阪神・淡路大震災から30年。ニュースや教科書で目にしたことはあっても、詳しくは知らないという方も少なくないのではないでしょうか。舞台『明日を落としても』は、1995年に起きた震災をテーマに、神戸で暮らしていた人々の日常や心の動きを描き出します。ただ過去を振り返るのではなく、今を生きるわたしたちの心にも、そっと語りかけてくれる作品です。この記事では、『明日を落としても』がどのような作品なのかご紹介しながら、阪神・淡路大震災の記憶を改めて見つめる意味について考えてみたいと思います。

1995年1月17日、神戸で何が起きたのか

1995年1月17日、午前5時46分。まだ夜が明けきらない神戸の街を、激しい揺れが襲いました。兵庫県南部を震源とするマグニチュード7.3の地震は、都市部を直撃した直下型地震として、当時の日本社会に大きな衝撃を与えました。

特に被害が集中したのは、神戸市、淡路島、芦屋市、西宮市、宝塚市など。住宅の倒壊、火災、ライフラインの寸断によって、約6,400人もの命が失われ、4万人以上が負傷しました。避難生活を余儀なくされた市民はピーク時で約32万人にのぼります。

高速道路が倒れ、鉄道はストップし、街の風景が一変したその日。それは、当たり前だった日常が一瞬にして崩れ去った日でもあります。

第二次世界大戦後に発生した自然災害として、東日本大震災が発生するまで最悪のものだった阪神・淡路大震災から、2025年で30年が経過しました。震災を経験した人が少しずつ減っているなか、その記憶や教訓をどう伝えていくかが課題となっています。

『明日を落としても』で描く、明日を迎える奇蹟

新神戸駅の近く六甲山の山裾にひっそりと佇む創業80年の老舗旅館。 社長の桐野雄介(佐藤隆太)と、姪の遥(川島海荷)が旅館をきりもりしている。 かつてアルバイトをしていた神崎ひかる(牧島 輝)が、今年も雄介の元を訪れた。

17歳、やりたいことも見つけられず何事も長続きしないひかるに、雄介は過去の自分自身を重ね、 ボクシングを教えはじめる。ボクシングを通じてひかると雄介は自分自身と向き合っていく。

阪神・淡路大震災から30年。
演劇界の巨匠・栗山民也が手掛ける
神戸「あの時」を巡る物語。

舞台『明日を落としても』は、1995年の阪神・淡路大震災をテーマに、神戸で生きる人々のささやかな日常と、それを襲う震災を描いた作品です。突然の地震により、当たり前にあると思っていた暮らしや人との関係が壊れてしまったとき、人はどう生き、どう希望を見出すのか——本作は、そんな問いに静かに向き合います。震災を知らない世代にとっても、明日を迎えることの意味を見つめ直す、かけがえのない時間となるでしょう。

震災の記憶を語り継ぎ、感じ合うひととき

演出を手掛けるのは、紫綬褒章や旭日小綬章、第50回菊田一夫演劇賞・大賞を受賞してきた栗山民也さん。会場の兵庫県立芸術文化センターと所縁が深い栗山さんは、上演を前に次のようにコメントしています。

劇場に集う仲間たちとともに、「土地の記憶」や「人間の記憶」を主題に、「明日を落としても」という新しい舞台を作ろうと思う。忘れてはいけない大事な記憶を見つめ続けることで、劇場は未来に向って開かれていく。一人でも多くの手が繋がれるならば、劇場という大きな輪のなかに、きっと一つの新しい命が産れるだろう。

主演の佐藤隆太さんは「震災を扱った物語が、そっと背中を押してくれる」と語り、観客へ温かな共感を届けようと意気込みます。一方、1995年生まれの牧島輝さんは「直接的に阪神・淡路大震災を経験したわけではありません」としながら、「経験していない僕たちの世代が当時のことを考え、忘れていかないことはとても大切」と述べました。

そのほか、川島海荷さん、酒向芳さん、尾上寛之さん、春海四方さん、田畑智子さん、富田靖子さんが集結。業界注目のピンク地底人3号さんが脚本を担当し、老舗旅館を舞台に、1995年と2025年を行き来しながら、当たり前の日常に宿る奇蹟を描きます。

震災の記憶と教訓を継承していくことは、災害に備える上で非常に重要です。とはいえ、ただ事実を振り返るだけでは、人の心を根底から動かすのは難しいのかもしれません。そんな今だからこそ、震災の記憶を語り継ぎ、感じ合う本作は、静かで確かな時間となって観客の胸にじんわりと響くのではないでしょうか。

舞台『明日を落としても』は、2025年10月11日(土)~16日(木)に兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホールで、10月22日(水)~27日(月)に東京・EX THEATER ROPPONGIにて上演予定です。詳しい情報は公式サイトをご確認ください。

さよ

「何度でも、立ち上がる」この一言に込められた想いが、作品で丁寧に描かれるのではないかと感じています。苦しみの中にあっても、誰かと支え合いながら前を向く。その営みの尊さを、観る者にやさしく伝えてくれる舞台になることでしょう。