昨年公開された映画『DEAR EVAN HANSEN』が早くもAmazonPrimeVideoに登場!今回は、舞台版と映画での描かれ方の違いなどをみていきましょう。舞台版観劇レポートはこちらの記事に、映画版の情報についてはこちらの記事から。
映画と舞台で描かれ方が異なる2人のキャラクター
映画『DEAR EVAN HANSEN』は、映画『ワンダー』や『RENT』『美女と野獣』などのスティーヴン・チョボスキー監督によって映画化されました。舞台の初演でエヴァン・ハンセンを務めたベン・プラットが映画でもエヴァンを演じています。『魔法にかけられて』のエイミー・アダムスや『アリスのままで』のジュリアン・ムーアら、ベテラン俳優が脇を固めます。
『DEAR EVAN HANSEN』主人公のエヴァンは、社交不安障害を持つ高校生。セラピストの助言で毎日、“Dear Evan Hansen(親愛なるエヴァン・ハンセンへ)”から始まる自分宛ての手紙を書いています。
ある日、同級生の少年・コナーにその日書いていた手紙を持ち去られてしまいます。後日、エヴァンは校長から呼び出され、コナーが自ら命を絶ったと知らされます。コナーの両親は息子の遺品からエヴァン宛ての手紙を見つけ、息子とエヴァンが親友同士だったと誤解しています。彼らをこれ以上苦しめたくないエヴァンは思わず話を合わせてしまい、促されるままに“ありもしないコナーとの思い出”を語ります。エヴァンの話は、人々の心を打ち、SNS を通じて世界中に広がり、人生が大きく動き出します…。
映画化にあたり、舞台での上演と描かれ方が違っているキャラクターがいます。1人目は、コナー・マーフィー。舞台版では、亡くなった後のコナーは、エヴァンの中にいる心の声のような存在として登場します。映画版では、映像化すると不自然になるということでカットされたそうです。
嘘をついていることに悩むエヴァンの自問自答の相手として、エヴァンが一人でいるときに現れ彼に問いかけます。コナーは、嘘をついていることを公表できないエヴァンに「自分自身に嘘をついているような奴がいきなりみんなに真実を話せる訳がない」と迫ります。
木から落ちて腕を折ったというエヴァンですが、自分自身の声となったコナーとの自問自答によって、エヴァン自ら木から手を離したことが判明します。内なる存在としてのコナーが出てくることによって、エヴァン自身が本来は自分にも周りにも正直になりたいという気持ちと常に葛藤していることが可視化され、観客がエヴァンに寄り添いやすくなっています。
映画と舞台で大きく描かれ方が違っているキャラクター2人目は、エヴァンやコナーと同級生のアラナ・ベック。舞台版のアラナは、学生団体の代表を務める良い子の委員長タイプではありません。何者かでなければ消えてなくなってしまう恐怖から、出しゃばりで仕切りたがりのキャラクターとして描かれています。舞台では、コナー・プロジェクトはエヴァンの方から持ちかけてきて、立ち上げることになります。
映画版では、アラナもエヴァンと同じくうつ病と社交不安を抱えていて、孤独に悩むティーンエイジャーとして描かれています。学生団体の代表を務めており、コナー・プロジェクトも「同じような悩みを抱えている子たちの力になれるように」という理由で発案しました。
アラナは、コナー・プロジェクトの成功にこだわる故、エヴァンから止められていたにも関わらず、コナーの遺書を衝動的にネットにアップロードしてしまいます。舞台版ではその後、アラナは炎上を恐れて雲隠れし、ラストシーンまで舞台に現れませんが、映画版では、その後も学校のシーンに登場。友達と変わらずに生活している様子が伺えます。
アラナは映画化にあたって、キャラクターの持つ役割が変化しています。それは、舞台初演の2017年から世界情勢が変化し、社会との直接的な繋がりが薄くなり、1人で孤独を抱えている人が増えたからなのかもしれません。
アラナが歌う「The Anonymous Ones」という楽曲は、今回映画を作るにあたって追加された新曲。「匿名の人」という意味の題名で、「隠すことが上手いだけでみんな1人で抱えて悩んでいる」という悲痛な心の叫びが歌われています。この楽曲の「匿名の人」は、エヴァンやアラナも該当する精神的な病を抱えた人を指しています。しかし、SNSで誰もが「匿名の人」として生きているこの時代、誰もが同じ状況になりうるということも指しているのではないでしょうか。
エヴァンが抱えている孤独感を歌った「Waving Through A Window」だけでなく、「The Anonymous Ones」も追加され、より現代の社会性を表しているように感じます。
親の視点も入り混じる舞台版と、テーンエイジャーの視点から描かれた映画版
また、映画化で一部楽曲がカットされたことによって、エヴァンと母親・ハイディの関係性の見え方も違ってきます。舞台版のオープニングナンバー「Anybody Have A Map?」は、コナーとエヴァン、2人の母親が子育てに悩む姿が描かれた楽曲。
コナーの家庭では、コナーは非行に走り、妹・ゾーイと罵り合い、父・ラリーは家庭を顧みない様子が歌われ、家庭が崩壊している様子が見受けられます。コナーの母・シンシアは、その状況に「どんな言葉ももう響かない」と頭を悩ませています。一方、エヴァンの母・ハイディは、曲中で、息子エヴァンと会話をうまく続けられないことに悩む一面が強調されます。
映画版でカットされたもう一曲は、エヴァンの母・ハイディが歌う「Good for you」。ハイディは、エヴァンの進学や生活のために看護師として働き、舞台版では、更にパラリーガル(弁護士補助員)になるために夜間学校にも通っています。一生懸命働いているため、エヴァンとの時間が取れないハイディ。エヴァンがマーフィー家で頻繁に夕食をともにしたり、良くしてもらっていることを知りません。新しい家族を手に入れたような態度のエヴァンに対して、ハイディのやるせなさが詰まった曲になっています。
映画は主人公であるエヴァンの視点が主軸となり、他にソロ曲があるのはアラナやゾーイなどエヴァンの同級生たち。映画版ではより、子どもたちの視点から作品が構成されているように感じました。舞台版では親からの視点でも作品がみられるので、より多角的に作品をみることができます。
アラナの描かれ方の違いが、映画化にあたって与えた影響は大きなものだったと感じます。“上手くやっていけているように見えても、隠すのが上手いだけで、みんな孤独を抱えている”ということを表すキャラクターになったことで、エヴァンやコナーに寄り添いやすくなったのではないでしょうか。
コロナ禍でオンラインでの繋がりが増えたこと、SNSがより普及していることで、作品の描かれ方も舞台初演から映画化の間で変化したようです。アラナの役割を大胆に変えたことが映画化においてのキーだったと感じました。