シェイクスピア作品と聞くと、“台詞が難しい”“上演時間が長い”はたまた“つまらない”というイメージを持つ方もいるかもしれません。しかし、それではなぜ、シェイクスピア作品は400年以上も世界中で上演され続けているのでしょうか?時代を超えた作品を、日本人はどう解釈すべきなのでしょうか?原文と充実した注釈・解説で楽しめる『大修館シェイクスピア双書第2集』シリーズにて、『ヘンリー四世 第一部・第二部』を著作した翻訳家・河合祥一郎先生にお話を伺いました。

シェイクスピアは、作品全体を音楽的に捉えている

撮影:山本春花

−シェイクスピア作品で特徴的なのが、弱強五歩格という一定のリズムの韻文が多用されていること。先生は以前、“台詞の音楽性”という表現をされていらっしゃいましたよね。

シェイクスピアはどのタイミングで台詞を言うかを、音楽的に捉えています。近代演劇では、登場人物の感情や意味に重きを置くので、心情や動作があってから台詞を言いますよね。その場で思いついたかのように台詞を言う、リアリズム的な演出です。これは現代人の発想であり、シェイクスピアの作品の作り方とは異なります。

シェイクスピアは弱強の音を5回、つまり10音の母音で1文が原則。例えば1人が3音だけの台詞であれば、同じリズムで次の人物が7音続けます。考える間はそこには含まれていない。こういった音楽性を重視して上演されるケースは現在少ないですが、SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督を務める演出家・宮城 聰(みやぎ・さとし)さんは、音楽として作品を捉えていますね。宮城さんの演出作品を見ると、作品を音楽として捉えるという意味がわかると思いますよ。

さらに当時は大掛かりな舞台装置もないので、暗転してセットが変わる時間もありません。そのためシェイクスピアは当時2時間くらいの上演時間を想定して書いています。今よりもかなり速いテンポで物語が展開していたと考えられます。セット転換がないからこそ、視覚ではなく、言葉で場面を説明するのです。そういった意味では、狂言は演出法として近いかもしれないですね。

−台詞の音楽性については、河合先生が翻訳家として携わる現場でもお話しされますか?

よく話しますね。直近で言えば、日生劇場で上演した『夏の夜の夢』(2022年9月)では、稽古に入る最初に、作品のリズムについてお話しする機会がありました。ただ英語と日本語では構造が異なるので、稽古を通して日本語でのリズムを模索していきました。

俳優の体を通して出てくる言葉から、新たな解釈が生まれる

−稽古を通して、ということは、翻訳が完成した後、稽古中にも翻訳が変わることがあるのでしょうか?

もちろんです。我々翻訳家は、役者のために訳す。だからこそ、俳優の体を通して出てくる言葉を聞いて異なる解釈が生まれたり、俳優や演出家との話し合いの末に、異なる表現が生まれたりします。蜷川幸雄さんの演出作品では毎回演出家の隣に翻訳家が座り、“日本語に関しては責任を持て”と言われます。

松岡和子さんはよく、“シェイクスピアは尽きない井戸のよう”だと言われています。分かったつもりでいても、読み直し、調べ直していざ翻訳しようとすると新たな発見がある。稽古場で俳優たちから出る言葉を聞くと、更に解釈が変わることもある。どんどん新しい意味が湧いてくる、と。

だからたまに、“シェイクスピアは400年前から研究し尽くされているから、翻訳も日本語をどう表現するかだけですよね?”なんて聞かれることがあるのですが、全くそんなことはありません。どんなにシェイクスピアに触れていても、どう解釈するか尽きない。それがシェイクスピアなんです。

撮影:山本春花

−日々研究していらっしゃる先生方でも、“尽きない井戸”なのですね。演出家と解釈について議論することはありますか?

言葉を翻訳して、解釈は演出家に任せる翻訳家の方もいますが、私は解釈まで落とし込んで翻訳しないと無責任な気がするんです。怒っているなら、怒っているとわかる言葉に訳さないといけないし、怒っているように見えても実は皮肉なら、そういう言葉にしないといけない。稽古でその解釈が反映されていないと思ったら、言葉を変える必要があると思っています。

ただ、そうやっていると時に演出家とぶつかってしまうんですね。例えば『ヘンリー四世 第一部・第二部』ではフォルスタッフに出会ったフランス人が、フォルスタッフの名前を聞いてすぐに降伏する、という場面があります。

これは当時の戦争の約束事として、戦わずに降伏して捕虜になった場合はのちに身代金を払えば国に帰してもらえる、というのがあったから。当時の戦争は、商売なんです。制圧することで、その国から賠償金を取ったり、捕虜の解放にお金を取ったり、非常にファイナンシャルな問題だったんですね。

だからこそ、名声のある強い相手と戦って怪我したり死んだりするよりも、身代金を払ったほうが良いと判断したわけです。しかしそこにやってきたランカスター公ジョンが、捕虜をすぐに殺せと指示する。これは当時の規範に反する、狡猾な行為です。だからフォルスタッフは驚かなければいけないのですが、以前これを蜷川さんに指摘したのですが、結局そういう演出にはなりませんでした。

また、野村萬斎さんが出演した『ハムレット』では、演出家のジョナサン・ケントさんと、“notは否定か皮肉か”で激しい議論になり、稽古が止まってしまったこともありました。そういった経験から、現場では演出家の決定には従うようになりました。

ただ、そうすると“本当はこう解釈しないと場面が成り立たないのに”という不満が溜まっていく。そこで、原文の解釈を思い通りに反映させたKawai Projectの公演を始めました。

−そういった経緯だったのですね。俳優と解釈について話すことはありますか?

