル『ジキルとハイド』。2代目・石丸幹二さんのラスト公演であり、3代目・柿澤勇人さんとのWキャストが話題の本作に、3月23日(木)に追加公演決定のニュースが!1月21日(土)11:00より発売開始となります。そこで今回は、ジキルのモデルとなったといわれている人物たちや、作品が書かれた19世紀のロンドンについてみていきましょう。

ジキルのモデルとなった人物とは

ミュージカル『ジキル&ハイド』の原作である「ジキル博士とハイド氏」は、1886年にロバート・ルイス・スティーヴンソンによって発表された小説です。自らの体を人体実験に用いてしまう、医師であり科学者であるジキル博士。彼のモデルになったのではないかといわれている人物が2人います。

ひとりはエジンバラの石工ギルド組合長、ウィリアム・ブロディー。
彼は昼間は家具師としての仕事をしていました。仕事の中には、錠前などの設置と修理がありました。夜になると、昼間の仕事を利用して、顧客の鍵の複製を行い、泥棒をしていました。18年にわたり盗みをはたらき、1788年に逮捕され、処刑されています。

もうひとりは、外科医・解剖学者のジョン・ハンター。
「実験医学の父」「近代外科学の開祖」と呼ばれ、近代医学の発展に貢献した人物です。一方で、夜には解剖教室で使用する遺体を調達するために墓荒しをしていたといわれています。

彼の住む家には、表通りと裏通りそれぞれに面した出入り口があったそう。表からは、妻の友人や患者が出入りし、裏は解剖教室の学生の出入りや、遺体を運び込むために使われていたのだとか。これがジキル博士の邸宅のモデルとなりました。

「霧の街」となっていた、19世紀ロンドンの様子とは

『ジキル博士とハイド氏』が執筆されたのは19世紀、ヴィクトリア朝のイギリス・ロンドンです。
60年を超えるヴィクトリア朝は、産業革命を経て英国が最も発展した大英帝国の絶頂期。人口爆発で世界の4分の1の人口を支配する最大の帝国となった時代でした。

科学の発展も著しく、1859年にはチャールズ・ダーウィンによって「進化論」が論じられました。

ダーウィンの進化論は、生物の進化に「目的」はなく、単なる「結果」にすぎないという考え方。
環境に合うように進化してきたのではなく、たまたま持って生まれた形質が環境に合っていたから、生き残っただけなのです。進化論は、生物の進化に「目的」があると考えていた人々の意識を揺るがし、人々にぼんやりとした不安感が生じさせました。

ダーウィンの進化論から派生した人種退行理論により、猿など劣った種に“先祖返り”することに恐れを感じた当時の感覚が、ジキルが薬を飲むと毛むくじゃらで猿のようなハイドの姿になってしまうというように『ジキルとハイド』の物語に投影されています。

そして、人種退行理論に拍車をかけたのは都市部で顕著になった社会問題でした。人口増加により都市部は労働者が急増。貧困層が増え、スラム街化していきました。

イースト・エンドには貧民街が形成され、買春行為や犯罪が横行。1888年には、ミュージカル『ジャック・ザ・リッパー』の元となった、有名な「切り裂きジャック」の事件が起こりました。

また、公害問題も。工場などからは石炭などの粉塵やスモッグが漂い、排水で汚染されたテムズ川からは暗い霧が溢れ、「霧の街」と呼ばれました。

文明・文化の先端はルネサンス以降イタリアかフランスで、産業革命の前まで遅れた国だったイギリス。しかし、産業革命により先進国に。いきなり新しく起こる問題を自分たちの手で解決しなければならなくなったイギリス社会は、大きなプレッシャーを抱えていました。

『ジキルとハイド』だけでなく、『ドラキュラ』など、この時代の小説に出てくる怪物たちは、イギリスという国が繁栄した反面で抱えている不安が具現化されたものでもあったようです。

ミュージカル『ジキルとハイド』は3月11日(土)〜3月28日(火)まで東京国際フォーラム ホールCにて上演です。そして、3月23日(木)18時開演の回に追加公演が決定しました!チケットは1月21日(土)にチケット発売予定です。詳しくは公式HPをご覧下さい。

ミワ

同時代を描いた作品『ジャック・ザ・リッパー』で、街を歩いている時に降ってくる灰を雪と勘違いするシーンがありました。疑問に思っていたのですが、時代背景を知って納得しました!