2018年のトニー賞授賞式で10部門を獲得したミュージカルが2023年、日本で上演されることが決定しました。民族的、宗教的に禍根を残す中東問題を背景に、人間同士の交流をシンプルに描き出した『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』です。

ニュースにはならない、記録にも残らない。ちいさな、けれど価値のある人間の交流

『バンズ・ヴィジット』は、2007年に公開されたイスラエルの同名映画を原作に、音楽・作詞デヴィッド・ヤズベック、台本イタマール・モーゼスによってミュージカル化されました。90分とコンパクトにまとめられたこのミュージカルは、2016年にオフ・ブロードウェイで初演。2017年にブロードウェイへ進出し、その年のニューヨーク演劇批評家協会賞(最優秀ミュージカル賞)など複数を受賞し、当初から高い評価を得ています。

エジプトとイスラエルは隣国同士。物理的には近くても、長い歴史のなかで宗教的にも、民族的にも対立が続いてきました。この作品はそんな現実を背景に、たった一晩の異人との交流を描いています。迷子の警察音楽隊、という副題の通り、エジプトの警察音楽隊がイスラエルの地で迷子になるという筋書きを、人間同士の血の通ったコミュニケーションと音楽の力で情緒的に表現した作品です。

期待大の日本版キャスト&スタッフ

日本版『バンズ・ヴィジット』の演出を手掛けるのは、ストレートプレイから『パレード』や『ピーター・パン』などのミュージカルまで、広く手掛けてきた森新太郎さん。昨年は吉田羊さん主演の『ジュリアス・シーザー』で全役を女性に演じさせ、男性優位の政治劇を性差の枠を超えた人間の物語に仕上げました。異文化交流のおもしろさを描く脚本の『バンズ・ヴィジット』にどのような仕掛けを構想しているのか、楽しみです。

主要キャストには、ドラマや舞台で貫禄を見せる風間杜夫さん、『メリーポピンズ』の濱田めぐみさん、『鎌倉殿の13人』阿野全成役で話題になった新納慎也さんらが名を連ねています。かつての敵国で迷い歩くエジプト人の音楽隊、かつての敵国から来た予期せぬ客人を迎えるイスラエル人。ブロードウェイ版演出では、両者に流れる緊張をコメディタッチで表現する場面もあり、個人的には日本版でもベテランキャスト勢の間のおもしろさが活きる芝居を堪能できるのでは、と期待しています。

異文化交流に流れる緊張とほころびの物語

隣国イスラエルに到着したエジプトのアレクサンドリア警察音楽隊。彼らはペタハ・ティクヴァという街のアラブ文化センターでの演奏会に向かうはずでしたが、一向に迎えが来る気配がありません。自力で目的地に向かうと決めた楽隊長のトゥフィーク(風間杜夫さん)。隊員の手配でバスに乗り込みますが、到着したのは、目的地と一字違いのベイト・ハティクヴァという辺境の街でした。演奏会は翌日の夕方。今日はここでやり過ごすしかないが、この街にはホテルもない…

途方に暮れる音楽隊に救いの手を差し伸べたのは、街の食堂の女主人ディナ(濱田めぐみさん)。従業員や常連客と協力して、音楽隊が分散して泊まれるよう手配します。言葉も文化も異なる隣国の人間たち。一晩の交流で、はたして何が変化するのでしょうか。

豊作年のトニー賞で10部門を獲得!審査員が願いを託した、素朴でしなやかな魅力作

この作品は2018年の第72回トニー賞で11部門にノミネートされ、10部門を獲得したことで、広く知られるようになりました。受賞した部門は以下の通りです。

第72回トニー賞 『バンズ・ヴィジット』受賞10部門
・ミュージカル作品賞
・ミュージカル主演男優賞
・ミュージカル主演女優賞
・ミュージカル助演男優賞
・ミュージカル演出賞
・ミュージカル脚本賞
・ミュージカル照明デザイン賞
・ミュージカル音響デザイン賞
・オリジナル楽曲賞
・編曲賞

2018年当時、ブロードウェイでもてはやされていたのは、この年の最優秀演劇作品賞を受賞した『ハリー・ポッターと呪いの子』をはじめ、『ミーン・ガールズ』、『スポンジ・ボブ ブロードウェイ・ミュージカル』、『アナと雪の女王』というそもそもの原作人気が高い作品たち。潤沢な予算で華やかさを実現したメガヒット作品がずらりとノミネートされるなか、『バンズ・ヴィジット』は地味で印象の薄いものでした。

しかしながら、控えめな舞台効果がかえって役者の存在感と心の動きを強調することとなり、審査員の評価に結びついたのです。対峙する国の人間同士が心を通わせるこの物語は、分断の進む社会が正面から向き合うべきテーマ。今も変わりはありませんが、当時、アメリカ国内では支持政党を巡って大きく二分されていました。『バンズ・ヴィジット』の快挙は、キャスト&スタッフや作品への称賛はもちろんのこと、トニー賞から社会への強いメッセージともとれる受賞となりました。

平和を希求するゆえに、分かり合うどころか溝を深めていく。そんな今を体感している私たちにも、いちるの望みや理想の姿を語りかける作品と言えるのではないでしょうか。

日本初上陸となるミュージカル『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』は2023年2月7日(火)から2023年2月23日(木祝)まで、東京・日生劇場にて上演。その後、大阪・梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ、愛知・刈谷市総合文化センター大ホールにて上演予定です。最新情報は公式ホームページをご確認ください。

Sasha

弦楽器や打楽器が印象的な、中東独特の音楽もこの作品の魅力。日本版でも奏者の方が音楽隊員としてキャスティングされています。はたして音楽隊は演奏会に間に合うのか、物語の行く末にハラハラしながら、ぜひその結末を見届けてください。