西川大貴さんと桑原あいさんが手掛けたソング・サイクル・ミュージカル『雨が止まない世界なら』。これまでにYouTubeでのポエトリーリーディング動画の配信やワークショップ公演のかたちで発表され、6月30日にリリースされたコンセプトアルバムには、ミュージカル界を代表するキャストが歌う全20曲が収録されています。

日頃、観劇の際は作品情報を調べておきたい派の筆者。ですが、この作品はコロナ禍で構想・制作されたと聞き、色眼鏡をかけずに鑑賞したいと思っていました。いざ聴いてみると、今の自分だから感じられたこと、少し前の自分が感じていたことなど、同じ時代を経験しているからこそ共感できる場面がたくさんありました。

日々を生きてる人間は、それだけで強い。

『雨が止まない世界なら』の全20曲を再生すると約1時間15分。雨が降り続ける、という未曾有の状況を、多様な視点から切り取った1曲完結の楽曲で、その状況下に生きる人の様々な心情を巡ることが出来ました。

雨が止まなくなり、外出ができなくなった、仕事が変わった、孤独を深めた・・・。急速な状況変化に直面した人々の、感情がふとこぼれてしまう瞬間を表した歌詞。それぞれの曲が描く感情に触れるたび、弱音や強がりも一生懸命生きている証だよ。と、あらゆる感情を肯定してくれるような作品構成でした。

私が『雨が止まない世界なら』から受け取ったものは、日常生活に滲み出る人間の生命力。色々な転機に合わせて生活を変化させる力、どんな感情に振り回されても日々の生活を送り続ける力。日常の当たり前の姿にこそ、生きる輝きがあることに改めて気付かされたミュージカルです。

共感度の高い歌詞と情景が浮かぶメロディ

やはり一番心に残るのは西川大貴さんが手掛けた歌詞の数々。コロナ禍を過ごしたからこそ心に引っかかる言葉もあり、必死に2020年を過ごした私たち自身の姿を投影せずにはいられませんでした。虚無、孤独といった感情を歌ったかと思えば、雨が降る景色にワクワクする楽しい楽曲もあり、同じ雨雲の下でも様々な捉え方があることに気付かせてもくれます。無意識のうちに、気を張りすぎていたかもしれない今日までの日々。まだトンネルの途中ではあるけれど、先の景色を思い浮かべて、自分のペースで休み休み、歩いて行けばいいかなと、西川さんの言葉に背中を押してもらえたような気がしました。

西川さんが紡いだ言葉の情景を拡げていく桑原あいさんのメロディも、全編を通してとても印象的。動きのある楽曲によって、言葉のイメージが膨らみ、想像力を掻き立てられました。オープニングの「今日も窓が濡れる」では、しとしとと穏やかに、しかし止む気配のない雨の情景が浮かび、雨が止まない作品の世界へと誘われます。決して明るい歌詞ではないのですが、どこか希望を感じさせるようなメロディが、はじまりの期待を膨らませてくれました。全20曲、音楽のジャンルが様々で、ピアノの旋律がドラマチックな曲から、あの名作ミュージカルのオマージュ曲まで、飽きのこないラインナップです。

後半にかけて印象的なキャラクターが再登場したりと、楽曲間にはわずかな繋がりもあり、色濃くもまとまりがある楽曲アルバムでした。聴き入っていると時間が経つのもあっという間。体感時間が短く、それだけ聴く人を引き込む作品です。

印象に残った1曲「東京漂流」

『雨が止まない世界なら』の全20曲は本当に素敵な曲ばかり。歌うとなると難しそうな曲を朗々と歌い上げる力強い歌声は、さすがミュージカル界の最前線を走るキャスト陣。五感を研ぎ澄ませて、その歌声を堪能しました。

どれも印象深くて全ての曲の魅力をご紹介したいところではありますが、それは是非、アルバムをお手にとって楽しんで頂きたいので、ここでは、1曲だけ、特に心に残った「東京漂流」について書き留めたいと思います。

「東京漂流」はアルバムの12番目の曲。元宝塚歌劇団トップ娘役の咲妃みゆさんが、社会の流れに追いつくのに必死で、今にも擦り切れてしまいそうな心を歌います。自分より先を進んでいるように見える同級生の姿やアップデートを強いられる社会の変化。“もう進みたくも変わりたくもないの本音は 変わってしまうことが多すぎて”というサビの歌詞と、その拮抗する気持ちを象徴するように上下するメロディ、情感たっぷりの歌声が切なく、心に刺さりました。変化に対応しなければと分かってはいるけど、周りの速さについていけない。この2年間と言わず、広い社会に出た後に感じてきた葛藤に重なって、今の自分にとても響く1曲でした。

「聴くミュージカル」で、想像する自由を味わって

『雨が止まない世界なら』は細かいストーリーが提示されていません。そしてこのミュージカルにはまだ「聴く」以外の要素がありません。ソング・サイクル・ミュージカルかつ未上演作品であるからこそ、聴き手に想像する余白をたっぷり残してくれることがこの作品の魅力になっていると思います。自分の感性のままに、作品のイメージを創り上げることができる自由さ。その点で、このミュージカルの楽しみ方は短編小説を読むような感覚に近いかもしれません。

まだまだ斬新な手法に感じられるソング・サイクル・ミュージカルという手法ですが、今回、『雨が止まない世界なら』がコンセプトアルバムで示した「ミュージカルを聴く体験」はとても心地の良いエンターテインメントのかたちだと思いました。今は目に入る情報が氾濫している時代。動画投稿がコミュニケーションの主体となり、「映え」が世の中に溢れていますよね。もちろんそれも素敵なことですが、ほんのひととき、目を休めて心を動かす時間を持つのもいい気分転換になるかもしれません。『雨が止まない世界なら』のアルバムを聴きながら、言葉とメロディに誘われ、自由な発想の海にとぷんと飛び込んでみてはいかがでしょうか。

海宝直人さんや咲妃みゆさん、土居裕子さんら豪華キャストが集結したソングサイクル・ミュージカル『雨が止まない世界なら』コンセプトアルバムの購入はこちらから。

Sasha

雨が止まない世界には、溢れかえる水の上を移動する、水上タクシーの運転手が新しい仕事として登場します。それまでの仕事がなくなって、守るべきもののために運転手になった人物の歌。西川さんご自身が歌うその曲には、幾千人もの方がぐっと飲み込んできたであろう感情が重なっていた気がしました。