シェイクスピア作品の名台詞といえば、何を思い浮かべますか?「生きるべきか死すべきか」「おお、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」などは作品を知らない人でも聞いたことがあるのでは?今回はその二つに負けずとも劣らない名台詞である『マクベス』のTomorrow Speechを紹介します!

シェイクスピア四大悲劇のひとつ『マクベス』

『マクベス』は、魔女によって預言される「マクベス、王になる男」という言葉に翻弄されて妻とともに現王の殺しを行ってしまい、王座についたのちは暴政を行い、ついには破滅してしまうある将軍の物語です。

その第5幕第5場、マクベス夫人が亡くなったことを告げられた際のマクベスの独白は、Tomorrow Speechと呼ばれています。この独白が名台詞と言われる所以のひとつに、この短いたった数行のスピーチに、シェイクスピアが重視していた「世界劇場」という思想が色濃く現れているということがあります。

「人生は歩く影法師。哀れな役者だ」

Tomorrow Speechでは、人生は歩く影法師であり、役者という例えがあります。

明日、また明日、そしてまた明日と、
記録される人生最後の瞬間を目指して、
時はとぼとぼと毎日の歩みを刻んで行く。

そして昨日という日々は、阿呆どもが死に至る塵の道を
照らし出したにすぎぬ。消えろ、消えろ、束の間の灯火!

人生は歩く影法師。哀れな役者だ。

新訳 マクベス 第5幕第5場 河合祥一郎訳 角川文庫

シェイスクピアの時代、「世界劇場(テアトルム・ムンディ)」と呼ばれる「この世界は劇場であり、劇を観る観客は神。人は皆、男と女もただの役者にすぎない」という人生観がありました。Tomorrow Speechでは世界劇場思想を踏まえ、人間の一生を、出番のときだけ舞台に上がる役者のようでただの影のように虚しいとして嘆いています。

このシーンは、驚きも悲しみもせずただつぶやくようにこのSpeechを口にするという形で多くは演出されます。マクベス夫人が亡くなったという喪失感と、殺しを行ってしまった罪の意識に苛まれながら、とぼとぼと重たい足取りで人生を歩んでいくマクベス自身の姿が見えるようです。

Asa

「記録される人生最後の瞬間を目指して」の原文は"To the last syllable of recorded time"。個人的にはここで、「最後のsyllable(=音節)」という言葉を使っているところが、言葉を操る劇作家であるシェイクスピアらしくて素敵だなと思います。