言葉の意図や解釈を理解しないままに台詞を言っているかもしれない、と思ったら、演出家に伝えるようにはしています。ただ、教育と同様に、演劇も上からこうだと正解を押し付けるよりも、俳優の中から色々と引き出さないと、最終的にお客さんに届かない。だからこそ、あえてすぐには伝えずに、まずは俳優に模索してもらう演出家が多いと思います。そこは理解して、演出家の意図に従うようにしています。

400年経っても変わらない、“人間性”を捉えたシェイクスピア作品

−今回執筆された『ヘンリー四世 第一部・第二部』では、「噂」という概念が登場人物として登場し、台詞も与えられています。『冬物語』でも「時」が登場するなど、概念が登場人物になるのもシェイクスピアの特徴ですよね。

これは、シェイクスピア自身が子供の頃に見た道徳劇から使われた手法ですね。お話としてのお芝居というよりも、道徳劇なので、「人間」が主人公で、あとの登場人物は「悪徳」とか「美徳」なんです。「悪徳」に誘惑されて悪い道に行くのだけれど、最終的に改心して「美徳」に救われる。こういう劇を見ていたことから、メタファーとして「噂」や「時」が登場するのでしょう。

−先生が本作の中で、噂について、“戦争状態にあるとき誤った情報が錯綜すると命取りになることは、シェイクスピアがさまざまな劇で描いているモチーフの1つ”であると書かれているのが印象的でした。これは、今の私たちも共感する部分が多いと思います。

400年以上前から人間は大して変わらないのだと思うと少し悲しいですが(笑)、シェイクスピアは人間が持っているさまざまな“人間性”を捉えていますよね。過ちを犯すことや、欲望がある故に失敗すること。そういった人間性が作品に表れています。

撮影:山本春花

−現代と共通するテーマもあれば、時代によって変わったものもあります。その1つが女性の描き方だと思いますが、先生は2幕3場にて、“女性たちの訴えに従ってノーサンバランド伯が出陣を控えたという展開にしたところにシェイクスピアの演劇性がある”と書かれていましたね。

基本的には男の戦争を描いた『ヘンリー四世』の中で、女性たちがコントロールしている場面ですね。ここで“演劇性がある”と書いたのは、歴史書の史実と異なるからです。ノーサンバランド伯が出陣しなかった理由は、女性たちとは何の関係もありません。

それでもシェイクスピアがあえて女性たちに止めさせたのは、ノーサンバランド伯の息子ホットスパーが前の戦いで死んでしまったことを指摘するため。ホットスパーの妻・ケイトが、“あの時は出陣しなかったのに、なぜ今になって”と責める。男のエゴ、名誉は必ずしも筋が通っていないことを強く訴える存在として、女性たちを登場させているのです。

−妻であっても女性には重要な情報を知らせないなど、偏見的な描写があるという点は、どう理解したら良いでしょうか?

今は国際法によって捕虜であっても虐待してはいけないことが定められていますが、エリザベス朝時代は戦争だけでなく、犯罪人に対してもかなり酷い拷問がありました。身分の高い人間なら、先にお話ししたように身代金を払えば釈放されますが、民衆はそうはいきません。

だからこそ、男性の騎士道精神として、家族を守るためには自分の身を挺して戦わなければいけないし、愛する人たちは絶対に守らなければいけないという考えがありました。例え捕まっても口を割ることを求められないようにするために、情報を知らせない。捕虜にさせないという意識から来ているんです。

こういった背景は現代のイギリス人でも分からない人が多いようで、言語の差というよりも歴史の差だと思います。過去の文化を踏まえて、台詞を読み解く必要があります。こういった台詞の本当の意味を理解するためにも、原文を読み、こう解釈するとこう取れる、という体験は重要です。原文を読む面白さが引き出るよう、『大修館シェイクスピア双書第2集』シリーズでは単なる言葉の注釈だけでなく、解釈の仕方を提示しています。

撮影:山本春花

『大修館シェイクスピア双書第2集』シリーズ『ヘンリー四世 第一部・第二部』の書籍サイトはこちら。『大修館シェイクスピア双書第2集』シリーズでは『ウィンザーの陽気な女房たち』『リチャード二世』『タイタス・アンドロニカス』も発売されています。シリーズの読み方・使い方・楽しみ方についてはこちら

Yurika

翻訳家でありながら、毎日稽古場に足を運び、「演劇人として、どう解釈するかに責任を持たないといけない」と話されていたのが印象的でした。原文の面白さが表現されているKawai Projectもぜひ観劇したいと思います!