浅田次郎さんの大ベストセラー小説が初の舞台化。19世紀末の中国、衰亡に向かう清朝末期に、天命を背負い、新しい時代を切り拓こうと奔走した役人の人生を描いた『蒼穹の昴』を観劇しました。(2022年11月・宝塚大劇場 雪組公演)※以下、ネタバレになる重要な内容を含みます。

幕が下りても心に残る、あらゆる人生が込められた壮大な群像劇ミュージカル

落日の清王朝を舞台にした原作小説は、大河ドラマのように様々な立場の人物から見た政変の時代が描かれ、そのすべてを舞台に載せようとすると、とても2時間半の上演時間には収まりません。NHKでドラマ化された際も、45分×25回という超大作ドラマになっていたくらいです。この宝塚版では主人公を梁文秀(リァン・ウェンシウ)に絞り、彼の重要なエピソードや人間関係すらも整理して、2時間半のミュージカルに脚色しています。

原作をよく知る方からすれば、物足りないと言われても仕方がないくらいの圧縮量。それでも、終演とともに、傑作に出会えたことを確信したのは、原作から引き継がれる骨太な物語と心に刺さる激励の言葉、そして宝塚歌劇の全セクションが総力を挙げたであろう舞台効果の数々が相乗効果を生み出していると感じたから。2幕の本編終了後には充実のダンスフィナーレも堪能でき、タカラヅカの傑作を観たなと思える充実の劇場体験でした。

「汝は学問を磨き知を広め、帝を扶翼し奉る重き宿命を負うておる」。老占い師からそう予言され、科挙の試験に首席で合格した梁文秀。伝統と慣例でがんじがらめの政治中枢に身を置き、光緒帝に仕えることこそ天命、とお告げを信じて奔走します。彼が弟同然に可愛がる極貧の少年、李春児(リィ・チュンル)もまた、「天下のお宝を手にするだろう」という老占い師の言葉を信じ、宦官となって西太后の側近へと昇りつめてゆきます。

それぞれの天命を信じて成功していくこの2人は、生まれも、通る道も全く違います。ですが、泥水を啜るような状況でも自分を奮い立たせ、より良い未来を願わせるのは、彼らと出会った人物の言葉の数々。

「お前には昴の星がついている」
「人間はできないと思ったら、まっすぐに歩くことだってできやしねえんだ」
「人間の力をもってしても変えられぬ運命などあってたまるものか」

その人物との、言葉との出会いが、激動の時代にあっても己の命を生き抜く原動力となったのかもしれない。たとえわずかでも、闇夜に瞬く昴の光のように。

恥ずかしながら、原作小説を読んだこともないままの観劇でしたが、登場人物の強い生き様は鮮烈に脳裏に焼き付き、頭を離れませんでした。その後、原作にふれてさらに作品を理解することができました。梁文秀と李春児を取り巻く様々な人生が交差し、それぞれの良き人生、良き未来を求めていく物語。観劇後、数日間は彼らに想いを巡らせてしまう、壮大で広がりのある群像劇ミュージカルでした。

宝塚歌劇が総力を挙げた舞台効果 音楽、絢爛豪華な紫禁城、衣装、京劇

見応えを感じたもうひとつの理由は、宝塚歌劇の舞台をつくる全セクションが壮大な物語のスケール感を体現しようと尽くしたからだと思います。物足りなさを感じさせない抜けのなさが、いい舞台を観たなという満足感につながりました。

音楽では軸となるミュージカルナンバーの色分けが素晴らしく、ドラマチックな歌詞を際立たせる音楽が心に沁みました。二胡や銅鑼といった中国の楽器の音色を上手く使ってシーンBGMにしていたり、他のナンバーのメロディを引用してイメージを重ねていたりと、ストーリーテラーの役割を担っていた音楽は、特に完成度が高いと感じた点です。

