世界中の人々を魅了した「ハリー・ポッター」シリーズの8作目、舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』。小説の最終巻から19年後の世界を舞台に、父親になったハリー・ポッターとその息子・アルバスを描いた物語です。ロングラン2年目にハリー役を務める大貫勇輔さんは、『フィスト・オブ・ノーススター~北斗の拳~』『メリー・ポピンズ』など数多くのミュージカル作品で活躍、しなやかで芯のある身体表現も魅力。「ハリー・ポッター」シリーズの大ファンだという大貫さんに、『ハリー・ポッターと呪いの子』の見どころを伺いました。

“俺、ハリー・ポッターなんだな”とじわじわと実感しています

撮影:山本春花

−大貫さんは子どもの頃から小説も映画も大好きだったと伺っています。
「第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』が発売されてすぐに買って読んでいて、ベッドに潜って没頭して読んでいましたね。もちろん小説は全巻読んだのですが、想像していた世界が映像になった映画にも、ハマりました。僕も魔法が使えたらいいなと思って呪文のクイズを作ってカードに書いて遊んだり…ハーマイオニーが大好きだったので、子どもの頃はいつかハーマイオニーと結婚するんだと思ってました(笑)。ちょうど映画でハリーを演じたダニエル・ラドクリフとは歳も近いですし、ハリーと自分が同世代だったのも大きいんでしょうね」

−オーディションではどのような部分をアピールされましたか?
「家にある一番長いコートを着て、ハリーっぽい眼鏡をかけて行って(笑)。ファンとしては、まさか自分がハリーを演じるチャンスが巡ってくるとは思わなかったですから、絶対に受かるつもりで行きました。オーディションでは“君、この芝居やったことあるの?”と褒めていただいて、もう心の中でガッツポーズをしました(笑)。でもハリー役に決まって様々な番組に出させていただいても、ずっと現実味がなかったです。稽古に入って少し経って、やっと“俺、ハリー・ポッターなんだな”とじわじわと実感が出てきています」

−稽古に入って、実際にハリー・ポッターの世界に入ってみて、いかがでしたか?
「見るのと演じるのは全然違って、大変ですね。魔法もあるので、やることが多くて。僕は『ハリー・ポッターと呪いの子』を3回観劇しているのですが、ハリーの息子たちが中心となる物語という印象が強かったので…思った以上に出番があって、これは大変だぞと日々稽古に励んでいます」

撮影:山本春花

−舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』は美しい身体表現も魅力の1つで、大貫さんの実力の見せ所でもありますね。
「ウォーミングアップが本当にハードで、稽古に入った最初の2週間は普段から身体を鍛えている僕でさえ筋肉痛になるくらいでした。フィジカルの強さがとても大事になる舞台です。演出家からは台詞への指示ももちろんあるけれど、体の動きについても結構言われます。魔法省に勤めているハリーは、書類やデスクワークは好きじゃなくて、現場が好きな人間。活発的な人間の体のあり方でいてほしいと言われています」

−ハリーのキャラクター性を体で表現されるのですね。
「はい。あと舞台では視覚から説明できる情報も数多くあるので、そういった意味でも体の使い方は大切です。ハリーが焦って出てくると、舞台に出てくる前にどんなことが起きていたのか想像できますよね。それでもの凄いスピードで出ていくと、その先も表わすことが出来る。体の表現をしっかり行うと、ただの場面転換ではなく、前後の時間の経過を説明できます」

撮影:山本春花

−既に世界中で様々な俳優がハリー役を演じていますが、自分ならではのこだわりはありますか?
「そこはあまりなくて、むしろ“大貫勇輔”が邪魔をしたくないなと思っていて。作品を見て没入してもらいたいので、“ハリー・ポッター”だと思ってくれることが1番嬉しいです。演出家や振付家を信頼しているからこそ、自分でこうしてやろう!というより、彼らが求めているものをいかに表現できるかを日々模索しています。演出家や振付家が求める100点、120点を目指して、稽古も毎日が勝負ですね」

−本番で楽しみにしていることはありますか?
「照明が本当によくできている作品なので、照明を浴びた時にどんな世界が待っているのかは俳優としてとても楽しみですね。客席から見ていてもあれだけの変化があるということは、舞台上にいるともっと変わると思っていて。どんな景色が広がっているのか楽しみにしています」

ハリーは、1人ではハリーポッターにはなれなかった

撮影:山本春花

−本作は世界を救ったヒーローでありながら、人間らしい“完璧ではない”ハリーが描かれています。大貫さんはハリーをどのような人物だと捉えられていますか?
「結構嫌なやつですよね、ハリーって(笑)。それに、とても普通の人間です。傷によって、母親の愛によって、スター扱いされるようになったけど、それに対する苦しみと葛藤があって。ロンやハーマイオニー、ダンブルドアや色々な人に助けられて、支えられて、最後に勇気を出してヴォルデモートと戦う。ハリーは、1人ではハリー・ポッターにはなれなかったと思います。そんなハリーが大人になって、どう父親としての成長を見せるのかは、『呪いの子』の面白さでありテーマなのかな」

