作・演出を鈴木おさむさん、主演を田中圭さんが務める舞台は3度目だという『もしも命が描けたら』。ミュージカルでの活躍が目覚ましい黒羽麻璃央さんと舞台・映画で高い評価を受ける小島聖さんを迎え、3人芝居に挑みます。テーマ曲にYOASOBI、アートディレクションに清川あさみさんと音楽・美術にも拘った本作。まさに“総合芸術”と呼べる作品の観劇リポートをお届けします。(2021年8月・東京芸術劇場プレイハウス)※一部ストーリーに触れる部分がございます

三日月が照らす、少年の孤独と愛

星野月人(田中圭)は8歳の時にゴッホの「星月夜」を見て以来、三日月に惹き込まれるようになります。両親や育て親など大切な人との別れを経験しずっと孤独に生きてきた月人にとって、三日月は唯一自分を見守ってくれる存在。YOASOBIの楽曲「ハルカ」の原作小説『ハルカと月の王子さま』でも鈴木おさむさんは「月」を象徴的に描いていました。今回の舞台では、三日月を黒羽麻璃央さんで擬人化。満月ではなく、三日月に惹かれる月人。影と光を持つからなのか、どことなく寂しげに見えるからなのか。常に孤独と共に生きる月人を、三日月は優しく幻想的な笑みで見守ります。

作品冒頭では月人の語りで物語が展開。三日月に今までの自分の人生を語りかける姿は、少年の頃の孤独と無垢を抱えたまま大人になってしまったかのよう。まるで親に今日あった出来事を必死に話す子供のように、相当なセリフ量を無邪気にこなす田中圭さんに観客も惹き込まれ、彼の物語に耳を傾けます。

運送会社で出会った月山星子の優しさに触れ、初めて愛を知る月人。しかし星子をも失ったことで、月人は生きる意味を無くします。死を決意した月人の前に現れたのが、三日月。彼は月人に“絵を描くと自分の命が削られ、描いたモノに命が与えられる”という力を与えます。

自分の命を、誰かのために配る。すると少しずつ彼の世界が変わり始める。自分のためじゃなく、誰かのために行動し始めたから。孤独の影から光の方へと歩み始める。三日月から、満月の方へ。だけれど、そうすると「生きること」への欲が出てくる。誰かの命を助けるより、自分が生きていたい。そう思えるほど現実を、自分の人生を愛せるようになった月人が最後に命をかけたものとは…。

自分は誰かのために「命を配る」ことができるだろうか。「生きる」ことの意義を、自分の人生の意味を、考えさせられました。

生命と芸術がかけ合わさった極上の空間

魂を振り絞って大量のセリフで語りかけてくる田中圭さんの熱量を目の前で見られるのは、まさしく演劇ならではの魅力そのもの。まるで田中圭さん自身も命を削っているかのようです。前半では三日月を妖艶に演じ、後半はチャラいけれど憎めない陽介を演じる黒羽麻璃央さんの豹変ぶりもお見事。星子と虹子という二役を演じる小島聖さんも、同じ俳優が演じていることを忘れてしまうほど二人の女性を美しく演じ分けます。大掛かりなセットはないのに、彼らの人生を想像させてくれる彼らの演技力はまさにプロフェッショナル。

さらに、シンプルな舞台を彩るのが美しい映像たち。映像でありながら温かみのあるアートたちは2階席から見るとその華やかさや移り変わりがよく見え、観客の想像力を助けてくれます。

物語が始まる前、物語の各所、そして最後にかかるのがYOASOBIの「もしも命が描けたら」。物語を凝縮させた歌詞に、ikuraさんの琴線に触れる歌声。物語が進むに連れて歌詞に重みが増し、最後にかかった時には自然と涙が溢れてきます。

生命力を一番感じられる演劇と、音楽・美術といった芸術が上質にかけ合わさった極上の空間。カーテンコールでは拍手が鳴り止まず、溢れる涙と力一杯に叩いた手がじんわりと体温を上げるのを感じながら帰路につきました。

Yurika

「出会えてよかった」と心から思えた作品『もしも命が描けたら』。これほど美しく切なく、幸福な作品と多くの人が出会えるよう、私は命をかけて演劇の意義を発信し続けたい。そう思わされました。『もしも命が描けたら』は8月22日まで東京芸術劇場プレイホールにて、9月には兵庫公演・愛知公演が予定されています。公式HPはこちら 予定枚数は終了していますが、リセールなど出る場合もあるのでぜひチェックしてみてください。チケットぴあでのチケット購入はこちら