16~17世紀のイギリスで活躍したウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)は、世界文学史上もっとも偉大な劇作家のひとりです。世界中で今も上演され続けるシェイクスピア作品のなかでも、特に名高いのが「四大悲劇」と呼ばれる4作品です。『ハムレット』『オセロー』『リア王』『マクベス』には、それぞれどんな魅力があるのでしょうか。各作品の見どころと、難しそうに感じるシェイクスピア作品を思いきり楽しむためのコツをあわせて紹介します。
シェイクスピアの四大悲劇とは?
シェイクスピアは、生涯に37編(一説には40編)の劇作品を執筆したと言われています。
これらの作品は、悲劇、喜劇、史劇、そしてロマンス劇に分類され、そのなかでも11作品が「悲劇」です。特に『ハムレット』『オセロー』『リア王』『マクベス』の4編は「四大悲劇」と呼ばれるほどすぐれた作品として知られており、現在も世界中で上演され続けています。
この4つの悲劇には、それぞれにどんな魅力があるのでしょうか。
『ハムレット』生と死を見つめ続けた王子の復讐劇
デンマークの宮廷で繰り広げられる復讐劇
「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」。
このセリフを耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
現在の苦しい状況をじっと耐え忍び、それでも生きていくのか。それとも死の覚悟を決めて剣を取り、苦難に立ち向かうのか。そのどちらが「男らしい」生き方なのか苦悩するハムレットのセリフです。
舞台はデンマーク。父王を亡くしたばかりの王子ハムレットは、その死が叔父による毒殺だったことを知ります。
叔父であるクローディアスは、ハムレットの母ガートルードと再婚し、現在は王位に就いています。叔父への復讐を誓ったハムレットは、気がふれたふりをして仇を討つ時を待ちますが…。
過去には、柿澤勇人さん、藤原竜也さん、内野聖陽さんをはじめ、女性である吉田羊さんもハムレットを演じました。2026年5月からはデヴィット・ルヴォーさんの演出による『ハムレット』が上演され、市川染五郎さんが21歳という若さでタイトルロールに挑みます。
人生の核心を突く名セリフと、シェイクスピア作品で最も多い独白
ハムレットは、シェイクスピア作品のなかでも特に多くの登場人物が死んでしまう作品です。
そして、その死のほとんどが「毒殺」によってもたらされています。
シェイクスピアの生きていた時代のイギリス王朝では、毒殺は厳しく禁じられていました。毒殺をした者は、長く苦しみが続く方法によって処刑されたといいます。現代の私たちが観ても痛ましく感じる『ハムレット』という作品ですが、このような時代の状況を考えると、当時の観客に与えた衝撃は相当なものではないか、と想像が膨らみます。
悲劇的なストーリーが印象に残りやすい『ハムレット』。実は、作中には数々の名セリフが書かれています。
第3幕第2場では、ハムレットが宮廷劇を上演する役者たちに向かって「芝居の目的とは、昔も今も、いわば自然に向かって鏡を掲げること」と指南するセリフがあります。この言葉は現代の演劇界においても「演劇は時代を映す鏡」というメッセージとして広く浸透しているほどです。
また、第2幕第2場では、ハムレットが友人たちを相手に「良い悪いは当人の考えひとつ、どうにでもなるものさ」と話す場面もあります。復讐という使命を背負うことになったり、周囲の人々を信じられなくなったりと、苦しみの多いハムレットですが、観客をハッとさせるような核心的なセリフを口にしています。
そしてハムレットは、シェイクスピア作品のなかで最も独白の多い人物でもあります。
独白とは、劇中で登場人物が相手なしに一人で語るセリフのことで、モノローグという言葉でも知られています。ハムレットの独白は劇中に7つあり、特に第2幕第2場の独白は58行という長さです。
これらの独白は他の登場人物ではなく、すべて観客に向かって語られるものです。ハムレットは独白によって、観客に心の中をさらけ出していることになります。
核心をついたセリフと、心の葛藤が激しく語られる独白。ハムレットから生まれるたくさんの言葉たちから、「生きること」について深く考えさせられるかもしれません。
『オセロー』真実の愛vs嫉妬心が起こした悲劇
幸せな夫婦を襲ったのは?シェイクスピア作品では異例の主人公
ムーア人の勇敢な将軍・オセローは、愛する妻デズデモーナと結ばれ、幸福の絶頂にいました。
