シェイクスピアの全37戯曲を上演するという異例の試みが、遂に最終章を迎えました。蜷川幸雄監督から吉田鋼太郎さんへとそのバトンは受け継がれ、2021年37作品目となる『終わりよければすべてよし』上演へ。そのタイトルとは裏腹に「問題劇」とも言われる本作の魅力と考察をお届けします。(2021年5月・彩の国さいたま芸術劇場)(撮影:渡部孝弘)
ベッドトリックで結婚成立?!
若き伯爵バートラムに恋心を抱く孤児ヘレン。しかし身分違いの恋ゆえに言い出すことができません。ヘレンは医師の父親から受け継いだ処方箋で難病のフランス王を治したことをきっかけに、夫を選ぶ権利を与えられます。そこで思いをずっと募らせていたバートラムを選ぶのですが、貧しい医師の娘なんぞ妻にはしたくないとバートラムは断固拒否。フランス国王に命じられて渋々結婚するも、その夜ベッドを共にすることのないまま戦地フィレンツェに行ってしまいます。
そこでヘレンは巡礼の旅としてバートラムのいるフィレンツェに赴き、バートラムがダイアナという女性に求愛していることを知ります。賢いヘレンが夫を取り戻すために使ったのが、ベッドトリック。ダイアナの部屋でヘレンがダイアナになり替わり、一夜を共にするというものです。愛する夫が別の女性を愛するその現場で結ばれるという、なんとも切なく大胆なトリック。それを堂々とやり遂げるヘレンの強さは、もはや愛というより執念のよう。
藤原竜也のダメ男っぷりVS石原さとみが魅せる強い女性像
今回バートラムを演じたのは、シェイクスピア・シリーズお馴染みの藤原竜也さん。対してヘレンはシェイクスピア・シリーズ初参加となる石原さとみさんです。血気盛んで浮気性なバートラムを演じる藤原竜也さんのダメ男っぷりは見事。凛とした透き通る声で彼への愛を叫ぶヘレンに、“こんな男のどこがいいの!せっかく美しく賢い子なのに!!”と言いたくなってしまいます。
ただここがシェイクスピア作品の面白いところ。ヘレンは一度も、なぜバートラムを好きなのか?は語りません。作品が始まった冒頭から最後まで、ずっと一途にバートラムを愛し続けます。理性で考えると“おかしい”と言いたくなってしまいますが、“こんな男のどこがいいの!?”というセリフ、現代でもよく耳にしますよね。ダメ男でも何故か惹かれてしまうのは、むしろ恋愛あるあるではないでしょうか。
それに国王に強制されたからと言って好きでもなく身分が高いわけでもない女性と無理やり結婚させられる若きバートラムを思うと、必要以上に反発したくなる気持ちもわかる気がします。自分はまだ結婚したくない!自由に暮らしたいんだ!そんなふうに叫んでいる男性は現代でも目にします(笑)。そんな理屈では語れない人間らしさを描いた本作に、シェイクスピアの真髄を感じずにはいられません。
バートラムは何故「顔を半分隠して」帰ってくるのか?
戦地から帰ってきたバートラムは何故か、顔を布で半分隠してフランスに帰ってきます。戦地で活躍した名誉を現しているのでしょうか。バートラムはすっかりおとなしくなっており、国王の命令に背いたことを謝罪します。最後結ばれることになり、「終わりよければすべてよし」になったバートラムとヘレン。ヘレンは優しくバートラムの布をとり、抱きしめます。
もしかしたらその布は、時間が経って身に付けた建前や大人の事情を受け入れる物分かりの良さ、と言った心の仮面のような存在なのかもしれません。しかしヘレンはありのままのバートラムを受け入れる。やはりヘレンの強さと心の広さには感服です。「終わりよければすべてよし」とヘレンが言うならば、その良し悪しを他人が口を突っ込むべきではないのでしょう。
舞台一面には彼岸花が敷き詰められ、幕が開いた瞬間にその世界観に惹きこまれます。そこから技巧の散りばめられた言葉が一気に飛び交い、こんなにも計算され尽くされた言葉の数々を嵐のように浴びる経験はそうないだろう、と必死に耳を傾け続けた2時間40分でした。公演は29日まで彩の国さいたま芸術劇場で行われ、その後宮城公演・大阪公演・豊橋公演・鳥栖公演が予定されています。 公式HPはこちら