辛口評論家にまで「最も力強いミュージカル映画」と言わしめた名作『屋根の上のバイオリン弾き』。人気ミュージカルを映画として再構築し、歴史に名を刻んだ名作に秘められたストーリとは?ノーマン・ジュイソン監督や当時のスタッフ・俳優の口から、『屋根の上のバイオリン弾き物語』で50年越しに語られます。
『屋根の上のバイオリン弾き物語』で語られる秘話
『屋根の上のバイオリン弾き』といえば、映画、ミュージカルのいずれの形でも世界中から広く愛された作品です。特に1971年に公開された映画版はアカデミー賞8部門にノミネートされ、うち3部門を受賞。映画史に残る名作として歴史に刻印されました。日本版ミュージカルの初演は1967年、帝国劇場にて。以降名優たちがその物語を受け継ぎ、2021年にも市村正親さんを主演に迎えて上演されました。
『屋根の上のバイオリン弾き物語』は、『屋根の上のバイオリン弾き』映画化のバックストーリーを追ったドキュメンタリー映画。ノーマン・ジュイソン監督を始め、各スタッフへのインタビューにより製作秘話が語られます。
ロシア革命前 ウクライナに住むユダヤ人の人生を描く
『屋根の上のバイオリン弾き』は、ウクライナに住むユダヤ人の人生を描いた物語です。舞台はウクライナの小さな村、アナテフカ。酪農で生計を立てる牛乳屋テヴィエは、5人の娘に囲まれ、ユダヤ教の戒律を厳格に守り、つつましくも幸せな毎日を送っていました。
ある日長女のもとに結婚話が舞い込みますが、彼女にはすでに別の恋人が。紆余曲折あり彼女は恋人と結婚しますが、次女、三女にも難しい問題が…。
一方、周りでは「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人排斥が次第にエスカレートしており、ついにはアナテフカの村全体が追放されることになってしまいます。タイトルは、村を出るテヴィエ達を見送るバイオリン弾きの姿から。ひた迫る革命の足音と、彼らの運命とは…?
今なお人々の心を掴む理由とは?
映画撮影から50年後、「なぜ特に思い入れがあるのか?」と問われたノーマン・ジュイソン監督は「冒険だったから」と答えます。『屋根の上のバイオリン弾き』はもともとブロードウェイミュージカルで、その映画化は監督にとって大きな挑戦でした。そして彼自身も、「ジュイソン」という苗字でありながら育った家庭はユダヤ教ではなく、「物心ついたころからユダヤ人になりたかった」と、その思いを語ります。
他にも、音楽を担ったジョン・ウィリアムズさん、主人公を演じたハイム・トポルさん、娘役たちへのインタビューやロケ地をめぐる困難、舞台セットや市撮影に凝らした様々な工夫を丹念に追うことでその魅力が明らかになっていきます。
『屋根の上のバイオリン弾き物語』は3月31日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺にてロードショー。ぜひお見逃しなく。上演スケジュールの詳細は公式HPをご確認ください。
『屋根の上のバイオリン弾き』といえば、映画版でその主人公を務めた名優ハイム・トポルさんがこの3月8日に永い眠りについたとのニュースもありました。彼を偲んで、今この映画を観ながら歴史に思いを馳せる。そんな時間があっても良いですね。