しかし、オセローの部下であり旗手であるイアーゴは、自身が副官に昇格できなかったことに恨みを募らせていました。そこでイアーゴは策略によって副官を失脚させた上に、デズデモーナの不義をでっちあげます。
イアーゴに騙されたオセローは、嫉妬のあまりデズデモーナを殺害してしまいました。やがて真実を知ったオセローは、絶望のなか自らの命を絶ちます。
ムーア人とは、イスラム教徒やアフリカ系の人々を指す歴史的な用語です。
特にルネサンスの時代には、褐色の肌を持つ人に対してこのような呼称を使うことが多かったと言われています。
『オセロー』を書く少し前、シェイクスピアはロンドンでモロッコ出身のムーア人を目にする機会があったそうです。そのムーア人は高貴な人物で、彼の容貌や身振り、年恰好などが、オセローというキャラクターを生み出すことに大きな影響を与えたと考えられています。
日本では、文学座の横田栄司さん、歌舞伎役者の松本白鸚 (当時は松本幸四郎)さん、中村芝翫さん、吉田鋼太郎さんなど、多くの名優がオセロー役を演じました。
作品を動かす“嫉妬”のエネルギー
『オセロー』という作品を動かしているのは、“嫉妬”という普遍的な感情です。
原作はジラルディ・チンツィオの『百物語』に収録された1編ですが、シェイクスピアがこの話に“嫉妬”を織り込んだことで、現代の私たちにも深く愛される作品へと変貌しました。
副官の地位を欲し、それを得た者に嫉妬するイアーゴ。彼の嫉妬心はさらに膨らんで、その矛先はオセローの名誉や地位にまで及びます。
そして、イアーゴから嘘を吹き込まれ、妻の不貞を疑うオセローは、嫉妬心に駆られたことで最愛の人を手にかけてしまいました。
すべての悲劇を生んだのは、嫉妬というひとつの感情です。嫉妬心とは、時代や国が違っても人間の心に深く根ざすものであり、時に悲しみや苦しみを巻き起こす危険をはらんでいます。
そのような人間の感情をうまく描いているところが、この作品が四大悲劇に数えられる理由かもしれません。
さらに『オセロー』では、イアーゴの目を通して人種差別的思想が描かれています。
オセローの妻デズデモーナはヴェネツィア人の洗練された白人女性、対してオセローは野蛮な人物として何度も言及されています。
人種差別によって起こるヘイトクライムは、現代においても大きな社会課題のひとつです。
数百年前に誕生した作品でありながら、『オセロー』が抱えているのは、私たち観客自身にも突きつけられる問題です。
『リア王』四大悲劇のなかで「最も悲劇的」な傑作
“愛を見抜けなかったこと”が悲劇の始まり
古代ブリテンの老王リアは、3人の娘たちに領土を譲って退位しようと決意を固めます。
リアは、3人のうちで最も親を愛している者に最大の恩恵を与えると宣言し、娘たちから愛の言葉を求めました。
2人の姉、ゴネリルとリーガンは巧みな言葉でリアを喜ばせますが、リアが最も可愛がっていた末娘のコーディリアだけは、甘い言葉を囁きません。その態度が彼女の誠実さであることを見抜けず、リアは激怒してコーディリアを追放してしまいました。
やがて退位したリアは長女ゴネリルのもとへ身を寄せましたが、そこで待っていたのは信じられない仕打ちでした。
『リア王』では、リアと3人の娘たち、リアの重臣グロスター伯と2人の息子たち、といった親子関係が物語の深い人間ドラマを生み出しています。
さらに、グロスター伯の庶子エドマンドをめぐるゴネリルとリーガンの愛憎や、身分を偽ってもリアに仕えた忠臣ケントの忠誠心など、さまざまな人々の“愛の形”が描かれているのが印象的です。
『リア王』は四大悲劇のなかで「最も悲劇的」と言われています。
劇中には多くの悲劇が起こりますが、リアがコーディリアやケントからすでに与えられていた愛に気付かず、それを手放したことが最大の悲劇に思えて仕方がありません。
現代の日本の問題を映し出す『リア王』
近年、日本では『リア王』の上演が頻繁に行われているのが印象的です。
2026年5月には吉田鋼太郎さん主演、9月には内野聖陽さん主演、同月に中村芝翫さん主演の計3作品が上演されます。また、2025年10月には大竹しのぶさんがリアを演じ、大きな話題となりました。
作中で描かれるのは、血縁をめぐる葛藤、老後の生活、親の扶養や遺産相続、認知症や老いといった問題です。本作に描き出された問題が、まさに現代の日本を映し出していると言えるでしょう。だからこそ、多くの演劇人たちの創作意欲をかきたてるのではないでしょうか。
また、筆者個人としては、『リア王』は現代の情報化社会への警鐘を鳴らす作品ではないかとも考えています。情報化社会のなかでは、いかに正しい情報を得られるかが課題になるのでは?と日々感じているためです。