−観劇していると“ハリー、言い過ぎだよ!”とヤキモキしてしまうくらい暴走しているシーンもあります。
「そこまで言っちゃダメっていうことばかり言ってますよね(笑)。ドラコの方が良いことを言っているんです。そこは小説や映画とギャップがあるかもしれません」

−本作でも小説に引き続き、ダンブルドアは大きな存在となっています。ダンブルドアはどのような人物だと思われますか?
「ハリーにとっては父親のような存在でありながら、客観的に見るとなんて不器用な老人なんだろうと思いますね。ダンブルドアに質問しても全然求めている答えをくれないので、それがハリーを捻くれさせてしまっているよと。なんて遠回りなおじいさんなんだ、と思います(笑)。ハリーのことが心配で、愛しているということをちゃんと言ってあげてほしいですよね。

でもダンブルドアはヴォルデモートを倒すためにはハリーも死なないといけないと思っていたから、全部を正直に言えない後ろめたさがあるからこそ、本当に心から愛しているということを言えなかったんだと思うんですよね。それは僕が大人になってから、ダンブルドアのことを色々と考えてみると、今だからわかることです。

でもハリー目線ではそれは分からないから、苦しいですよね。ハリーも本作で父親になったからこそ、子どもとの関係を通してダンブルドアの気持ちが分かるようになっていくのかもしれません。そういった点でも、ハリー・ポッターシリーズは小説の1巻からの気持ち良いところを回収してくれていますよね」

−読者・観客も、ハリーと共に大人になったからこそ分かることも多いかもしれませんね。
「そうですね。僕も『呪いの子』に出演するにあたって、改めて映画を見返してみると面白い気づきがいっぱいありました。皆さんにも『呪いの子』を観劇した後に、また映画を見返してみてもらいたいです」

撮影:山本春花

−息子のアルバスとハリーの歯痒い関係性も本作の鍵を握りますが、ハリーから見て、アルバスはどのように見えているのでしょうか。
「ハリーには、ジェームスとリリーとアルバスという3人の子どもがいます。ジェームスとリリーはハリー・ポッターの息子であることを良く思っているのに、アルバス1人だけ反発してくることが理解できないんですよね。

でもきっと、ハリーもどちらかというとそういう子どもだったと思うんです。だけど自分には父親がいなかったので、どう対応してあげるのが良いのか分からない。だからダンブルドアのやり方を真似て、自分から離すことで守っているつもりになっている。それが逆にアルバスのことを傷つけていたことを学んでいきます。ハリーも必死にやっているけど、間違っていることがたくさんあって、そこは普遍的な親と子の、葛藤と成長の物語だなと思います」

撮影:山本春花

−『ハリー・ポッターと呪いの子』を今の時代に演じる意義、届けたいメッセージはどういったところにあるでしょうか。
「日々感じているのは、家族のありがたみです。コロナ禍で外に出られない時期を経験して、仲間や家族、そばにいる人のありがたみをみんな感じたと思う。僕ら俳優は存在意義すらなくなるような、表現する場所がないと何のために生きているんだろうと思ってしまう苦しい時期を経て、また舞台に立って、生きていてよかったなと思える時が来て。今でもコロナや戦争など、色々なものと戦っている人がいます。この作品でもヴォルデモートとたくさんの人が戦って、ハリーにはたくさんの人と出会いや別れがあって、息子や家族との今がある。

作品としては重いシーンもある中で、僕は最後にハリーが息子と1人の人間として向き合って言う、“今日はいい日になりそうだ”というセリフを1番大切にしたいと考えています。“今日はいい日になりそうだ”と言える人生って、本当に奇跡だと思っていて。それを最後にお客さんに言える、希望を渡せるということを大事にしたい。明日もいい日にしたいなと思ってもらえるように、作品を作っていきたいです」

舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』は2024年3月末までロングラン上演中。大貫勇輔さんは8月26日から出演します。詳細は公式HPにてご確認ください。

Yurika

大貫さんにとって今まで肉体的に大変だった役柄は、『フィスト・オブ・ノーススター~北斗の拳~』のケンシロウ、『マチルダ』のトランチブル校長、『メリー・ポピンズ』のバートだそう。ハードな役が続いている大貫さんですが、「これ以上大変なことってないんじゃないか?と思うことが毎年続いていますね(笑)。でもそれはありがたいことです」と笑顔で語られていたのが印象的でした。