2001年に公開され大ヒットとなった宮﨑駿監督作品『千と千尋の神隠し』。世界でも人気の高いジブリ映画の最高傑作が20年ぶりに舞台となって帰ってきます。再び注目されている『千と千尋の神隠し』の魅力をご紹介します。

誰もが、危機に立ち向かう生命力を持っている

突然迷い込んだ街で、豚に変えられた両親を救うため、湯屋で働くことになった10歳の少女・千尋。失敗を繰り返しながら仲間に助けられ、たくましく成長していく千尋の姿に励まされたという人が多かったのではないでしょうか。

宮﨑監督は著書『千尋と不思議の町』の中で、“かこわれ、守られ、遠ざけられて、生きることがうすぼんやりにしか感じられない日常の中で、子供達はひ弱な自我を肥大化させる。千尋のヒョロヒョロの手足やむくれた表情はその象徴。けれど現実に危機に直面した時、本人も気づかなかった適応力や忍耐力が湧き出し、果断な判断力や行動力を発揮する生命を、自分が抱えている事に気づくはずだ”と述べています。

湯婆婆に「油屋の前に集めた豚の中から両親を当てなさい」と迫られ、千尋が「この中に両親はいない!」と即答したシーンについても、 “10歳の女の子が数々の危機をくぐり抜けて「生きる力」を獲得したら、みんな自然とそれができるはず、というのが宮崎監督の答えです。”とジブリは回答しています。湯屋「油屋」で起こる様々な危機を通して、少女・千尋の持つ潜在能力が引き出されていく。これを理解した上で改めて観るとまた違った感動が生まれて面白いかもしれません。

『千と千尋の神隠し』が持つ言葉の力

油屋で千尋は、青年・ハクのアドバイスを受け、「いやだ」「帰りたい」と決して言わず「ここで働きたい」という言葉を繰り返しました。働かない者は湯婆婆に動物にされてしまうから。泣いて怯んでしまう弱い子供だったら湯婆婆に動物にされていたでしょう。しかし千尋は「働く」という言葉に自分の意思を込め、責任をもって働きました。また、「千尋」という名前は贅沢だからという理由で「千」に変えられたり、ハクが自分の名前を思い出せなかったりと、言葉・名前が作品の大きなテーマになっています。

千尋が迷い込んだ世界のように本来「言葉」には、取り返しのつかないほどの「重さ」があるはず。“言葉は力であることは、今も真実である。力のない空虚な言葉が、無意味にあふれているだけなのだ。”と先の著書にも監督は記しています。このように言葉の持つ重みを改めて考えさせられる作品ですから、今回ストレートプレイとして制作が進められている舞台にも期待が高まります。

世界中のファンの心を掴み賞賛される理由

第52回ベルリン国際映画祭の金熊賞、第75回アカデミー賞長編アニメーション映画賞をはじめ、数々の映画賞を受賞しています。45ヶ国以上の国で公開されるほど、海外のファンになぜ人気なのでしょうか。

世界中の人々の心を掴んだ1つの理由として、圧倒的なアニメ―ションの美しさが挙げられます。八百万の神の世界は、文化の異なる海外の方には奇妙に映るかもしれません。しかしその奇妙さを超えた美しい描写が東洋の神秘として届いたのではないでしょうか。またそれを後押しする素晴らしい音楽との融合も評価につながっています。

Chizu

『千と千尋の神隠し』舞台公式サイトでは、日本語のほかに、英語・フランス語・中国語・韓国語でも表記されています。また上演ポスターには"世界初演"とあり、もしかすると今後世界中を公演する作品になるのかもしれません。今から楽しみです!!