小説『蟹工船』で知られる作家・小林多喜二。29歳の若さで命を奪われた彼の生涯を、音楽とユーモア、そして周囲の人々との愛情あふれる交流を通して描いたのが、井上ひさしさん最後の戯曲『組曲虐殺』です。2009年の初演から栗山民也さんが演出、井上芳雄さんが主演を務めてきた本作が、2027年に4度目の上演を迎えます。言論の自由や人間の尊厳を問いかける物語は、現代の私たちに何を語りかけるのでしょうか。
29歳で奪われた命。井上ひさしが描いた小林多喜二の「生きた時間」
小林多喜二は日本のプロレタリア文学を代表する作家であり、とりわけ小説『蟹工船』を書いたことで有名です。彼の作品は世間から注目と支持を集める一方、政治的な弾圧の対象となりました。身を隠しながら執筆活動に注力するものの、1933年、特高警察に逮捕され、拷問によって29歳の若さで命を落としました。
そんな小林多喜二の生きた軌跡について、周囲の愛すべき人たちとの日々を中心に描いたのが、井上ひさしさんの戯曲『組曲虐殺』です。
井上ひさしさんは劇作家・小説家として戯曲や小説、エッセイなど多彩な作品を生み出し、日本国内に留まらず海外でも高く評価されています。また、1984年に旗揚げした劇団「こまつ座」では座付作家を務め、自ら執筆した作品を上演。2010年に亡くなるまで、生涯で70作近い戯曲を執筆しました。
2009年にこまつ座で初演された本作は、現代社会を鋭く照射する音楽劇であると同時に、井上ひさしさんにとっての遺作となりました。
初演では第17回読売演劇大賞において井上ひさしさんが芸術栄誉賞、小曽根真さんが最優秀スタッフ賞、栗山民也さんが優秀演出家賞を獲得し、優秀作品賞も受賞。
2012年の再演では井上芳雄さんが第63回芸術選奨文部科学大臣新人賞(演劇部門)と第20回読売演劇大賞 優秀男優賞、高畑淳子さんが同賞の最優秀女優賞、神野三鈴さんが第47回紀伊國屋演劇賞の個人賞に輝いています。
そして2019年の再演を経て、2027年に集大成となる4度目の上演が決定。小林多喜二が短くも鮮烈な人生のなかで何を思い、何を信じ、最期まで筆を執り続けたのか。思想や言論の自由が奪われた時代に、人は何を信じ、どう生きるのか。1人の青年が死に至った背景から目をそらさずに向き合うことが、今この時代を生きるうえで大切な視点を与えてくれるように思います。
栗山民也が18年にわたり向き合う、井上ひさし最後の戯曲
本作の演出は、初演から一貫して演出家の栗山民也さんが手掛けます。栗山さんは1980年に演出家デビューして以来、ストレートプレイからミュージカル、オペラまで幅広いジャンルで演出を担当。出来事の本質を鋭く捉え、リアリティとメッセージ性を両立させながら舞台上で表現する手腕が評価され、読売演劇大賞や紀伊國屋演劇賞、菊田一夫演劇賞など数々の演劇賞を受賞してきました。演出家として日本の演劇界を牽引してきた実績に対し、2026年には第82回恩賜賞・日本芸術院賞を受賞しました。
また、井上ひさしさんとの縁も深く、これまで『日本人のへそ』『きらめく星座』『太鼓たたいて笛ふいて』など数多くの井上作品を演出。井上さんの作品を数多く手掛けてきた栗山さんが、初演から18年を経た2027年に、この物語をどのように舞台上へ立ち上げるのか注目です。
音楽を担当するのは、ピアニスト・作曲家の小曽根真さんです。ジャズ界から始まった国際的なキャリアはクラシック界にも及び、ジャズとクラシックの両分野で国際的に活躍し、ジャンルを横断した音楽活動を展開しています。2011年のこまつ座『日本人のへそ』では、音楽担当として新曲を提供するだけでなく、実際にピアノ伴奏者役で出演した経験もあります。本作では「信じて走れ」や「胸の映写機」などの楽曲で笑いと涙に包まれた物語を彩るとともに、登場人物たちの感情をより一層ストレートに伝えます。
<あらすじ>
ときは昭和5年の5月下旬から、昭和8年2月下旬までの、2年9ヶ月。
幼い頃から、貧しい人々が苦しむ姿を見てきた小林多喜二(井上芳雄)は、言葉の力で社会を変えようと発起し、プロレタリア文学の旗手となる。だが、そんな多喜二は特高警察に目をつけられ、「蟹工船」をはじめ彼の作品はひどい検閲を受けるだけでなく、治安維持法違反で逮捕されるなど、追い詰められていく。そんな多喜二を心配し、姉の佐藤チマ(秋山菜津子)や恋人の田口瀧子(矢吹奈子)はことあるごとに、時には変装をしてまで、彼を訪ねていく。瀧子は、活動に没頭する多喜二との関係が進展しないことがもどかしく、また彼の同志で身の回りの世話をしている伊藤ふじ子(堀内敬子)の存在に、複雑な思いを抱いている。言論統制が激化するなか、潜伏先を変えながら執筆を続ける多喜二に対し、刑事の古橋鉄雄(山崎 一)や山本 正(土屋佑壱)は、彼の人柄に共感しながらも職務を全うしようと手を尽くす。命を脅かされる状況の中でも、多喜二の信念は決して揺るがず、彼を取り巻く人たちは、明るく力強く生きていた。
