年末が近づいてまいりました。2022年を振り返るとともに、舞台、ドラマ、映画、音楽など、心を動かされた瞬間を振り返りたくなる時期ですね。今回は、筆者が2022年に観劇した作品の中で、印象に残った舞台や名シーンをご紹介します。※作品に関するネタバレを含みます。

公演中止の嵐吹き荒ぶなか、 劇団四季の総力で幕を上げた『ノートルダムの鐘』(7月・KAAT芸術劇場・横浜)

劇団四季が贈る、大人向けのディズニーミュージカル。15世紀のパリを舞台に、ノートルダム寺院の鐘楼に閉じ込められて育った孤独なカジモドが、エスメラルダという魅力的なジプシーの女性を通して、愛する幸せと愛する苦しさと向き合う物語です。

石像と鐘に囲まれて生きるカジモドの背中は曲がり、顔が歪んで言葉も上手く発声できない。けれど心の中で彼はとても自由でまっすぐで。ディズニーアニメーションとは雰囲気の違う、ヴィクトル・ユゴーの原作に寄せた暗くて悲しいこの作品のなかで、無邪気なカジモドの姿が一筋の光のように希望をもたらしていました。

カジモドの育ての親で厳格な聖職者のフロローと、戦場帰りの護衛隊長フィーバスもまた、傷ついた孤独な心の隙間を埋めるようにエスメラルダに惹かれていき、4角関係が物語を進めます。誰かを愛することで、自分の人間的な感情と向き合わねばならない。3人の男たちそれぞれの愛のかたちを、重厚なコーラスと演劇的な面白さで表現した、技巧を凝らした作品だと改めて感じました。

作品自体の印象に加えて、筆者が思い入れを深めた理由は、観劇した7月29日の公演が、新型コロナウイルスの影響に凄まじく抵抗して幕を上げた公演だったからです。

バタバタと公演中止が相次いだ初夏。劇団四季の公演だけみても、上演できている作品の方が少なくなり、幕が上がることが奇跡のような時期でした。『ノートルダムの鐘』も、中止と再開とを繰り返していて、筆者が何ヶ月も前にチケットを買ったその日の公演は、はたして幕が上がるのか、少し不安に思っていました。

しかし、さすがは劇団四季、という対応で、千秋楽を控えたこの作品の公演中止期間を最低限に抑え、筆者の観劇回の幕は上がりました。出演ができなくなった俳優の代役で、他の作品から『ノートルダムの鐘』出演経験者を呼び集め、キャスト総入れ替えを実行。カジモドの初演キャスト、飯田達郎さんが約3年ぶりに出演するなど、急ピッチのキャスティングが行われたのです。

1週間前まで他の作品に出ていたことを微塵も感じさせず、なめらかに演じ切る出演者の力量とエネルギーで、作品のパワーがさらに強く感じられました。疫病の威力にさらされても、演劇の灯火を燃やし続けるのである、というスタッフ、俳優の強い気持ちが舞台の幕を開けた瞬間に立ち会ったようで、忘れられない観劇となりました。

劇団四季『ノートルダムの鐘』作品についてはこちら

名もなき戦士、など誰ひとりとしていない、いてはいけない。NODA・MAP第25回公演 『Q』:A Night At The Kabuki(8月・東京芸術劇場・池袋)

シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』で対立するキャピュレット家とモンタギュー家を源氏と平氏に置き換えた、野田秀樹さんらしい脚本。源の愁里愛(じゅりえ)と平の瑯壬生(ろみお)を広瀬すずさんと志尊淳さんが演じ、ふたりが辿る運命を変えるべく、松たか子さん演じる「それからの愁里愛」と、上川隆也さん演じる「それからの瑯壬生」が奔走します。

源平の対立を越えて愛したふたり。若き恋人たちの死をもって両家が和解する、という『ロミオとジュリエット』通りの筋書きはこの作品の予告編。『Q』の本当の主人公は死して終わるはずの筋書きから生き返った「それからの愁里愛」と「それからの瑯壬生」です。葬式まで済ませてしまったために家から出ることを許されないふたり。ならばと名を捨てて、「それからの愁里愛」は尼寺へ、「それからの瑯壬生」は名もなき一兵卒として戦場へ向かいます。

予告編の瑯壬生と愁里愛は、両家の争いが終われば、ふたりが一緒になれると信じていました。けれど、戦争が終わる日、戦争は終わらない。戦場で捕虜として捉えられた「それからの瑯壬生」はスベリ野(後にシベリアと明かされる)に連行され、過酷な抑留を経験することになるのです。

極寒のシベリアで命を削られる中、愁里愛の面影を胸に、やっとの思いで生き延びた「それからの瑯壬生」。やがて捕虜たちに祖国帰還の機会がやってきた時、捕虜リストの中に瑯壬生の名前はありません。なぜなら彼は名を捨ててこの戦争にやってきたから。予告編の瑯壬生と愁里愛は、「おおロミオ、あなたはどうしてロミオなの?」という一連の台詞の如く、身分を示す名前を捨てれば、家柄にとらわれず愛しあえると信じていました。けれど、それは彼らが物語の主人公であればこそ言い合えた戯言でしかなかった。数多の兵士が動員される戦場では、ひとりひとりの名前が、人生が、まるで存在しないもののように扱われる。そして、無名戦士として一括りにされていく。

「もう二度と私に「名前をお捨てになって」などとおっしゃらないで下さい。私には名前があった。瑯壬生という名前があった。ひとりの名前がある人間として、ここで死なせて下さい。」彼の最期に綴られたこの言葉は、戦争が身近になった今年、特に胸に深く突き刺さる台詞となりました。

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Sasha

まさか、こんなことが起こるなんて。ニュースを前に呆然としてしまうような、衝撃的な出来事が続いた2022年でした。どちらの作品も、以前にも観ているはずなのに、人生の変化、社会の変化でこうも印象が変わるのか、と感じました。舞台は社会を映す鏡だ、そう改めて感じた筆者です。