わたしたちは、どこで何をどう間違えたのか―。そのことが問われるはずだった東京裁判を通じ、誰も責任をとらなくなった戦後79年の日本社会を映し出す舞台『夢の泪(なみだ)』が2024年4月6日から、東京・新宿の紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAで上演されます。2010年に世を去った井上ひさしさん作の「東京裁判三部作」の第2作目。03年の初演時と同じ栗山民也さんが演出を務め、キャストを一新して、井上さんが旗揚げしたこまつ座が初めて上演します。シリアスなテーマを笑いと歌でくるんだ作品の魅力を、出演するラサール石井さんと瀬戸さおりさんへのインタビューと舞台稽古の様子を交えてご紹介します。

東京裁判と作品紹介

まず、東京裁判について確認しておきましょう。正式には極東国際軍事裁判といい、米国などの戦勝7ヵ国が、日本の戦争指導者をA級戦犯として「平和に対する罪」で裁いた軍事裁判のこと。終戦翌年の1946(昭和21)5月に始まり、2年半の審理の末、起訴された28人全員が有罪となり、そのうち東条英機元首相ら7人が絞首刑になりました。『夢の泪』の話の中に出てくる松岡洋右元外相は、審理中に病死しました。

「東京裁判三部作」は、2001年に初演された『夢の裂け目』を第1作として、第2作『夢の泪』(03年)、第3作『夢の痂(かさぶた)』(06年)からなります。法廷そのものではなく、裁判をめぐる庶民の視点から、日本人の戦争責任を問い直します。当時、新国立劇場の芸術監督を務めていた栗山さんからの依頼を受け、井上さんが書き下ろしました。

『夢の泪』は、食糧難と混乱のただ中にあった1946年4~6月、東京・新橋の法律事務所が舞台。伊藤菊治(石井さん)と秋子(秋山菜津子さん)の弁護士夫妻の間は、菊治の女性関係が原因で、すきま風が吹いていました。秋子の連れ子・永子(瀬戸さん)は両親の不仲や将来に不安を募らせています。事務所では、復員兵で法律家を目指す田中正(粕谷吉洋さん)が働くようになります。そんな折、弁護士夫妻がA級戦犯・松岡元外相の補佐弁護人を引き受けることに。菊治の亡き父の仲間だったベテラン弁護士・竹上玲吉(久保酎吉さん)に手伝ってもらい、裁判に備えますが、弁護料などの難問が浮上。菊治はGHQの米陸軍法務大尉で、日系二世のビル小笠原(土屋佑壱さん)から呼び出しを受けてしまい…。永子の幼なじみ・片岡健(前田旺志郎さん)の父親・朝鮮人組長の組織と日本人のやくざとの新橋・闇市をめぐる抗争、事務所近くにある米軍将校クラブの歌手・ナンシー岡本(藤谷理子さん)とチェリー富士山(板垣桃子さん)の持ち歌著作権紛争も持ち込まれ、次々とドラマが展開していきます。

距離感から探る人間関係

3月中旬、東京都内の稽古場を訪ねると、第二幕の始まりから、場面ごとにせりふや動きを繰り返す稽古が行われていました。永子が偶然、出くわしたビルから、戦中、日系人収容所に送られ、志願兵となって戦った過去を聞く場面。ベンチの両端にビルと座っていた永子役の瀬戸さんに、栗山さんが声を掛けました。「永子はもっとビルに近づいて。最初はベンチの両端で占領する側とされる側に分かれているけれど、同じ位置で話をしているようにしたいから」

距離感によって感情の変化を示すのは、栗山演出マジックの一つ。例えば、菊治と永子は義理の父娘であるだけに、「若干の距離感がある」と演じる石井さん。瀬戸さんも「『お父さん』とただ呼ぶだけでも距離が近いと言われて。微妙な距離感を見つけるのがとても難しいです」と話していました。

前の場面で、永子は法律を手掛かりに立ち上がったビルの体験を知り、自分の道を踏み出す決意をします。演じる瀬戸さんは風呂敷包みをギュッと抱きしめ、胸を張り、まっすぐな視線で、「わたしは前へ進む」と力強く歌っていました。

永子の成長は、この作品の屋台骨。「永子は何でこうなったか、わからないと正直に聞ける女の子。大人たちからいろいろなことを学び、何を考えてどうするのか、ちゃんと考えて演じなければ」と意欲をかき立てる瀬戸さんは、台本をまるごと「写経」して稽古に臨んだそうです。

歴史を検証する意義

この芝居は、重要な事件や出来事を伝聞で語らせる構造です。膨大な資料を読み込んで紡いだ井上戯曲の真骨頂だと思います。端的に多くのエピソードが盛り込める反面、いかにリアリティーを込められるかが求められます。

「事件は裏側で発生しているけれど、絵がイメージできていないと全然見えてこない。いろんな人の言葉が真実でないと、伝わらない」「あたかも今起きたかのようにどう反応するか」「今、思い浮かべたことが大切」―。「今」を繰り返す栗山さん。稽古場も一つとなって、せりふの一字一句に魂を込めようと、心血を注いでいました。

