2023年2月、日生劇場での日本初上演が決まったミュージカル『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』。ブロードウェイ公演はトニー賞で主要10部門を受賞するなど、髙く評価される作品です。

エジプトの警察音楽隊が隣国でかつての敵国であるイスラエルで迷子になる、というストーリーのこの作品。今回は、予習編と題して、作品の背景にあるイスラエルと中東戦争を4つのポイントでおさらいをしていきたいと思います。(『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』作品についてはこちら

エルサレムとパレスチナ:ユダヤ人にとって強い思い入れがある聖地

『バンズ・ヴィジット』で交流する、エジプトから来たアラブ人とイスラエルに住むユダヤ人。この2つの民族は1948年以降、戦争を繰り返してきました(第一次〜第四次中東戦争)。2022年現在、国家間の関係は落ち着いているものの、アラブとユダヤの民族対立は今も続いています。

この中東問題は、非常にざっくりまとめると、現在のパレスチナ自治区周辺地域の支配権をめぐる、ユダヤ教国家とイスラム教国家の対立です。この地域は肥沃な大地とたたえられ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の聖都であるエルサレムがあります。古くは十字軍やナポレオン遠征などの征服の目的地にもなり、世界史上の戦いの根源とも言える土地です。

長くアラブ系イスラム教徒のパレスチナ人が居住していたこの地域は、ユダヤ教徒にとって、聖書で神から治めるように示された「約束の地」。なかでも、エルサレムは総本山のエルサレム神殿が置かれていた聖地であり、ユダ王国の首都だった場所。長く迫害を受け、世界を流浪していた彼らにとって、他民族には絶対に譲れない民族の拠点地なのです。

イスラエル建国:アラブとユダヤに決定的な対立構造ができるまで

オスマン帝国による長い支配が揺らいだ19世紀、ユダヤ人のあいだに、パレスチナにユダヤ国家の建設をめざす「シオニズム」が生まれ、世界各地から財力のあるユダヤ人がこの地に移住。パレスチナの土地の多くをユダヤ人が所有するようになっていきました。こうしてパレスチナの地に、長く居住してきたアラブ人と新しい国家を作りたいユダヤ人との対立の土台ができていきました。

同じころ、アラブ人の中でも、アラブ民族主義が高まっていました。それぞれの民族が抱える野望に目を付けたイギリスは、ユダヤ側にはユダヤ国家建設の支持を、アラブ側にはアラブの独立の支持を、それぞれ約束し、第一次世界大戦への協力を求めました。その裏で、同盟国のフランスとは、戦争終結後にオスマン帝国領土のアラブ人地域(中東地域)を分割支配する協定を結びます。

第一次世界大戦の結果、戦勝国となったイギリスは、計略どおり中東地域を分割支配。パレスチナをイギリス委任統治領として手に入れます。イギリスに期待を持たされ裏切られたことで、ユダヤとアラブ双方の民族感情は一層刺激されました。

つづく第二次世界大戦では、戦争で発生したユダヤ系の難民の多くが「約束の地」を目指したため、パレスチナではユダヤ人の移住者が急増。また、凄惨なホロコーストの事実が明るみに出たことで、シオニズムが国際議論の場で力を持つようになります。

1947年、国連はパレスチナにアラブとユダヤの二つの国家を作るという「パレスチナ分割決議」を採択。 ユダヤ側に優位な条件で領土分割がなされ、イギリス統治が終了した1948年5月14日、ユダヤ側はイスラエル建国を宣言しました。

中東戦争:パレスチナからスエズ運河までの土地と自治権をめぐる、終わりなき戦い

周辺のアラブ諸国は「パレスチナ分割決議」に猛反発。彼らから見ればやや強引な手段で国家を建国し、アラブ系住民を脅かすイスラエルを認めませんでした。こうして、アラブ諸国とイスラエルは領土をめぐって対立し、スエズ運河を挟んで隣り合うエジプトを中心に、第一次〜第四次中東戦争というかたちで争うことになったのです。

イスラエル建国の翌日から始まった、パレスチナ領土をめぐる第一次中東戦争では、イスラエルが勝利。国連分割決議よりもはるかに広い領土を確保し、パレスチナ人を追い出したため、大量のパレスチナ難民が発生しました。

1956年の第二次中東戦争は、スエズ運河の国有化を発表したエジプトへの報復措置として、イギリス・フランスがイスラエルを焚き付けて勃発。スエズ運河の東側、シナイ半島をめぐってエジプトとイスラエルが戦いました。

1967年の第三次中東戦争では、そのシナイ半島からパレスチナにかけてのアラブ側の領地をめぐって、イスラエルが先制攻撃。イスラエルが占領に成功しましたが、その実効性は国連の安保理決議で無効とされ、両者に禍根を残しました。

前の戦争で奪われた地域の奪還を目指し、エジプト軍とシリア軍がイスラエルに奇襲を仕掛けて始まった1973年の第四次中東戦争。結果的にはイスラエル勝利で終えたものの、イスラエル軍は大打撃を受けました。一方、アラブ側は敗れはしたものの、イスラエルに打撃を加えたことで、軍事的威信を取り戻します。また、石油の輸出制限で親イスラエル派の欧米各国に揺さぶりをかけ、経済的な影響力を示しました。

イスラエルとエジプトの和平合意:アラブ側のリーダーから調停役に転向したエジプト

4回の戦争を経て、財政が苦しくなったエジプト。頼みの綱となったアメリカからの資金援助を受ける代わりに、アメリカの条件をのみ、親イスラエル路線へと転換します。エジプトはイスラエルに歩み寄り、1979年にはエジプトとイスラエルの間で平和条約が締結されました。

この方針転換はアラブ諸国の反感を買い、エジプトはアラブ連盟から追放されます。盟主だったエジプトを失ってアラブ諸国の足並みは不揃いになり、イスラエルと周辺のアラブ諸国との戦争は表面的には鎮まることとなりました。

しかし、繰り返される中東和平に向けた会議の場でパレスチナの自治権について協議がまとまることはなく、中東問題の解決に至ったことは今日までありません。現在も、パレスチナ人が居住するパレスチナ自治区やガザ地区をめぐっては終わりの見えない紛争が続いており、イスラエルとアラブ諸国には今も緊張感が漂っています。(『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』作品についてはこちら

Sasha

国や民族、という大きな括りで人間を捉えると、大義や信条が先行してしまうものなのでしょうか。中東戦争の経緯をまとめながら、今も解決しないパレスチナ問題の修復できないもつれの深刻さを改めて実感しました。 ミュージカル『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』では、こうした中東の歴史的な背景を踏まえて、エジプト人とイスラエル人の交流を描いています。かつての敵という先入観で相手をみるのか、その瞬間に目の前にいる人として交流するのか。人と接するうえでの気づきを得られる作品です。