7月7日(木)からBunkamuraシアターコクーンで上演される『ザ・ウェルキン』。その舞台は1759年のイギリス。作品では、男性支配社会を生きた女性たちの姿が浮き彫りになるといいます。現在もジェンダーについての格差は問題視されており、度々議論が起きています。18世紀という時代、そして男性支配社会を生きた女性たちの姿を紐解いていきましょう。(作品についてはこちら

少女の妊娠が真実か嘘かを見抜く、「陪審員制度」とは

通常はランダムに選ばれる12人の陪審員ですが、本作では妊娠していると主張する少女サリーの審議のために12人の妊娠経験のある女性が集められます。(殺人罪を犯していても妊娠していると罪を免れるという設定のため)
陪審員制度はイギリスで始まりました。起源は13世紀にまで遡り、当時は証人のような役割が強かったそうです。17世紀までには、陪審員が事実判定機能を持つようになり、18世紀後半には現在の「12人の市民が被告人の罪責を全員一致で決める」制度が確立されました。『ザ・ウェルキン』は18世紀中頃の話なので、ほとんど現代と同じ陪審員制度だったと考えられます。

また、12人という数は少し中途半端な印象を受けますが、「意見の多様性」と、「多数派への従順性」という点において、最適陪審員数が12人ということが研究でもわかっているので、12という数は合理的なようです。

日本では現在裁判員制度が導入され、一般市民から選出された6名と、裁判官3名で有罪・無罪の判決、そして量刑(刑罰の重さ)までを多数決によって決定します。しかし、拘束時間の長さや(おおよそ7日間ですが、長引くと100日を超えることも)「難しそう」というイメージから、辞退率は依然として6割ほど。2009年に始まった制度のため、まだ馴染みが薄いように感じます。

しかし、アメリカではなんと成人男性の約30%が人生で陪審員を務めた経験があるのだそう。海外の国での陪審員制度に対する認識は、「市民を罰する、もしくは罰しないという国家の持つ強大な力を行使できる」というもの。海外諸国の方が日本よりも、自分達に与えられた権利を理解し、全うする意識が強いと感じます。

作品中で殺人の罪に問われている少女サリーは「見せ物になりたくない」と言います。イギリスでは公開処刑が廃止されたのは1868年だそうなので、本作の時代はまだ公開処刑が存在していました。そのためサリーには、絞首刑など恥ずかしい死に方をしたくないという思いがあったのでしょう。また、この発言は、法廷の外に集まっている野次馬に対して、女性差別的なものを感じ嫌悪感を抱いてのこともあるよう。作品の大切なテーマの1つであると言えます。

女性が家庭に縛られることは「美しき自己犠牲」

1759年、イギリスはプロイセンと組んでフランスやオーストリア等の列強と呼ばれる国々と7年戦争の真っ最中。7年戦争は1756年に始まり、1763年に終戦しました。この戦争にイギリスとプロイセンが勝利したことで、イギリスは植民地支配を広げ力をつけていきます。また、1760年〜1840年にかけて産業革命が起こっていました。

その頃の女性たちはというと、「女性がお金を稼ぐのははしたない」と男性に従属することが求められていました。また、子育てや家事をすることは女性の「美しき自己犠牲」と捉えられており、家庭に縛られる生活だったようです。

教育環境も整っておらず、女子には算術の代わりに裁縫が教えられていたりと、教育よりも「嗜み」が重要と考えられていました。若い女性は縫い物や編み物、糸紡ぎを教わり、レース編みに至っては、読み書きと同等な重要さ。そのほかに、料理、フランス語とイタリア語を少し、音楽が「嗜み」とされていたそうです。

同じイギリスを舞台に、家族の姿を描いた『メリーポピンズ』は『ザ・ウェルキン』よりも約150年ほど後のお話。メリーポピンズがやってくるバンクス家の主人バンクス氏は、子供は厳しくしつけ、妻は従順であること、主人は絶対的でなければならないという考えの持ち主。この頃もまだ女性は「家庭の天使」として扱われ、良き母、良き妻でいることが求められています。
また、妻のウィニフレッドは、サフラジェットといって婦人参政権運動に積極的に参加する活動家です。イギリスで男女平等に選挙権が与えられたのは1928年のこと。長い間、女性が抑圧されてきたことがわかります。

女性たちの力強いエネルギーが宿った作品『ザ・ウェルキン』は、7月7日(木)〜7月31日(日)東京公演をBunkamuraシアターコクーンで、8月3日(水)〜8月7日(日)大阪公演が森ノ宮ピロティーホールで行われます。詳しくはこちらから。

ミワ

作品中で彼女たちの生活が言動にどのように影響しているのか、早く観たい気持ちが募ります。