台本に書かれた歴史的事実に衝撃を受けた一つが、終戦の日の1週間前、8月7日に「すべての役所に、すべての文書を焼くよう、命令が出ていた」こと。そして、焼き切れずに残った文書70万点を米軍が没収したことでした。

「そんなひまがあったら、早く降参してしまえばよかったんだがね。そしたら、アメリカは長崎に新型爆弾を落とせなかったろうし、ソ連も戦さに間に合わなかったろうからね」

この竹上のせりふを例に、後世から歴史的事実を検証する意義を栗山さんは強調していました。「でも、その検証を今の日本人は放棄してしまっている。だから、この芝居が必要なんです」

思えば、「モリカケサクラ」問題をはじめ、ずさんな公文書管理は今でも枚挙に暇がありません。『夢の泪』には、朝鮮人差別や歌の著作権問題なども取り上げられています。「びっくりするくらい、今の問題がたくさん盛り込まれている。それは井上先生の予言なのか。実は日本が一切変わっていないということなのかもしれません」と石井さん。さらにパレスチナやウクライナでの戦火が止む気配が見えない2024年は、初演された2003年よりも、もっと切実に響くのではないでしょうか。「『新しい戦前』だとタモリさんは言いましたけれど、そのことについてどれだけ危機感を持っていますか?という問いがこの芝居にはある。安穏としていられないという気持ちを少しでも届けられれば」

ぶつかり合う歌声

シリアスな題材を扱っていますが、笑いと音楽がふんだんに盛り込まれていて、ライトな感覚で楽しめます。出てくるだけでおかしいという存在感を発揮していたのが、お笑いトリオ「コント赤信号」の石井さん。「メッセージの羅列にならぬように、いかに人間味のある、血の通ったものをプラスできるか。笑いや洒脱で見せて、お客さんの心に深いものがしみわたるようにしていかないと」と、稽古に取り組んでいるそうです。演じる菊治の人柄は「生きることに精いっぱい。酒や金もうけに夢中で典型的な昭和の日本人」と分析。「面白い方に行き過ぎでもいけないので、その加減がやりどころだし、難しい」と話していましたが、稽古では、お互いの話を全く聞いていない秋子とのやり取りをさすがの軽妙さで演じていて、思わず笑ってしまいました。

演技と同時進行で、見せ場の歌も念入りに練習をしていました。それもそのはず。劇中歌は第1幕で9曲、第2幕では6曲と延べ15曲も登場します。作詞はすべて井上さん。作曲で一番多いのは、ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトさんと組んだ音楽劇の傑作『三文オペラ』で知られるクルト・ヴァイルさん。『わたし、判らない』『永子の朝の唄』などがあります。

このほか、井上さんが若いころに脚本を担当したNHKのテレビ人形劇『ひょっこりひょうたん島』の曲を使った叙情的な『丘の上の桜の木あるいは丘の桜』(作曲=宇野誠一郎さん)や、ブロードウェーミュージカルの軽やかなメロディーに乗せた『空の月だけが明るい東京』(作曲=リチャード・ロジャースさん)も。

ことにヴァイルさんの曲はハ長調なのに半音が多く、聴く人の心にざわざわした感触が残るとか。これは、舞台世界にどっぷり浸るのではなく、違和感を抱かせて距離感を持って見てもらおうと狙ったブレヒトさん提唱の「異化効果」を、今作にも持ち込もうと井上さんが意図したからでしょう。元々、この「東京裁判三部作」の着想は、『三文オペラ』から始まったそうですから。

ミュージカルと言っていいほど、ナンバーの数ですが、歌唱法はミュージカルと違うようです。「ミュージカルのように歌い上げてはいけないし、歌い終わったらササッと即、せりふをしゃべる。その転換は栗山さんのエッジがすごく効いています」と石井さん。

「歌手風ではなく、演技者として歌う」という井上さんの注文通り、栗山さんからは「せりふとして、役柄の違うみんなの声がぶつかり合ってほしい」と言われているそう。「コーラスのようにみんなの声に合わせていきたくなるけれど、ひとりひとりの立場がぶつかり合わなければダメだと。そのあんばいがすごく難しいです」と瀬戸さんは打ち明けてくれました。

涙と笑いに包まれて、バラバラのみんなで歌う『夢の泪』は、多様性が叫ばれる2024年にどんな豊かな響きを放つのでしょうか。

『夢の泪』は4月6日から29日まで、東京・新宿の紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAにて上演。そのほか、所沢、山形でも上演されます。スケジュールの詳細は公式HPをご確認ください。

鳩羽風子

歴史は過去の出来事ではない。今につながっていると改めて実感しました。 【参考文献】 『夢の泪』井上ひさし・著 新潮社 2004年 『初日への手紙 「東京裁判三部作」のできるまで』井上ひさし・著 白水社 2013年 『演出家の仕事』 栗山民也・著 岩波新書 2007年