9.11に触発された野田秀樹さんが作り上げ、2006年のロンドンでの初演をはじめ、何度も再演を重ねてきた傑作です。阿部サダヲさん、長澤まさみさんら、わずか4人で生み出される空間はまさに劇的。人が業に堕ちる瞬間をたった75分の中で描いてしまう、恐ろしい芝居でした。(2021年11月・東京芸術劇場シアターイースト)
戦場のような、地続きの日常。
平凡なサラリーマン井戸(阿部サダヲ)は、脱獄犯の小古呂(川平慈英)に、妻と子どもを人質に自宅に立てこもられます。井戸は小古呂を説得するため、彼の内縁の妻(長澤まさみ)の家へ行きますが、夫とはもう関係無いと協力を拒まれてしまいます。業を煮やした井戸は、警官から奪った拳銃をかざし、内縁の妻と子どもを人質に立てこもり、小古呂に脅迫を仕掛けることに。井戸と小古呂の対立はエスカレートしていき、狂気が場を支配していきます。
平凡な日常が一転、異常な状況へ。そしてこの芝居は、異常な状況すら、感覚が麻痺して日常となっていく姿まで描ききります。恐怖に怯えていた内縁の妻と子どもも、いつしか井戸に従順になり、家族のように生活していく。しかし小古呂への脅迫は続いており、暴力や強姦が日常の一部になっている。それが戦場のような遠い世界の話ではないのに、リアリティを感じられることが、より恐ろしさをかき立てます。
10秒に一度、何かが起こる。
日常が異常へ、異常が日常へと変化していく様を描きだすのは、幾つもの役をスイッチする4人の役者たちの熱演。そして、小道具ひとつひとつの“見立て”によって過剰なまでに刺激される観客の想像力です。鉛筆を指に見立て、子どもの指を折ることで小古呂を脅迫するシーンは、まさに演劇でしかあらわせない表現。井戸の狂気と、それに麻痺し受け入れていく役者陣の演技が合わさり、強烈な説得力を生み出していました。
また、舞台装置に巨大な紙を使い、切って窓にしたり、映像を投影したりと遊び心あふれる演出も特徴。タイトルである蜂のシルエットを大きく映し、井戸が精神的に追い詰められていく様子を表現するなど、シンプルな舞台なのに、常に何かが起こり目が離せない、スリリングで濃密な観劇体験でした。
小規模な劇場を選んだところも含め、まさに「生」でなければ味わえない面白さを凝縮した作品。一緒に行った友人たちと観劇後にずっと語り合ったことも含め、「これぞ演劇」という素晴らしい体験でした。