コロナ禍での中止を経て、奇しくも日本初演30周年記念公演となった2022年ミュージカル『ミス・サイゴン』。分断の世に、命がけで貫いた2人の“愛”。決して過去にはできない、大きな議題を投げかける作品に胸打たれました。(2022年8月・帝国劇場)

美しすぎて涙する、数々の名曲たち

ミュージカル『ミス・サイゴン』を観たことがなくとも、「世界が終わる夜のように」「命をあげよう」「アメリカン・ドリーム」などの名曲を耳にしたことがある人は多くいるでしょう。心張り裂けるような物語でも、30年間日本で根強い人気を誇った大きな要因は、アラン・ブーブリルとクロード=ミッシェル・シェーンベルクという『レ・ミゼラブル』音楽コンビが手がけた数々の美しい音楽ゆえだと言えます。

先の見えない戦争の最中、互いの存在に希望と夢を見出したアメリカ兵・クリスとベトナム人の少女・キム。2人が愛を誓い合う「世界が終わる夜のように」は、世界に2人だけだと思わせてくれるような、波のような穏やかな調べ。2人を引き裂くヘリコプターの轟音と、大きな対比を感じさせます。

コロナ禍やウクライナの情勢など、あらゆる情報が日々多量に押し寄せてくる今、文字や音が降り注いできて、目を閉じ耳を塞ぎたくなるような感覚になる時があります。そんな今だからこそ、心に流れ込んでくる「世界が終わる夜のように」は、美しい歌声がそれらを溶かすような気持ちになり、じんわりと涙が流れてきます。

愛に癒しを得たクリスと、強さを得たキム

ベトナム戦争で「国のために戦った」にも関わらず、帰国したら「白い目で見られた」クリス。彼は戦争によって運命と心を狂わされ、やっと見出した希望の存在・キムとも別れ、全てをやり直したいとエレンと結婚します。クリスとの再会を信じてなんとか生き延びていたキムを知っている観客からすれば、身勝手な行動にしか思えません。しかし息子・タムの存在を生き甲斐に生き続けたキムと同様、キムを失ったクリスにとっても生きる糧が必要だった。クリスはキムが生きているかすら分からない状態です。キムをアメリカに連れて行けなかった罪悪感も大きいでしょう。身勝手だと感じながらも、現実から目を背けたくなる気持ちに全く共感できないとは言えません。

戦地・サイゴンを離れて、アメリカで“過去”の苦しみから抜け出そうとしたクリスと、終戦しても生活の厳しさは変わらないサイゴンで、それでも“未来”を信じようとしたキム。愛されること・愛することで癒しを得ようとしたクリスと、生き抜く強さを得たキム。分断によって起こった2人の愛との向き合い方の変化が、あの心苦しすぎるラストに繋がってしまうのでしょう。言葉通り、「命をあげる」覚悟を貫いて、タムの未来を切り開こうとしたキムの強さに、身震いしました。

繊細さと強さを持ち合わせた昆キム×海宝クリスペア

クリスを演じる海宝直人さんは、戦争によって受けた苦しみと、キムと出会うことで見出した愛の喜びを、丁寧に表現。一方キムを演じる昆夏美さんは、悲しみに揺れながらも夢を捨てない少女の愛くるしさと、タムと生きる中で自分から運命を切り開いていく力強さを印象的に演じていました。繊細に、そして時に力強く2人の心を魅せる昆キム×海宝クリスペアに自然と感情移入してしまい、1幕から涙が止まりませんでした。

キムとクリスの2人を中心に、キャストの演じ方・組み合わせで作品の捉え方が大きく変わるミュージカル『ミス・サイゴン』。数々のトップ俳優がこの作品を機に大きく飛躍して来たのも頷けます。『ミス・サイゴン』は8月31日まで帝国劇場にて上演、その後全国ツアー公演を予定しています。公式HPはこちら

Yurika

“分断”が私たちに何をもたらすのかを、残酷なまでに描ききる『ミス・サイゴン』。2022年の今だからこそ、色々と考えさせられる作品です。