国際赤十字社と国境なき医師団の約30人の職員へのインタビューをもとに、戦争や災害の現場における葛藤や矛盾を描き出した世界的話題作『不可能の限りにおいて』。生田みゆきさんの演出によりリーディング公演として、2025年8月にシアタートラムで上演されます。
人道支援者の証言に基づく衝撃の舞台
2022年にスイスのコメディ・ドゥ・ジュネーヴで初演された『不可能の限りにおいて』は、同年アヴィニョン演劇祭でも上演。2025年4月には、SHIZUOKAせかい演劇祭で来日公演『〈不可能〉の限りで』が行われました。
作・演出を担当したのは、ポルトガル出身の俳優であり演出家、劇作家、プロデューサーとしての顔も持つティアゴ・ロドリゲス。20カ国以上で30以上の作品を創作・上演してきた実績は、母国ポルトガルだけでなく海外でも高い評価を得ています。また、2022年からは世界三大演劇祭のひとつであるフランス・アヴィニョン演劇祭のディレクターに就任。なんと、外国人が務めるのは彼が初めてなのだそう。
『不可能の限りにおいて』では、命がけで人道支援に従事する人々の言葉を中心に据えることで、〈可能〉と〈不可能〉、相反する領域の狭間で揺れ動く心情を浮かび上がらせます。一方で、作中では具体的な時期や場所、個人の名前が明かされることはありません。そのおかげで、観客には俳優の語りやパーカッションの音楽、舞台美術の演出から想像を膨らませる余地が残されています。過酷な現実を切り取ったドキュメンタリーであると同時に、演劇の可能性を実感できる作品といえるでしょう。
東京・世田谷から世界へ羽ばたく舞台芸術を
東京にある世田谷パブリックシアターは、市民の生活と文化・芸術をつなぐことを目的として、さまざまな作品の創造と上演活動を行う劇場です。
これまで国際共同制作や海外招聘公演の実施にも注力してきたなかで、新たに「あたらしい国際交流プログラム」を始動。ワークショップや公演を通じて国内の若手クリエイターを育成し、その成果を国内外に発信していこうと取り組んでいます。
その先陣を切る企画として、生田みゆきさんが『不可能の限りにおいて』の演出に挑むことが決定しました。
生田さんは、文学座演出部所属の演出家。世田谷パブリックシアターとの関わりでいえば、2022年にシアタートラムにて二人芝居『建築家とアッシリア皇帝』を上演し、俳優とともにエネルギー溢れる舞台を作り上げた演出力が高く評価されました。また、翌年には演出した『占領の囚人たち』『海戦2023』『屠殺人ブッチャー』で読売演劇大賞の優秀演出家賞を獲得。さらに『占領の囚人たち』ほかの成果に対し、令和5年度第74回芸術選奨新人賞も受賞しています。とりわけ直近の2025年4月には、アフガニスタン戦争で最も危険な地域に駐屯したカナダ人兵士たちの日常を描いた舞台『これが戦争だ』の演出を担当。戦闘地域の最前線で活動する人々の声を丁寧に拾い上げているところは『不可能の限りにおいて』と共通しています。争いの続く現実世界について語る視点を育ててきた生田さんなら、今回の公演でもその手腕を発揮してくれるのではないでしょうか。
そして、フランス語、英語、ポルトガル語の3か国語で演じられたオリジナルプロダクションが、今回初めて全編日本語で上演されます。翻訳を担当するのは、早稲田大学文学学術院教授で西洋舞台芸術を専門とする藤井慎太郎さんです。実は、先述のSHIZUOKAせかい演劇祭における招聘公演でも日本語字幕を手掛けていました。作品への理解が深いからこそ、言語の壁を越え、観客にオリジナル版の思いを伝える重要な役割を果たしています。
日本版ならではの演出プラン
今回、「言葉」にフォーカスしたオリジナル版を日本語版へと創作するにあたって、リーディング公演として上演することに。
リーディング公演とは俳優が台本を手に戯曲を読むスタイルが基本で、大掛かりな舞台装置や衣装はありません。とはいえ単なる朗読ではなく、俳優の読む姿を見せることで観客の想像力を搔き立てる効果があります。
このリーディング公演に向けて、2025年3月に生田さんによるワークショップオーディションを実施。140名を超える応募者の中から書類選考を通過した51名の俳優と、5日間にわたってワークショップを行いました。その過程で、オリジナル版では4名の俳優が登場するのに対し、生田さんは14名での演出プランを発案。オーディションで選ばれた11名に俳優3名を加えて、カンパニーを立ち上げました。
外部から出演する3名のうち、1人は舞台やテレビドラマなど演技の場に留まらず、ラジオパーソナリティーや執筆活動など多方面でマルチな表現活動を広げている南沢奈央さん。2人目は2024年に『La Mère 母』『Le Fils 息子』での演技により第59回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞し、以降も話題作への出演が相次ぐ岡本圭人さん。そして3人目が、俳優活動と並行しながら英語力を活かして翻訳者としても活躍する万里紗さんです。
総勢14名の出演者は7名ずつAとBの2チームに分かれ、2通りの配役を務めます。各公演では、一方のチームがメインキャストとして作品を演じ、もう一方のチームはサポートキャストとして参加。どちらのチームがメインかサポートなのかによって、それぞれの個性が響き合う2通りの舞台を観られる構成となっています。
以下、14名の出演者を五十音順に紹介します。(敬称略)
【Aチーム】清島千楓、萩原亮介、前東美菜子、南沢奈央、薬丸翔、山本圭祐、渡邊りょう
【Bチーム】市川理矩、岡本圭人、川辺邦弘、小林春世、小山萌子、万里紗、森準人
リーディング公演『不可能の限りにおいて』は2025年8月8日(金)から11日(月・祝)まで、シアタートラムで上演されます。8月9日(土)と8 月10日(日)の18時公演終了後にはポストトークが開催される予定です。詳細は公式HPをご確認ください。

国際赤十字社や国境なき医師団の「名前は知っている」「活動をテレビで見た」という方は多くても、実際に当事者の生きる世界に向き合った経験のある方は少ないのではないでしょうか。だからこそ、舞台から届く言葉を一人ひとりが受け取ることに大きな意味があると思います。