東京・千代田区にある「日生劇場」に、皆さん行った事ありますか?1963年にこけら落としが行われ、これまで現代劇や歌舞伎、ミュージカルなど様々な作品が上演されてきた名劇場です。重厚な外装に、大理石がふんだんに使われた足元、そして波打つ劇場の天井にはなんと二万枚の美しい貝が貼り付けられていてとんでもないインパクト!そんな日生劇場を設計したのが、日本を代表する建築家・村野藤吾さんです。一体どんな人物だったのでしょうか?

「生涯現役」村野藤吾

村野さんは1891年佐賀県生まれ、12歳からは福岡県で育ちます。早稲田大学の建築学科で学び、27歳で建築事務所に入所。38歳で独立しますがそこからしばらくは戦争の影響で作品を作る機会に恵まれず不遇の時期を過ごしました。

しかしその後数々の建築を手掛け、代表作は大阪市中央区にあった「新歌舞伎座」や重要文化財に指定されている、広島市中区の「世界平和記念聖堂」などをはじめその数なんと200以上!90歳を超えても創作意欲は衰えず、亡くなる前日まで仕事をしていたそうです。

代表作「日生劇場」

数ある作品の中でも代表作の1つといわれているのが「日生劇場」です。日生劇場は日本生命日比谷ビル内にあります。劇場半分、会社半分という当時とても珍しい建物でした。「ビジネスマン」と「観劇するお客さん」が同じ建物に入っていく。別々の目的の人が混在するという状況、そして劇場という「大きな空洞」をビル内に取り入れるという構造上の問題。全てを成立させる工夫や設計が日生劇場には組み込まれているんです。

注目ポイントは沢山あります。例えば、大理石で彩られた玄関ホールの床、客席へ向かう大階段、そして「階段の魔術師」という異名を持つ村野さんらしい螺旋階段。各所にちりばめられた美術品など、観劇に向かう気持ちを高揚させてくれることでしょう。

そして劇場内に入ると、壁も天井も全て波打つような曲線で構成されています。これもデザインという部分だけでなく音の拡散など音響的な面も考え抜かれた造りになっているそうです。

Ryuji

村野さんが作られた200以上の建築作品、建て替えや改修で現存しないものも多くあります。もしあなたが日生劇場で観劇する機会があれば、その時はぜひ!村野藤吾さんが作り上げた空間そのものも併せて楽しんでみて下さい。