そんな筆者にとって、ゴネリルとリーガンの甘い言葉や、コーディリアの誠実な愛を見抜けなかったリアが「真実を見抜く力」の大切さについて教えてくれているような気がします。
『マクベス』人間の“弱さ”を描いた野心と破滅の物語
日本でも人気のダークヒーロー・マクベス
スコットランド王ダンカンに仕えるマクベスは、陣営に戻る途中に3人の魔女に出会います。
魔女たちはマクベスに「コーダーの領主となるお方」「いずれ王になられるお方」など謎めいた予言をしました。半信半疑のマクベスでしたが、その直後に、功績を認められてコーダーの領主の地位を与えられた報せを受けます。
魔女たちの予言が当たったことに驚いたマクベスは、この話を妻に手紙で知らせます。
マクベス夫人は予言通り夫を王にしようと、ダンカン殺害を進言しました。迷った末にダンカンを殺したマクベスでしたが、次第に周囲への疑心に飲み込まれ、精神の安定を欠いていって……。
全編を通して血塗られた描写の多い作品ですが、誰もが持っているであろう「野心」と、マクベス夫妻が抱える人間の弱さがありありと描かれた傑作です。日本でも人気の演目のひとつであり、過去には唐沢寿明さんや佐々木蔵之介さん、野村萬斎さん、藤原竜也さんなど多くの名優がマクベスを演じてきました。
また、演出家の蜷川幸雄さんは、この『マクベス』を上演する際に武士、桜、仏壇といった日本独自の文化を前面に押し出した『NINAGAWA マクベス』を作り上げました。この作品は世界中から高い評価を受け、日本とシェイクスピア作品の深い親和性を証明するきっかけともなりました。
悪人だからこそ生まれる魅力
この物語の主人公はマクベス夫妻ですが、彼らは作中を通して主人公とは思えないほど非道な行いをしています。
主君であるダンカンを殺害し、その罪を2人の従者たちになすりつけて王位を手に入れる。予言を恐れて親友であるバンクォーを暗殺する。疑心暗鬼に陥り、盟友マクダフの一族を皆殺しにする。皆殺しにされた一族のなかには、小さな子供まで含まれていました。
信じられないほど残忍なことを繰り返すマクベス夫妻は、王と王妃という最高の地位を得られても、心の平安を手に入れることはできませんでした。夫をけしかけ、強さと残忍さをあわせもったように思えたマクベス夫人は、精神に異常をきたして自滅の道を辿ってしまいます。一方で、マクベスは自分を苦しめる罪悪感と疑心に苛まれながら、最後にはマクダフによって打ち倒されます。
ストーリーだけを追えば、悪人が倒されるだけの物語です。しかし全編を通して描かれる人間くさい感情の数々こそが、この作品を傑作にしているのではないでしょうか。
シェイクスピア作品は難しい?楽しむためのコツとは?
四大悲劇と聞くと、「難しそう」「古くて自分には関係ない」と感じる方もいるかもしれません。
ですが、ここまで読んでくださった方はもうお気づきではないでしょうか。ハムレットの苦悩も、オセローの嫉妬も、リア王の後悔も、マクベスの野心も。すべて、私たち観客の心の中にも存在する身近な感情です。
舞台は遠い国や古い時代の出来事であり、作中で起こる悲劇も私たちの日常からは遠いものかもしれません。しかし、登場人物たちの抱く感情は、人間の持つ普遍的な感情そのものです。彼らの感情に注目して物語を鑑賞すると、登場人物たちが身近に感じられるかもしれません。
また、シェイクスピア作品にはたくさんの個性的なキャラクターたちが登場します。そのなかから、自分のお気に入りを決めるのもいいでしょう。狂気に落ちていくマクベス夫人、無実のまま命を落とすデズデモーナ、個性豊かな三姉妹ゴネリルとリーガン、コーディリアなど。
お気に入りのキャラクターの視点で物語を見てみると、同じ物語が違ったものに感じられるかもしれません。さまざまな立場からストーリーを見つめるのも、シェイクスピア作品を楽しむコツのひとつです。
それから、お気に入りのセリフを見つけるのもおすすめです。本記事で紹介したとおり、シェイクスピア作品は名セリフの宝庫です。心に引っかかった言葉を、公演が終わった後も持ち帰ってみてください。
参考書籍:
『真訳 シェイクスピア四大悲劇 ハムレット・オセロー・リア王・マクベス』作:ウィリアム・シェイクスピア、訳:石井美樹子、監訳:横山千晶(河出書房新社)
「シェイクスピアは難しい」。そう思われる方も多いかもしれません。 ですが、これほどまでにさまざまな角度から「人間」を描いた劇作家はいないのでは?と感じています。 本記事が、あなたとシェイクスピアを近づけるきっかけになれば嬉しいです。



