そしてついにその日は訪れる…。
井上芳雄が再び小林多喜二に。秋山菜津子、堀内敬子らが描く愛と葛藤
小林多喜二役で主演を務めるのは、2009年の初演から今回で4度目となる井上芳雄さんです。ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビューして以来、多数のミュージカルや舞台に出演し、芯のある歌声と柔軟な感性で緻密に役柄を表現。圧倒的な存在感を放ちながらも作品の世界観に溶け込む力を武器に、第一線で活躍し続けています。
演出の栗山さんとは2026年3月に舞台『大地の子』でタッグを組み、戦争孤児という難しいテーマに果敢に挑んだのが記憶に新しいところ。本作では、命の危険に晒されながらも決して屈せず、信念を貫こうとした小林多喜二を全身全霊で演じます。
多喜二の実姉・佐藤チマ役は、舞台を中心に映像作品でも活躍する秋山菜津子さん。コメディからシリアスまで作風に応じて多彩な顔を演じ分ける演技力に定評があり、野田秀樹さんや松尾スズキさんといった名だたる演出家から厚い信頼を得ています。
また、栗山さん演出の作品にも幾度となく参加し、近年は2025年の舞台『星の降る時』や2024年のこまつ座『夢の泪』に出演しました。今回は、弟の身を案じながら愛情を持って接する姉の視点から、ひとつの家族愛を紡ぎます。
多喜二の恋人・田口瀧子役には、矢吹奈子さんがキャスティング。アイドルグループ「IZ*ONE」と「HKT48」の元メンバーで、卒業後は俳優をメインにタレントとしても活動しています。本作で演じる瀧子は、多喜二を心配する一方で互いの関係や嫉妬心にも悩んでおり、彼女の揺れ動く心情にも注目です。
多喜二の同志である伊藤ふじ子を演じるのは、劇団四季出身で現在は多数の舞台やミュージカルに出演する堀内敬子さん。2026年9月に大千秋楽を迎えたばかりの日本初演ミュージカル『ディア・エヴァン・ハンセン』では主人公の母親役をWキャストで務め、息子との距離感に悩む複雑な親心を丁寧に表現しました。本作でふじ子が多喜二やその家族、恋人と関わっていくなかで生まれる人間ドラマが、物語の展開に深みを与えます。
そして多喜二を追う刑事の1人、古橋鉄雄役は、小劇場を中心に俳優活動を続ける山崎一さんです。古典から現代劇まで豊富な出演経験を持ち、2021年には第28回読売演劇大賞の最優秀男優賞を獲得。また、2018年に旗揚げした演劇集団「劇壇ガルバ」での公演にも精力的に取り組んでいます。
同じく刑事の山本 正役は、演劇ユニット「*pnish*」の一員として多彩な表現の方法を追求する土屋佑壱さんです。これまで本作を含めさまざまな井上ひさし作品に参加しており、2025年以降はこまつ座に所属して活動の場を広げています。
刑事2人が多喜二への共感と職務への責任感という相反する感情に挟まれる姿は、私たち観客にとっても他人事ではないのではないでしょうか。
舞台『組曲虐殺』は、2027年2月6日(土)から28日(日)まで東京のMoN Takanawa: The Museum of Narratives Box1000にて上演。その後、3月4日(木)に山形のやまぎん県民ホール、3月7日(日)に宮城のタイハクホール名取(名取市文化会館)大ホール、3月12日(金)から14日(日)まで愛知の刈谷市総合文化センター 大ホール、3月18日(木)に広島の上野学園ホール、3月22日(月・祝)に熊本の市民会館シアーズホーム夢ホール 大ホール(熊本市民会館)、3月26日(金)から28日(日)まで佐賀の鳥栖市民文化会館 大ホール、3月31日(水)から4月4日(日)まで大阪の梅田芸術劇場シアター・ドラマシティを巡演します。HPはこちら。
言論や表現の自由が当たり前ではなかった時代を振り返ることで、今私たちが置かれている状況を問い直す、そんな力が演劇にはあるのではないか。井上ひさしさんが遺した本作について考える時、そう思わずにいられません。



















