「シャル・ウィ・ダンス(Shall We Dance)?」など珠玉の名曲で知られるミュージカル『王様と私』が、ミュージカル初挑戦となる王様役・北村一輝さんと、元宝塚花組トップスターで英国人家庭教師のアンナ役の明日海りおさんのメインキャストで、4月9日から東京・日生劇場で開幕します。1951年の初演から時代とともに変化してきた作品のありようと、王様のモデルとなった人物や時代背景について探っていきたいと思います。
「75%は事実で25%は事実に基づいたフィクション」
まず、舞台版ミュージカルが誕生するまでの流れをご紹介しましょう。『王様と私』の「私」に当たる英国女性アンナ・レオノーウェンズが、1862年から5年間、シャム(現在のタイ)王宮に家庭教師として招かれた経験を、2冊の自伝にまとめたのが始まりです。最近の研究で、レオノーウェンズがプロフィールの一部を偽っていたことが明らかになりました。父は英国軍少佐で英ウェールズ生まれと書いていましたが、実は英国人下級兵士とインド人の血を引く女性との間にインドで生まれたそうです。どこか屈折した感情を抱いていたのでしょうか。
それはともかく、レオノーウェンズの自伝を基に、米国女性作家マーガレット・ランドンが小説『アンナとシャム王』を執筆しました。前書きでは、ランドン自身が「75%は事実で25%は事実に基づいたフィクション」と評しています。つまり、史実を取り入れた骨太の物語が、作品の魅力の一つとなっています。
このランドンの小説を原作にした同名映画が1946年に制作されましたが、人気を決定づけたのは、『オクラホマ!』(43年)や『南太平洋』(49年)などで既にヒットを飛ばしていたリチャード・ロジャース(音楽)&オスカー・ハマースタイン二世(脚本・歌詞)の黄金コンビによる舞台版ミュージカル『王様と私』。51年にブロードウェイで初演されました。52年には、トニー賞ミュージカル部門で作品賞、主演女優賞を含む5部門を受賞。日本でも、松本幸四郎(現在の白鸚)さんと越路吹雪さんの共演、菊田一夫さん演出で65年に初演され、以降、幾度となく上演されてきました。
舞台版ミュージカル『王様と私』のあらすじについて、2024年版東宝の公式サイトから引用すると、次のように紹介されています。
「1860年代のシャム(現タイ)。イギリス人将校の未亡人アンナが、はるばる王都バンコクに到着する。植民地化を図る欧米列強が迫る中、王は、国の将来を背負う子供たちに西洋式の教育を受けさせるために、アンナを家庭教師として雇ったのだった。オルトン船長に見送られ、宮廷からきたクララホム首相にバンコク式の出迎えを受けたアンナは、異国の地に赴く難しさを痛感する。隣国から王に献上された踊り子のタプティムとその恋人ルンタ、王妃のチャン夫人のように服従を強いられる姿は、自立したアンナにとっては相いれないものだった。
国王と家庭教師。人一倍頑固で誇り高い二人は、当初はことあるごとに対立をしていたが、互いの聡明さや誠実な心を知り、国籍や身分、性別を超えて、人としての信頼を深めてゆく。
ある日、イギリスからの特使としてラムゼイ卿がバンコクにやってくるとの急報がもたらされる。対策を講じる王に対してアンナは歓待の宴を開催するように提案する。王の威信をかけた宴の準備が始まり…」
嫡出の王子であるのに27年間の僧院生活
今回、1999年上演の東宝版の台本を読み返してみました。時代設定は「1860年代の初めの頃」とありました。世界史に目をやると、最盛期を迎えていた大英帝国が、タイの隣国ビルマ(現在のミャンマー)を支配下に収めようと勢力を伸ばしていました。米国では南北戦争(1861~65)が勃発。日本は激動の幕末で14代将軍・徳川家茂と皇女和宮の婚姻が行われた頃(1862)でした。
劇中でも王様は、開国の圧力をかけてくる西欧諸国と英語で文通をして関係を深めようとし、「西欧文明の長所を輸入する総合計画の一つ」としてアンナを雇い入れます。伝統との間で葛藤を抱えつつも近代化に取り組む姿は、薩摩藩主・島津斉彬のイメージと重なります。では、モデルとなった実在の王は、どのような人物だったのでしょうか?
