3月8日から29日まで日生劇場にて上演中のミュージカル『太平洋序曲』。ミュージカル界の巨匠スティーヴン・ソンドハイムの作詞・作曲ということで、難解で繊細な楽曲をどう歌いこなすのか…少し不安もありながらの観劇でしたが、良い意味で大いに裏切ってくれる実力派キャストに圧倒されました!(狂言回し:松下優也さん、香山弥左衛門:海宝直人さん、ジョン万次郎:立石俊樹さん回の観劇リポートとなります)※以降ネタバレあり
日本らしさを五感で感じる美しく繊細な美術・音楽
『ウエスト・サイド・ストーリー』『イントゥ・ザ・ウッズ』などの名作を手がけたソンドハイム氏が、江戸時代末期、黒船が来航した日本を舞台に描いたミュージカル『太平洋序曲』。西洋から見た日本を描いた珍しい作品であり、今回は梅田芸術劇場と英国メニエール・チョコレート・ファクトリー劇場の共同制作で創られました。
まず印象的だったのは、本作でしか表現できない美術・演出が細やかになされていたこと。木目・屏風を意識したステージや、日の丸にリンクするような丸くくり抜かれたセット、天皇を文楽人形で表するなど。海外からの視点をもとに“日本を舞台にしたミュージカル”とはこういうものなのかと納得させられる、視覚的アプローチです。日本が舞台の物語をミュージカルという型に当てはめるというよりも、日本の様々な要素を紐解いて、繊細に積み上げた結果がこの作品になったという感覚がしました。
音楽も太鼓や笛などの音色が聞こえ、日本らしさを随所に感じさせます。オーケストラの壮大な音楽とは異なる、静かなメロディーが続く前半で日本の鎖国時代を丁寧に描いていく印象です。繊細な楽曲を難なく歌いきる香山弥左衛門役の海宝直人さんは流石の一言。ソンドハイム楽曲は難しい、という邪念を一気に取り払ってくれました。
そして黒船が来航した「四匹の黒い竜」で、音楽も一気に盛り上がりを見せます。黒船をまず目撃したのが主要なキャラクターではなく、漁師や泥棒といった“庶民”だというのも興味深いポイント。本作の音楽の中で明らかな転換点となる重要なシーンで、丁寧かつ迫力ある歌声を響かせた漁師役の染谷洸太さん、泥棒役の村井成仁さんが見事でした。
風刺的に黒船来航を描いた唯一無二の作品
黒船来航、変わりゆく日本を描くというストーリーを聞いて重めのテイストを想像していた筆者ですが、意外にもコミカルなシーンが多いことに驚きました。ペリー来航の対応を任された香山とジョン万次郎、将軍は苦悩しますが、巨大な黒船に翻弄される彼らは滑稽にも見えます。その姿に本作は風刺的な作品なのだ、と気づかされます。
風刺的な作品であることを象徴する1つが、松下優也さん演じる狂言回しの存在。人々の運命が大きく変わっていく様子を一歩引いたシニカルさを持って語る人物がいることで、観客も引いた視点で物語を見つめることができます。
本作における大きな出来事である黒船来航、ペリーとの交渉についても、どんな言葉が交わされていたのかは“誰も知る由がない”と語るのです。フィクションを前提としたミュージカルで、物語の軸ともなる出来事なのですから、交渉の攻防を1つの盛り上がるシーンにして描くこともできたでしょう。
しかしこの場面で歌われるのは、木の上から交渉を見ていたと言う少年と床下に隠れていたという武士による「木の上で」。交渉を見ていた、と歌いながらも、どんな交渉だったかは語られません。ミュージカル作品でありながら、情緒的に描きすぎない、という意図が込められているように感じました。
もう1つ風刺的なシーンが、アメリカ・イギリス・オランダ・フランス・ロシアの5人の提督が将軍に押し寄せる「やぁハロー!」。早口でリズミカルに捲し立てるイギリス提督や、神経質で人に触られるのを嫌うロシア提督など、それぞれの提督がコミカルに描かれています。
風刺的であるが故に、香山やジョン万次郎といった主要キャラクターに共感する時間が短く、展開も早いので少し物足りなさを感じる部分もありましたが、そういった点も含めて、唯一無二の存在感を放つ作品と言えるのかもしれません。しかも日本を舞台にした作品が、日本で上演される。そのアイデンティティ性も含めて、これからも様々な演出・アプローチが成され続ける作品なのではないかと感じました。
ミュージカル『太平洋序曲』は29日まで日生劇場で上演中。公式HPはこちら
日本の西洋化と発展を感じさせるラストの楽曲「Next」は、上演される今の私たちがどこに向かうかをも問いかけているように感じます。時代への不安がある時は高揚感のあるこの楽曲がより皮肉的に感じられますし、WBC優勝など良いニュースを見た後ではより希望に満ち溢れた楽曲に聞こえます。