8月に東京国際フォーラムにて上演されるブロードウェイミュージカル『ジャニス』。BiSHのアイナ・ジ・エンドさんがタイトルロールでもあるジャニス・ジャプリンの半生を演じます。27歳で急逝してしまった伝説のロック・シンガー、ジャニスの人物像に迫ります。
ロック・シンガーとして第一線を走り続けたジャニス
伝説のロック・シンガーと呼ばれる、ジャニス・ジョプリン。ベトナム戦争や公民権運動、ウーマンリブなどが起こり、カルチャーが変化していった1960年代。変化する時代の最中で、急速に発展したロックの世界が生んだ最初の女性スーパースターです。
1970年代頃までは女性がギターを弾いたり、シャウトしたりすると、「女なのに」など差別された程、ロックは男性中心でした。1960年代前半まで、ポピュラー音楽の女性歌手は、大体が愛らしいポップスを歌っていました。その型を破ったのが、ジャニス・ジョプリンです。
ソウルフルな歌い方、特徴的なハスキーボイス、そして女性としての自由奔放な生き方。自分らしく生きたいと願う女性達に勇気を与え、マドンナや、ピンク、シンディ・ローパーなどに強烈な影響を及ぼしました。
ソウルフルなステージで、一夜にしてスターに
ジャニスは1943年にテキサスの中流家庭で生まれました。容姿へのコンプレックスや、元来の内気な性格から学校に馴染めず、孤独な少女時代を送ったと言われています。しかし、高校を卒業後、アルバイトをしながらクラブで歌い始めると、ブルースやフォークに出会い、ブルースの世界にのめり込んでいきます。中でもフォーク/ブルース歌手のレッドベリーに心酔していたそう。
1965年頃にはサン・フランシスコに「ヒッピー」と呼ばれる若者たちが登場していました。旧来の価値観や性規範に対抗するカウンターカルチャーの一翼を担った若者を指し、その運動がヒッピー・ムーブメントと呼ばれます。そうしたヒッピー・ムーヴメントの中から数多くのバンドが現れ、その中にジャニスが加入したビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーというバンドがありました。
バンドは、1967年に、モンタレー・ポップ・フェスティバルのライブに出演すると、ジャニスが女性ブルース歌手ビッグ・ママ・ソーントンの「ボールとチェイン」を歌ったステージが話題となり、一夜にしてスターダムにのし上がることとなりました。
彼女は、1969年のウッドストック・フェスティバルへの出演、1970年には列車に乗ってカナダを横断しながらツアーを行うなど精力的に活動しました。ジャニスは1970年に、遂に理想のバンドともいえるフル・ティルト・ブギーを結成。このバンドについて彼女は、「グループのことで今までに、こんなに幸せな気分にされたことってない。このグループのことを愛している」と語っていました。
しかし、ジャニスは10代から抱えていたトラウマや不安は成功してからも消えませんでした。徐々に、酒とドラッグに溺れていき、ヘロインのオーバー・ドーズ(大量摂取)により27歳の若さで亡くなりました。彼女の遺作は、お気に入りのニックネームから「パール」と名付けられ、1971年にリリースされました。
孤独と向き合ったジャニスの生き様が舞台に
ステージ上では、大胆に自由奔放な振る舞いをしていましたが、本来のジャニスは、愛情を欲し、自己承認欲求が強く、とてもシャイで、か弱い女性でした。一夜にして有名になったプレッシャーはとても大きく、ライブ後、一人でホテルで過ごす孤独感はほんとにつらかったそう。彼女は、常に居場所を求めて孤独と向き合い、やがて酒やドラッグが欠かせなくなり、最後には命を奪われる形になってしまいました。
ジャニスの死後もドキュメンタリー映画 『ジャニス』が1974年に公開。また映画『ローズ』がジャニスをモデルにしたものであったり、ブロードウェイ版ミュージカル『ジャニス・ジョプリンとの一夜』が2013年から2014年に上演されたりと、彼女の人生や人柄は今も多くの人々に影響を与えています。そしてブロードウェイミュージカル『ジャニス』が遂に日本上陸。8月23日(火)、8月25日(木)、8月26日(金)東京国際フォーラムにて上演されます。公式HPはこちら。
伝説のロック・シンガーと呼ばれるような人物でも、「愛されたい」という私たちと変わらない欲求や孤独と向き合っていたことを知り、親近感を覚えました。ブロードウェイミュージカル『ジャニス』では、どのようにアイナ・ジ・エンドさんが演じるのでしょうか。