「王様」は、18世紀に始まり、現在も続くチャクリ王朝の第4代、ラーマ四世(1804~68、在位51~68)で、通称モンクット王と呼ばれていました。モンクット王はラーマ二世と最高位の妃との間に生まれた嫡出の王子で、幼い頃から文学や王朝史、王としての心得などの帝王教育を受けました。13歳で成人式を迎え、タイの伝統に従って剃髪。14歳で少年僧として出家。7ヶ月間、僧院で修行したのち、いったん還俗しますが、20歳の時に、父王の命令で再び出家します。その理由は、父王が見た不吉な夢の厄払いのためだったといいます。
しかし、モンクットが出家した甲斐もなく、わずか2週間後に父王は亡くなりました。順当にいけば、優先的な王位継承権を持つモンクットが次期国王に選ばれるはずでしたが、16歳年上で側室の母を持つ異母兄が、ラーマ三世として即位しました。緊迫する世界情勢の中で、王族や貴族らが若輩のモンクットに王位を継がせるのは危ういと判断したからという説や、モンクット自身が仏典の学習に専念したかったからという説があります。
かくてモンクットは、20~40代半ばの働き盛りの27年間を、僧侶として送ることになります。経典研究の一方、仏教の在り方を悟るため、地方まで足を伸ばして托鉢を行いました。その道中でタイ語最古の碑文の石柱も発見しています。
出家の身で政治の中枢から離れたことが功を奏し、キリスト教の神父や宣教師ら外国人の知識人と親交を深め、ラテン語や英語の語学、数学、物理学、化学、天文学などの当時最先端の科学知識や世界情勢を貪欲に吸収しました。
1851年にラーマ三世が世を去ると、モンクットが還俗してラーマ四世として即位しました。この時、46歳。英語で書いた手紙を送るなどして、ビクトリア女王やナポレオン三世ら西欧のトップとやり取りをし、開国へと舵を切りました。外交政策では、旧来の中国への朝貢貿易を廃止する一方、不平等条約ながら英国や米国、フランス、ドイツなどと外交関係を次々と結びました。この流れは『王様と私』にも登場する世継ぎのチュラロンコン王子(のちのラーマ五世)に引き継がれ、行政・司法・徴税・鉄道などに及ぶ近代化改革「チャクリ革命」につながりました。タイは東西から勢力を伸ばす英仏の緩衝地帯となり、東南アジアでは唯一、植民地支配を受けなかった国となりました。
多文化共生と多様化にふさわしい「新演出」
このようにみると、モンクット王(ラーマ四世)は知性的で開明的な君主だったようです。ところが、『王様と私』における王様は、怒鳴りつけたり、かんしゃくを起こしたりと、激情型の一面も持ち合わせているように描かれています。
タイでは王室への敬慕の念が強く、侮辱すれば刑を科せられる不敬罪が現在でも存在します。モンクット王をモデルとした王様が登場する『王様と私』も不敬罪に当たるのか、舞台版ミュージカルも映画も、タイでは上演・上映禁止となっています。
劇中、シャムが近代国家であることを英国特使に見せつけるため、西洋式の舞踏会を開く場面などを見ると、欧米文化中心主義がにじむのは、1951年制作だと考えれば無理もありません。初演から長年、王様役を務めたユル・ブリンナーは、野性味たっぷりに演じていました。
しかし、多文化共生や多様性が尊重されるようになった近年では、今の時代にふさわしい表現へと変わってきています。2015年にバートレット・シャーさん演出、渡辺謙さん&ケリー・オハラさんのダブル主演でリメイクされた舞台『王様と私』では、過去の上演ではカットされることが多かった劇中歌『おかしな西洋の人たち(Western People Funny)』 が復活。第2幕の冒頭で、チャン王妃たちが舞踏会で着させられる西洋風のスカートやハイヒールなどの扮装を「おかしい」と言ってユーモラスに歌い上げる歌です。西洋文化に対する東洋の視点を取り入れています。
この2015年版はトニー賞のミュージカル部門リバイバル作品賞を受賞。主演男優賞には渡辺さんが日本人で初めてノミネートされたことも記憶に新しいでしょう。
私は、この2015年版の来日公演が2019年7月に、東京・渋谷の東急シアターオーブで上演された際に観劇しました。タイの民族衣装や美術品などがとても豪華で美しく、東西の文化をなるべく拮抗して描こうと努力していると感じました。
さて、2024年版は、新演出版をうたっています。翻訳・訳詞・演出を担う小林香さんは、「今を生きるお客様に響く、まったく新しいプロダクションにしたい」と公式サイトでコメントを寄せています。シン・『王様と私』に期待したいと思います。
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アンナの人物造型が特に気になります。 【参考文献】 『もうひとつの「王様と私」』 石井米雄・著 飯島明子・解説 株式会社めこん 2015年、『王様と私』台本 東宝 1999年、『ミュージカル 王様と私』パンフレット 東急シアターオーブ 2019年