ブロードウェイやウエストエンドなど、海外で作られたミュージカルを日本語で上演するには「訳詞」が必要になります。演劇メディアAudienceでは、英語詞と日本語の訳詞で異なるフレーズ・意味が存在することをご紹介してきました。英語詞をなぜそのまま日本語にできないのか?そこには、ミュージカル作品ならではの様々なハードルが存在するのです。
日本語翻訳時に課せられる、様々な制限
日本語と英語だと、1フレーズに入る語数も意味も違います。英語の方がコンパクトに言いたいことを伝えられるのに対し、日本語にそれを直訳すると、どうしても長くなってしまいます。
例えば、『アナと雪の女王』の「Let it go」。「Let it go」は、「ありのままのすがたみせるのよ」と訳されていますよね。英語では3語なのに対して、日本語では14語。英語で「Let it go」と歌っている間に、日本語では「ありの」しか伝えられないのです。結果、英語詞の全てをそのまま翻訳するわけにはいかず、要約して日本語訳が作られています。(『Let It Go』は日本語版だけじゃもったいない!“レリゴー”に込められた英語詞の意味とは?)
また、ミュージカル作品は歌詞を音楽に乗せる必要があるため、リズムに言葉が合うことも重要になってきます。日本語の発音と音楽が綺麗に合わなければ、音楽として聴きにくくなってしまいます。そのため、原語と日本語の発音が綺麗に一致することが求められます。
さらに、ミュージカル映画やディズニーアニメーションのような映像作品だと、映像のキャラクターの口の動きに合わせるという作業も生じます。
美しい音楽の響きと調和した、『Les Miserables』の訳詞
『Les Miserables』の作詞家と作曲家は、翻訳に伴い音楽としての響きが損なわれることを危惧して、「一音につき一語で、なおかつできるだけ英語と同じ母音を当てること」を課しました。例えば主人公ジャンバルジャンの囚人番号「24601(トゥーフォーシックスオーワン)」は日本語上演版では「24653」と訳されています。1の「ワン」と、3の「さん」。番号を変えてでも、母音を揃えたのです。
「語数の異なる言語を、同じ母音で、同じ意味で訳す」という無理難題にも思えるハンデを乗り越え、日本語としても美しい訳詞をしたのが、故・岩谷時子さんです。『Les Miserables』の真の主役とも言える民衆たちが歌う「民衆の歌」。
「Do you hear the people sing」を「戦う者の歌が聞こえるか」と訳して、今日まで歌い継がれています。民衆の想いを体現した力強いフレーズは、一度聞くと耳から離れません。『Les Miserables』は音楽の響きを重視して訳されたため、感情が音楽に乗り、観客の感動を生みました。
岩谷時子さんは『Les Miserables』をはじめとして『West Side Story』『Miss Saigon』などの多くの有名ミュージカル作品の訳詞を手掛けられた作詞家、訳詞家です。その高い作家性にファンは今も絶えません。
パズルのピースを組み合わせる、訳詞家の仕事
様々な制限を乗り越えて日本語詞を製作している訳詞家。その膨大な作業をご紹介します。
まずは台本を読み込み、作品の全体像の把握をします。その曲はどのような場面で流れるのか、どんな意味があるのかを、資料と照らし合わせつつ、歌詞を一小節ずつ日本語に置き換えていきます。
ここで大切なのが、メロディに的確な言葉を当てはめていくこと。メロディの切れ目と歌詞の切れ目を合わせたり、曲の山場と歌詞の山場を合わせて、感情をちゃんと観客に受け取ってもらえるような歌詞にしていきます。
その後、歌として聞いて、語感や印象をチェック。演出家や、時には実際に歌う俳優とも話し合いながら、歌詞を調節し、音楽監督との相談で、楽曲とも合っているかを確かめます。
様々な行程を経て、全てがパズルのピースのようにピタッとはまる瞬間が来たら完成です。気の遠くなるような仕事の末、たくさんの人の思いのこもった訳詞で、名曲たちが日本の観客に届けられるのです。
訳詞家さんのこだわりの詰まっている歌詞。いくつものバージョンを聴き比べたり、自分でオリジナルから訳してみて比べたりするのも楽しいかもしれません!