舞台装置では、大階段やセリといった宝塚歌劇ならではの舞台機構を使って、絢爛豪華な紫禁城の玉座を表現。さらに、舞台が回転する盆という装置を使って、宮中の表と裏をあらわし、西太后の無理難題を突きつけられた宦官たちが裏で慌ただしく動き回る様子を見せていました。このように、小説の膨大なエピソードをコンパクトかつドラマチックに展開する演出が随所に見られ、舞台美術の力が存分に活かされていました。

清王朝の雰囲気と宮中の華やかさを構成するもうひとつの要素は衣装。官吏が着ている衣装に施された刺繍は、休みなくミシンを動かして7時間かけて縫い込まれたものだそう。手間ひまのかかった色彩豊かな衣装は見応えと品格が共存していました。

そして、原作者の浅田次郎さんが舞台化の条件としてお願いしたという京劇は、アクロバティックな動きの連続ですが、しっかりと稽古を積んだ息ぴったりのパフォーマンスでした。はたして、タカラジェンヌにできないものはないのでしょうか。他にも市場を賑わすドラゴンダンスなど、中国の伝統文化も見どころとなっています。

激動の時代に生きる人々の厚みを感じさせるキャスト

宝塚歌劇は1組あたりの出演者が70人以上と、人数の多さに圧倒されます。今回は市井から宮中、日清戦争の戦場まで、様々なシーンで大人数アンサンブルが本領を発揮。人数に埋もれることなく、ひとりひとりが役を緻密に研究していることが伝わってくるのがすごいところです。さらに今作には、宝塚歌劇のエキスパート集団である「専科」から6名が出演。西太后、李鴻章、伊藤博文といった需要人物を演じます。舞台の端に至るまで、激動の時代に命を燃やす役柄の熱量は高く、総じて、舞台から放たれる演者の「生きる」エネルギーを浴びたような感覚を味わいました。

筆者が特に心を掴まれたのは、西太后役の一樹千尋さんと順桂役の和希そらさん。舞台のまばゆさに負けない存在感の一樹さんは、世界に名を轟かせた女帝役として説得力があり、こんなにも人は威厳を醸せるものかと唸りました。この作品で描かれる西太后は、柔らかくて脆い内面を見せるところが浅田次郎さんのこだわり。一樹さんの立ち姿には、ひとりの女性としての苦労と、心から湧き起こる愛情とがにじみ出ていました。

和希そらさん演じる順桂は、代々皇帝に仕える満州貴人の家系に生まれ、清王朝への誇りや信念を持つ人物。落ち着いた台詞でも、順桂の佇まいは身体に流れる血の熱さを感じさせ、絶妙な芝居心が心地よかったです。歌とダンスで際立つスキルを持ち合わせる和希さん。蒼穹を背に独唱する場面では、圧巻の歌声で劇場の空気を震わせました。吸引力があり、この人の舞台姿を見ていたい、と魅了されました。

チケットはすでに完売していますが、今からでも『蒼穹の昴』を観たい、と思った方は、配信サービスを検討してはいかがでしょうか。12月25日(日)に東京宝塚劇場で行われる千秋楽はライブ中継が行われ、全国各地と台湾・香港の映画館でのライブビューイング、または「Rakuten TV」「U-NEXT」「dTV」でのライブ配信で、千秋楽公演をリアルタイム観劇することができます。

ライブ配信は、12月8日(木)の新人公演でも実施。フレッシュな若手が全力で傑作に臨む姿に、通常公演とは一味違った勇気と希望をもらえます。雪組公演『蒼穹の昴』のライブ中継・ライブ配信について、詳しくはこちらをご覧下さい。

Sasha

宝塚歌劇は出演者の方に注目されることが多いと思います。その理由がよく分かる演者の力量に魅了されたうえ、筆者としては演出や各セクションのスタッフワークにも心を奪われた作品でした。2幕のとあるシーンで、蒼穹、という空の青さを劇場全体に映し出したような照明も素晴らしく、印象に残りました。