1996年より、ミュージカル座の代表作として受け継がれてきた『ひめゆり』。今年も彩の国芸術劇場大ホールでの上演が予定されていました。しかし、出演者にコロナウイルス陽性者が複数発生し、公演中止という結果に…。2020年という激動の1年に、今一度、演劇のことを考えてみませんか。
感染防止策を取りながらの稽古、しかし…
1995年、ハマナカトオル氏によって国産のミュージカルの創造と普及を目指して創設されたミュージカル座。『ひめゆり』は、太平洋戦争末期に沖縄のひめゆり学徒隊となった女学生たちの歴史をありのままに表現した代表作です。戦争の惨たらしさ、軍事教育の恐ろしさ、数十年前に存在した凄惨な実相を描きながらも、平和への祈りと生きている喜びが詰め込まれています。
20年10月に公演予定だった本作。ミュージカル座の公式発表によると、手洗い・うがい・検温、消毒用アルコールの設置、会食禁止、換気の徹底といった一般的な防止策はもちろん、演者が向き合うシーンは向き合わないように調整する、舞台上には32人までと演出を変更するなど、演出面でも相当な対策を取っていたよう。上演が叶っていれば、24年目の新しい『ひめゆり』に私たちは出会えたことでしょう。しかし、それだけ入念な対応を取っていても感染者は出てしまいました。
これは責められて然るべきことなのでしょうか。演劇は、衣食住のように生きるために必須のものではない、不要不急のものに集団で集まるのが悪いのだと、後ろ指を指されなくてはいけないのでしょうか。
Theater−演劇は、劇場だ。
今年は、無観客舞台の配信や、zoom演劇といった、新しい形の演劇が多数生まれた年となりました。『ひめゆり』のように公演中止になった舞台も数多くあったでしょう。2021年に変わろうとしている今も、出口の見えないコロナ禍。演劇はおろか、生きることにも大きな不安を抱えている方は多数いると思います。私だって怖い。きっと、世界中のみんなが恐れながら今日も生きている。
時に、theater (イギリス英語ならtheatre)、“演劇”という単語は、“劇場”という意味も持っています。様々な形態の演劇が生まれても、演劇とは劇場で観られるべきものだと、私は考えているのです。俳優たちの放った言葉が、歌が、動きが、舞台装置を動かす幕間のひとときの静寂、場内を駆け回る足音まで劇場の隅々に響きわたり、それら全てを観客が目一杯耳一杯感受して成り立つもの。それこそが演劇だと訴えたいのです。
演劇は今、非常に脆い立場に立たされています。本来の姿をいつ取り戻せるのか、今のところ誰にもわかりません。それでも希望を持って語らせていただくとすれば、あの名劇作家シェイクスピアも、ペストの流行で演劇を断念していた時期がありました。2年間の劇場閉鎖を経験した後に、彼は『ロミオとジュリエット』(1594)や『真夏の夜の夢』(1595−96)をはじめとした名作を生み出した。400年以上経った今も、その名前と作品は語り継がれています。
400年前の人類がペストを耐え抜いた様に、我々もいつかCOVID-19に打ち勝つことが出来る。その時にまた、不朽の名作『ひめゆり』を劇場で観ることが出来ると、私は信じてやまないのです。